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第6話 ここからが本番配信

 小糸と俺は並んで廊下を歩いていた。俺の部屋へと向かう階段を上りながら、小糸が鼻歌を歌っている。妙に上機嫌だ。


「なあ、さっきから何がそんなに楽しいんだよ」


 俺が尋ねると、小糸は肩をすくめる。


「別に?ただ、あんたが知り合いの、栞さん……だっけ?その子を急に部屋に泊めるって知って、これからどんな言い訳するか楽しみなだけ」


「お前な……」


 俺は溜め息をついた。喫茶店で栞からの着信が何度もあり、結局隠し切れずに小糸に根掘り葉掘り尋も……質問されたため、事務所に脅され逃げてきた女性を匿っていることを話してしまったのだ。ただ、栞が何歳なのかまでは話していない。結局、部屋を借りる条件として「今すぐ一緒に部屋に行く」と言い渡された。


 小糸は指で自分の唇をなぞりながら、嬉しそうに言った。


「配信とかいう話もあるし、どんな子か気になるじゃない。それに、借りたい部屋の状態も見ておかないと、母さんに報告できないしね」


「理由はどうあれ、人の部屋に勝手に上がり込もうとするのは良くないだろ」


「はいはい、大家の娘だからしょうがないでしょ」


 俺の部屋の前まで来ると、小糸が立ち止まった。廊下の蛍光灯が彼女の黒髪を照らす。


「あんた、その子のこと好きなの?」


 唐突な質問に、俺は思わず呼吸が止まった。


「は?何言ってんだよ。そういうんじゃない」


「そう……なら良し」


 小糸はホッとした表情を見せた。その瞳に一瞬だけ何かが宿ったような気がしたが、すぐにまたニヤリと笑う。


「じゃあ、お邪魔しま~す」


 妙に上機嫌で言いながら、小糸は俺を軽く脇へ押しやって自分が前に出た。


「おい、ちょっと待てって!いきなり入るなよ!」


 鍵を持っている俺を差し置いて、小糸がノックをする。トントン、と軽く二回。


「別にノックとかいらねえだろ」


「何言ってんの?むさいおっさんならまだしも、女の子がいるんだから当たり前でしょ」


 そう言いながら、小糸は自分が先に入る気満々だった。俺はそれを横から制して、自分が鍵を差し込んだ。


「と、とりあえず、俺が先に声かけるから。お、驚かせたくないしな」


 小糸は少し笑みを浮かべ、「へぇ、気が利くじゃない」と言った。


 鍵を回し、ドアノブに手をかける。一瞬、胸がざわついた。小糸が栞を見て、どんな反応をするだろうか……いや、やっぱこのままじゃまずいよな。入れると見せかけ、とりあえず俺が先に入って、栞と話しを合わせるか?


「よし、入るぞ」


 俺はドアをゆっくりと開いた。


 よし!今――。


「ただいま、栞。ちょっと人を連れ――」


 言葉が喉の奥で凍りついた。


 玄関の扉の前で、栞が正座していた。


 彼女は顔を伏せ、両手を膝の上に乗せている。まるで昔の時代劇に出てくる、不義理を詫びる武士のような姿勢だ。黒髪が顔を覆い、表情は見えない。しかし、周囲の空気だけは明らかに重く、何か不穏なものを感じさせた。


