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第7話 これが地獄の入口配信

 小糸がTK.SOUNDの連絡先を探し始めた瞬間、俺の胸に小さな希望が灯った。薄暗い部屋に夕日が差し込み、彼女の横顔を赤く染めている。端末の青白い光が小糸の顔を照らし、指先が素早く画面をスライドしていく。


 栞はソファの端に腰かけたまま、ほとんど息をするのも忘れたように小糸の様子を見つめていた。あんなに暗かった彼女の青い瞳に、今はかすかな光が宿っている。


「待って、なかなか見つからないな……こんなとこにあるはずなんだけど」


 小糸がスマホを眉間に近づけて、眼を細めながら探している。どこか他人事のように振る舞っているが、その表情には普段見せない真剣さがある。


「おい、本当に知り合いなんだよな?」


 少し焦って聞くと、小糸は「うるさいな~おっさん黙ってて」と短く返した。


「あった!やっぱりここだ」


 小糸の表情が明るくなり、画面をタップする。俺も栞も思わず身を乗り出す。


「これでようやく…」


 俺の言葉に、栞が小さく頷いた。小糸が画面をタップすると、呼び出し音が部屋に響いた。俺も栞も自然と身を乗り出す。これが、栞を救い出す唯一の手がかりかもしれない。


 一回、二回…そして相手が出た。


「もしもし、東雲です。お世話になっております」


 小糸の声は俺が知る限り最も礼儀正しいものだった。仕事モードに入ると人が変わるんだな、こいつ…。


 スピーカーからは若い男の声が聞こえてきた。


『あぁ、東雲さん、お久しぶりです。何かありましたか?』


「はい、TK.SOUNDさんについて少しお伺いしたくて……」


『TK.SOUNDですか?ああ……実は先月解散しちゃったんですよ』


 その言葉に、俺たち三人の表情が同時に凍りついた。じわりと沈んでいく栞の肩が見える。


「え?解散……」


 小糸の声がトーンダウンした。


『そうなんすよ……今はみんなバラバラに活動してて……』


 静まり返る部屋に、電話口からの声だけが響く。俺は思わず拳を握りしめた。栞を見ると、彼女の表情が急速に曇りはじめ、震える唇を噛みしめている。


「そうですか…もしよければ、TK.SOUNDのメンバーの方々の連絡先とか……」


『あぁ……すみません。プライバシーの問題もあるので……』


「わかりました。お時間取らせてすみません」


 小糸が電話を切ると、重苦しい沈黙が三人を包み込んだ。せっかくつかんだと思った希望が、またひとつ消えていった。


「なぁ、八方塞がりか?」


 自然と口から漏れた俺の言葉に、栞が小さく呟いた。


「あの……一人いました……」


「え?」


 栞の方を見ると、彼女はうつむいたまま小さな声で続けた。


「音響さんで……私のファンだった人……『しおりん親衛隊』って名乗ってた人がいて……」


 俺と小糸は思わず顔を見合わせた。


「え、そんな重要情報今更出すなよ!?」


「ごめんなさい……思い出せなくて……」


 栞は赤くなって俯いた。俺はため息をついた。


「じゃあ、その人の名前とか連絡先とか……」


「……わかりません」


 落胆する俺に、小糸が指をパチンと鳴らした。


「待って!配信のコメント欄とかSNSで、そんなハンドルネームの人いないかな?」


 栞は目を丸くして、小さく頷いた。


「じゃあ探せばいいじゃん!」


 俺は勢いよく立ち上がり、パソコンの電源を入れた。キーボードのカチャカチャという音だけが部屋に響く。SNSの検索欄に「しおりん親衛隊」と入力して検索ボタンを押す。


「大和さん……」


 背後から栞の声が聞こえた。振り返ると、彼女が心配そうな顔で俺を見つめていた。


「大丈夫、絶対見つけてやるよ」


 そう言って再びパソコンに向き直った瞬間、栞の携帯が突然鳴り響いた。


 まるでホラー映画の効果音のような不吉な着信音。栞のスマホの画面には「サテライトプロダクション」の文字。俺が見た瞬間、栞の顔が見る見る青ざめていく。


「え……」


 彼女の震える声が部屋に響いた。


「サテライトプロダクション……って、もしかしてお前の事務所か?」


 俺が問いかけると、栞はわずかにうなずいた。小糸がすかさず立ち上がり、録音アプリを起動させる。俺も栞の側に駆け寄り、「スピーカーフォンにして、俺たちにも聞こえるようにして」と指示した。


「何か証拠になるかもしれない」


 栞は震える手で携帯を持ち、おずおずと画面をタップする。俺と小糸は両側から彼女を支えるように寄り添った。


「いくぞ……」


 栞は深く息を吸い込み、通話ボタンを押した。


「も、もしもし……」


『ああ、栞ちゃん?久しぶりだね』


 スピーカーから流れた声は、意外なほど穏やかで知的な男性の声だった。40代後半から50代くらいだろうか。ビジネススーツに身を包んだエリートという印象だ。


「社長……」


 栞の声は震えていた。俺は思わず拳を握りしめる。これが栞を追い詰めた男か。


『元気だった?みんな心配してたよ。急にいなくなるからね』


 優しい口調だが、その裏に潜む冷たさが感じられる。栞の肩がひくついた。


「あの……どうして…」


『ん?電話したかって?まあ、契約上の問題が残っているからね。一度話し合う必要があるんじゃないかな』


 社長は言葉を選びながら話していた。小糸が「契約の詳細聞け」とメモを書いて栞に見せる。


「契約……って?」


『そう、君に提供した研修費やシステム開発費。建て替えたお金を返済してもらわないと困るんだよ』


 社長は遠回しな言い方をしているが、その意図は明らか。小糸が「額は?」とメモで促す。


「いくら……になるんですか?」


 栞の声が震える。社長は静かに言った。


『こちらは君が十八歳以上だという前提で契約しているし、必要経費はすべてこちらが立て替えたものだ。これを"投資"ではなく"業務に伴う正当な立替金"として処理している。返済義務があるのは当然のことだろう』


