七城尾花が復学して二日目の放課後。
「文芸部に入部しようと思うんだ」
周囲から「おお~」という声が上がる。それに対して何故か「ええ~?」という、その台詞を惜しむような声が、主に女子達の中から聞こえてくる。
七城尾花から少し離れて立ち聞きしていた彰人と船尾は「へえ」「おお、俺らと同じじゃん!」と、口々に言いあう。
これからは部室でも一緒か……。彰人はほんのりと胸を躍らせた。顔に出ていないか、少し心配した。
学園に復帰して二日目だが、七城尾花は相変わらず(初日よりは半減したが)注目の的だった。
ただ、時限終了時の休憩時間や昼休みは、先日とは違い――七城尾花はひたすら学業に集中していた。ついさっきも、彰人が貸した二冊目のノートを、教科書と図説を傍らに、死に物狂いで写していた。コピーでは身につかないと言って。
今までの長期療養の勉学の遅れを、本気で取り戻そうとしているのだ。
当然、話しかけてくる者もいたが、七城尾花は自身の勉学の遅れのことを告白すると、大変申し訳なさそうに、懇切丁寧に人を払っていっていた。
「実はねー、長期療養入る前に、一日だけ見学させてもらったことあって、その時から目をつけてたんだ。やっぱり文芸部だけあって、本がいっぱいだったなあ。エッチそうなやつも何個か見つけたけど……」
どっと笑いが起きる。彰人は横目で船尾の顔を見ると、船尾は視線を逸らした。
「その時には、メガネの似合う美人な部長さんと、その彼氏だっていうちょっとオタクっぽい先輩と、見た目が中世的で可愛い同級生の男の子と、同じく見学に来てた一年の、小柄ですっごい可愛い子がいたっけ」
あの方々か……。説明された面々の顔が、順番に彰人の脳裏に浮かんでくる。
「ねえ、それはやっぱり、体の都合なの?」
ショートカットで、小麦色に日焼けした女子が、心底勿体なさそうに七城尾花に尋ねてくる。確か、陸上部の子だ。
「いンえ? そんなこと無いですよ? 確かに通院とかはしてる身だけど、これこの通り健康優良児だし。今日だって久しぶりの体育でバリバリ体動かしたし! 髪縛ってポニーテールとかにして」
ムッ、とボリューム溢れる胸を張り、力こぶを作る仕草をする七城尾花。男子達は、七城尾花の胸の隆起にくぎ付けになる。
ポニーテール姿か、どんなだろうと彰人はぼんやりと頭の中にそのビジョンを描く。
暢気そうに健康優良児のアピールを続ける七城尾花に、そのショートカットの女子は至極真面目そうに食い下がった。
「ねえ勿体ないよ。あれだけの運動神経あるんだからさ」
その一言が口火を切ったかのように、一斉に「そうだよ」「そうそう」「そうだって」「勿体ないって」「もっと記録伸びるでしょアレ」という女子たちの輪唱が沸き起こる。体育は男女で分かれているため、彰人を含む男子連中は、何のことかまるで分らない。いったい何が起きていたというのか。
「だってこの子、100mを12秒フラットで走ったんだよ! しかも最後流してたし! 走った後も全然息切れてなかったし、絶対加減して走ってたよ! 100mだけでも、本気出したら絶対に11秒……もしかしたら10秒台出せるって! 高校生女子の日本記録狙えるよ!!」
は? え? と今度は男子生徒たちが「ウソ?」「マジ?」「ヤバくね?」「俺より早いんだけど!?」とざわつきだす。
よくはわからないが、彰人が最後に覚えている自身の100m走の記録よりはだいぶ速いなあ、ということはぼんやりと思いながら――。
で、それってどれくらい早いのかと疑問に思い、彰人は何げなくスマホで日本人の高校生女子の記録を検索し――自身の目を疑った。
船尾もそばでスマホの画面をのぞき込み、「マジか……」と言葉を失う。
これは確かに、100m走だけでも高校女子陸上界の大きな損失だなと彰人は舌を巻いた。本当に、この陸上部界における逸材を、文芸部がポンッと受け取ってもいいものだろうか。罪悪感がわいてくる心地だった。
周囲の驚愕とどよめきを一通り、静かに眺めた後、七城尾花は照れくさそうに頭を掻く仕草をとる。
「いやー、何か照れるなあ……あはは」
「ねえねえ、中学の頃からこんなに足速かったの!?」
「ええっと、確かあたしのタイム計ってくれた大野さん、だったよね?」
「そう、大野! 陸上部の!」
「えーと、最後に計ったのいつだったかなあ。小学生の頃……だったような? ごめん、覚えてないや。あたし、中学の時代は色んなことがあって虚無ってたから、あんまり記憶になくて。強いて言うなら、こう、白くなってから初めて計って出たタイムがそれだから、正直『俺、何かやっちゃいました?』っていう心地というか、はは……」
そう言い、自身の艶かな白金色の髪を、いじいじと弄る七城尾花。
「それがマジでヤバいタイムだからこう言ってるんだよ」
「そうかあ……でもゴメンね」
周囲に沈黙が流れる。
「……。やっぱりダメ?」
「お誘いは物凄く嬉しいんだけど、あたし、もう決めちゃったんだ。文芸部なら、部室で
真剣な表情で頭を下げ、丁重にお断りを入れる七城尾花。本気で項垂れる大野。その他の運動部と思しき、主に陸上部の女子部員の嘆きの声もきこえる。
「うう……すっごい残念。フられちゃった……」
記念すべき、七城尾花への失恋(?)第一号が誕生した瞬間だった。
その瞬間「大野、フられちゃったかあ」「失恋第一号だね」「男子より先に失恋されてみせるとは、やりおる」「男の初失恋は誰になるかねえ」、周囲がやんややんやと囃すも、大野は
「でも、もし気が変わったら、どの部も七城さんを歓迎すると思うよ! さすがに髪は切らなきゃだけどね」
とウインクで返し、その場を後にする。
それを、七城尾花は複雑そうな表情で見送っていた。