「あ……」


 俺は思わず声を漏らし、反射的に扉を閉めようとした。だが小糸が後ろから覗き込んできやがった。


「え?」


 小糸の声に、栞がゆっくりと顔を上げた。その青い瞳は、まるで深海の底のように冷たく澄んでいる。


「おかえりなさい、大和さ……その女、誰……ですか?」


 最後の方の声は震えていた。別に問い詰めるような言葉ではないのに、その声音には何か恐ろしいものが潜んでいた。


 俺は慌ててドアを閉めた。閉まる直前、栞の視線が小糸に注がれるのが見えた。青い炎のような、冷たくも激しい視線。


 シーンと静まり返る廊下。小糸と俺はお互いの顔を見つめ合い、言葉を失った。


「あの……子、何歳?」


 小糸が小声で尋ねる。その質問の真意を察して、俺は喉の奥が乾く感覚を覚えた。


「え?あ、まあ……」


 誤魔化そうとする間もなく、小糸が突然前から俺の首筋を掴んだ。恐ろしい力強さに、思わず息が詰まる。


「歳の事聴いてもはぐらかしてたのはこういう事だったのね!」


 小糸の目が怒りに燃えていた。


「お、落ち着けって……っぐ……し、締まってます!締まってますから小糸さん!?」


 圧迫される喉に、言葉が詰まる。


「今すぐ自首しなさい!一緒に交番まで付いて行ってあげるから!」


 小糸の声が廊下に響く。周囲の住人に聞かれたらマズいと思い、俺は苦し紛れに懐から一枚の封筒を引き出した。


「も、もうサインもらっちゃったしな〜」


 苦しみながら、何とか言葉を絞り出す。小糸の顔から血の気が引いた。

ここに来る前に酔った小糸の家で巻いた、できたてほやほやの賃貸契約書だ。


「それ詐欺じゃん!! 寄こせぇぇ!」


 小糸が飛びついて封筒を奪おうとし、俺に抱き着く形で揉み合いになる。廊下という狭い空間で、奇妙な格闘が繰り広げられた。


「やめろって!他の住人に見られたら変な誤解されるだろ!」


「そんなの知らない!この音圧とディストーションは修正不可能なレベル!ハイパスフィルターじゃ除去できないわよ!」


 何を言っているのか俺にはサッパリだったが、小糸が興奮している事だけはハッキリと分かる。


 そんな揉み合いの最中、俺の背後でドアが静かに開く音がした。二人とも動きを止め、恐る恐る振り返る。


 栞が顔を覗かせ、静かに一言。


「そんなところで抱き合って……何やってるんですか?」


 一瞬で固まる俺と小糸。その場の空気が凍りついた。


「あ……え〜と、ち、違うんだ!これには深い、ふか~いわけがあって……と、とりあえず中で話そうか……な?」


 俺は必死に取り繕う。栞は無言でゆっくり頷いた。その無言の圧に、小糸までもが何も言えなくなった。


小糸は俺の耳元で小声で囁いた。


「な、何あの子……?」


「俺が聞きたいよ……」


 俺はため息をつきながら、玄関から部屋の中へ足を踏み入れた。二人の女性も続く。栞が俺の袖をそっと引っ張るのを感じた。チラリと見ると、彼女は不安そうな目で小糸を見ていた。


 リビングに入ると、栞は無言でキッチンへ向かった。小糸は部屋を見回して、ソファに座る。俺も迷った末、小糸の向かい側に腰を下ろした。


 シーンと静まり返った部屋に、お湯を沸かす音だけが響く。小糸は時折キッチンの方をチラチラ見ながら、口もとに手を当てて「どうなってんの!?」と無音で口パクしてきた。俺はただ肩をすくめるしかできない。


 しばらくして、栞がお茶を持ってきた。まず俺の前に一つ。大事に取り扱われた湯呑みが、ゆっくりと布巾で拭かれながら置かれる。そして小糸の前にもう一つ。栞の手首が少し強く返され、カチンと音を立てて湯呑みがテーブルに置かれた。お茶が少しだけ零れる。