 栞の体が小刻みに震え始めた。社長は続ける。


『契約書には明記してある通り、立替金の総額は三百万円だ。それに……すでに機材やスタジオ、プロモーションなどで多くの利益を受け取っている。返済を拒むなら、その分は"不当利得"として請求させてもらう』


 法律用語を並べ立てて圧力をかけてくる。社長の声はあくまで冷静だが、その言葉の裏には確かな脅しがある。小糸が「払えない場合は?」と書いたメモを見せる。


「でも……払えなかったら……どうなるんですか?」


 一瞬の沈黙があった。社長の呼吸が少し変わったのが聞こえる気がした。


『まあ、前にもその話はしたよね?ああ、でもあれだよ?君が本当に未成年だったとするなら……こちらも"淫行の疑い"で対応せざるを得ないしね。まるで返せないから身体で払うって言われたみたいで、こっちとしても困るんだよ』


 俺の脳裏に青い炎が灯った。こいつ、一体何を言ってやがる?


『いや、もちろんそんなことはした覚えはないがね。あくまで"そう見えてしまう"ような行動は避けてほしい、という意味で』


 慌てて言い直す社長の声。だが遅い。俺と小糸の視線が交差する。


 身体で払うって言われたみたい……だと?おい、それ完全に、お前がそっちの話持ち出してた証拠じゃねぇか……!


 喉元までせり上がってきた言葉を必死で飲み込む。小糸が俺の袖を引っ張り、小声で耳打ちした。


「こいつかなり警戒してる……録音もバレてるかも。でも今のはアウト。あれ、栞ちゃんの方から誘ったって話にすり替えようとしてる。そういう話題があったこと、自分の口で言ったも同然だよ……」


 俺の頭の中で怒りが渦巻いていた。こいつ、未成年の女の子に「身体で払え」なんて言っておきながら、今度は「彼女から言ってきた」みたいに言い逃れしようとしているのか。ふざけやがって!


『結局、自己責任だろう?自分で年齢を偽って契約したんだ。こちらとしては正当な請求をしているだけだ』


 社長の声には皮肉が混じっていた。


『誰も頼れないと思って、君は自分で選んだ。甘えるな』


 その言葉が俺の頭の中で爆発した。気づけば俺は栞の手から携帯電話を奪い取っていた。


「おい、クソ野郎!」


 怒りに任せて叫んでいた。栞は目を丸くして俺を見上げ、小糸は「まずい」という表情で口を押さえる。


『誰かな……?』


 社長の声が、初めて不快感を露わにした。


「耳かっぽじってよく聞いて、しっかり覚えとけ!!」


 息を整え、はっきりと告げた。


「俺は西園寺大和!お前の悪事を暴露する男の名前だ!!」


 その瞬間、栞の瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女の身体が震え始め、堪えていた感情が一気に解放されたようだった。俺は無意識に片腕で彼女をそっと抱き寄せていた。


「俺が舞台を用意してやる!てめえの悪事を晒し上げる舞台をな!!今週の土曜日夜、十九時!後でリンク送ってやっから、首洗って待っとけ!!」


 電話の向こうで、一瞬の静寂。次に聞こえてきたのは、冷静な笑い声だった。


『やれるものならやってみなさい。ただし返済期限は土曜日まで。それまでに三百万円が返されないなら、こちらにも考えがある』


 通話が切れた。室内に沈黙が漂う。


「……バカじゃないの!?」


 小糸が両手を頭に当てて叫んだ。


「うるせぇな……」


 耳を塞ぎながら呟く。だが本当のところは、自分でも何をやったのか理解できていなかった。ただ、あの状況でこれ以上栞を泣かせたくなかった。それだけだ。


「でも……これ以上こいつに泣いてほしくなかったんだよ」


 思わず本音が漏れる。栞は涙を拭いながら顔を上げ、わずかにほほ笑んだ。


「ほんと、どうしようもない男ね」


 小糸はため息をつきながらも、諦めたような表情で肩をすくめる。


 沈黙が部屋に戻り、夕日の赤みが次第に色を失っていく。俺は立ち上がり、窓の外を見つめた。煮え滾るような怒りはまだ胸の中で燻っている。


「三百万なんて払えるわけねぇ」


 呟きながら拳を握りしめる。


「でも、あいつにこれ以上"自己責任"なんて言わせねぇ」


 振り返ると、栞と小糸がこちらを見つめている。今までにない鋭さが自分の目に宿っているのを感じた。


「やるしかねぇんだよ……俺が証明してやる。あいつがどんなクズかってことを、な」


 俺の決意は固かった。行き場をなくした俺だからこそできることがある。それが栞を守ることなら、喜んで引き受けてやる。


 窓から差し込む夕日が部屋を赤く染める中、俺の影だけがまっすぐに伸びていた。

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