 栞はキッチンに戻ると、もう一つ自分の分のお茶を持ってきて、俺の横に座った。わざと俺と小糸の間を遮るような位置取りだ。


 誰も喋らない。俺は湯呑みに手を伸ばしたが、熱くて指先がビクッとなり、引っ込める。小糸もお茶を飲もうとしなかった。


 数十秒が過ぎた。空気が凍りついたまま、誰も動かず、誰も声を出さない。


 咳払いをして、俺が沈黙を破った。


「あ~……栞……さん?え、え~と、昨日さ、昔の配信……どんな感じだったのか、ちょっと話してくれたろ?」


 栞はちらりとだけ俺を見る。無言で頷く。


「ほら……ファンとのやりとりとか、コメント読んでたとか。昨日話してくれた以外で、他に印象に残ってることとか……あればさ」


 栞はまだ警戒したような目で小糸の方をちらちらと見ていた。そして小さな声で尋ねた。


「……昨日話した配信以外ですか?」


 俺は栞の視線の先が小糸であることに気づき、すぐに付け加えた。


「……あ、だ、大丈夫!小糸にはもう色々話してあるから。どうしてここにいるかも、な」


 小糸はため息とともに返した。


「年齢以外はね……!」


 その一言に、俺は思わず目を逸らす。小糸の厳しい視線が背中に突き刺さるのを感じた。


「と、とにかく、こいつなら色々力になってくれるかもしれない。だから他に何があったか聞かせてくれ」


 栞は押し黙ってしまったが、やがて無言で頷き、ゆっくりと話し出した。最初はぽつぽつと、言葉を紡ぐように。


「……ファンの人に"元気が出る"って言ってもらえるのが、嬉しかったです。今日もいい声だったよ、とか、楽しかった、とか、癒される、みたいな……」


 栞の声は徐々に強くなっていった。だが話題が変わると、また声は小さくなる。


「でも、配信が終わったあと……いつもマネージャーに怒鳴られてばかりで……」


 小糸は黙って聞いている。冷ややかな表情だったが、栞が話すほどに少しずつ柔らかくなっていくのが分かった。


「一回、イベントのあと、控室で……ピンマイク、外すの忘れてて……」


 栞の言葉が途切れ、沈黙が落ちた。俺は促した。


「……忘れて?」


 栞は少し震える声で続けた。


「……はい。その時突き飛ばされたんです。そしたらマイクを通して凄い音が聞こえて……『マイク入ったままじゃないかっ!』て怒鳴られて、そしたらマイク取られた後また突き飛ばされたんです……」


 俺は思わず口にした。


「暴力まで……マジ腐った事務所だな……」


 栞は俯いた。その時、小糸が突然姿勢を正し、声を上げた。


「待って……!」


 それまで眉をひそめていた小糸の表情が一変した。急に目が鋭くなり、何かを見つけたように姿勢を正す。


「ピンマイクってことは、会場で回してた録音に入ってたかもしれないわ……」


 栞が顔を上げる。


「本来、事務所はそういう音声を消すけど──技術スタッフが"作業用バックアップ"で持ってること、あるのよ」


 小糸は両手で円を描くようなジェスチャーをしながら説明し始めた。


「音響エンジニアっていうのは神経質な人が多くてね。トラブルが起きたときのために、生音源をバックアップとして個人的に保管してることが多いの」


 栞は目を丸くして小糸の話に聞き入っていた。


「正式な納品物は編集されるけど、作業用のローデータが残ってることもあるのよ。本来ならグレーゾーンだけど、業界じゃ暗黙の了解みたいなものなの」


 俺は思わず身を乗り出した。


「じゃあもしそいつを持っている奴がいるとしたら……!?」


 小糸は頷いた。


「あり得る。会場の音響が外注なら、その人間が個人で残してる可能性もあるわ。特にアイドルイベントは、スタッフがファンだったりするからね。『思い出』として非公式に保存してることも」


 栞が突然大きな声を出した。


「TK……TK.SOUND!事務所の人がいつも言ってました!音響はいつものTK.SOUNDにって!」


 栞は小さく目を見開き、口元を手で押さえた。言ってはいけないことを口にしてしまったかのように。


 室内に、張り詰めた静けさが一瞬だけ戻る。


 だけど、俺と小糸はほぼ同時に顔を上げ、目を合わせた。


 ──繋がった。


 そんな感覚が、言葉より先に空気を動かしていた。


 小糸がゆっくりとニヤリと笑って、ポケットからスマホを取り出す。


「外注で決まりね」


 その顔はやけに楽しそうで、どこか得意げだった。


「TK.SOUNDなら連絡先がある。以前、一度だけ現場で一緒になったことがあるの」


「……なんでそんなとこで伏線回収すんだよ」


 思わずツッコむと、小糸はスマホを操作しながら、にやりと片眉を上げた。


「人生、音と人脈は拾えるうちに拾っとけって習ったから」


「誰にだよ……」


 栞が息を呑んだのが聞こえる。


 青い瞳が、俺と小糸を交互に見て揺れていた。怯えと諦めに沈んでたその瞳に、初めて──はっきりと“光”が差し込んでた。


 希望。


 それはまだ小さいけど、確かにそこにある灯だった。


 俺はそっと栞の肩に手を置いた。


「……これで、ようやく一歩前進できるな」


 栞は目を伏せ、ほんの少しだけ、震えるように頷いた。


 そのときだった。


 窓のカーテンの隙間から、柔らかな陽の光がそっと差し込む。


 空気がふっと和らいだ気がした。緊張で張り詰めてたこの部屋に、ようやく呼吸が戻ってきた。


 その光は、偶然か、あるいは何かの合図か──栞の横顔を静かに照らしていた。


 その頬に浮かんだ影は、もう“怯え”じゃなかった。


 ……と思ったら、気づけば小糸がこっちをちらっと見てる。何だ?と思った瞬間、ニヤッと悪い笑み。


「ねえ、私が役に立ったってことで、アイス買って」


「え、今それ!?」


 急に空気がゆるむ。


 栞がきょとんとした顔で俺を見た。そして直ぐに今度はモジモジとしながら口を開いた。


「わ、私も……」


 俺はちょっとだけ笑いながら頭を掻いた。


「たっく、お前ら緊張感ってもんがねえのかよ」


 ──ま、こういう空気も悪くない。


 とにかく、一歩進んだんだ。

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