時は、一週間前に遡る――。
◆◇◆◇◆
七月。夏風がそよ吹く快晴の空だった。
本日より三か月ぶりに、
うだるような暑さが、ひと時だけ吹き飛んだ気がした。
学友の復帰。それも女子の。
そんな
クラスの喧騒をかき分けて声を聴いてみれば。聞こえてくるのは。
「誰?」
「ずっと休んでたあいつか」
「どんな子だっけ? 顔が思い浮かんでこない」
「覚えてない……だって来てたの数日間だけでしょ確か」
「同じ中学だった奴いねーの?」
「うーん。思い出せない」
「何でもいいけど、可愛かったらいいな、へへ」
「あと胸とかスタイルとかもな」
と、そんな声ばかり。誰もが、かつてそこにいた存在に対しては、一様に首を捻っている、という状況だ。
七城尾花。
学友として彰人が彼女と過ごしたのは三か月前――四月の数日の間だけ。
偶然、隣の席として編成されていた時に、それなりに話す縁があった。桜が舞散る遠景が思い浮かぶ。出会いの季節を感じたものだ。
日数にして具体的に……何日間だっただろう。ほんとうにわずかな期間だった。月曜に登校したら、長期の病気療養ということで、いなくなっていたのだ。
俺の隣だけ隣の席が空いていて、少し寂しいものだな。今後は教科書とか資料集を絶対に忘れるわけにはいかないな。そんな風に思ったことだけは覚えている。
「楽しみなんじゃないのー?
物思いにふけっているところに、後ろからシャープペンで背中を刺してきた輩がいる。やたら図体のデカい、悪友の船尾だ。まさか芯など出してはいないだろうな。
「お前くらいじゃん。あの少し話にくそうな女子と親しげにしてたのはさ。まあ、意外に明るい性格だったのは覚えてるけど……。で、今のお気持ちは?」
あー……。彰人は複雑そうに頬杖をついた。
七城尾花という女子生徒は、確かに目立たないタイプではあった。
長い黒髪で、背はそこそこ高めで、物静かで、特別な条件でもない限り、自分から話しに行くようなタイプでもなくて。
顔は少しあどけなさを残しつつも整っていて、瞳は焦げ茶と黒で吊り目で――まあ彰人からすれば結構タイプの方で……。「じゃあ、それ以外の特徴は?」と聞かれれば、言葉に困る。
学園の中の女子生徒BとかCのような感じで、背景に紛れこんでいる。よくよく見れば美少女だが皆を振り向かせるだけのオーラを纏っているわけでもない、というか。
だんだん貶しているように思えてきた。引っ張り出してきた彼女の姿を、一度かき消す。
しかも彼女、二年生になって、この九重高等学校に編入してきた、転校生だという。完全なる異邦人なのだ。他の者からすれば、「前のクラスにはいなかった見知らぬ子」ですらないのだ。彰人と親しげに話していたのを茶化してきた船尾以外に、存在を認知していた者が何名いたのだろうか。
何を隠そう、彰人がそんな七城尾花と話すきっかけというのも、ただの偶然でしかなかった。
「そうは言ってもなあ。単に隣の座席で、同じゲームが趣味で、同じキャラが好きだったって、きっかけはその程度。話した内容も、本当にとりとめもない、どうでもいいことしかなかったよ。俺の事、覚えてるかねえ。果たして」
と、手の中でクルクルとシャープペンを回転させながらぼやく彰人。
「でも、嬉しいんだろ?」
「そりゃそうさ」
「だよな、結構かわいかったもんな確か」
「まあね」
「女子なんて
「相変わらずの助平だなあ」
いつも通りのやり取りを交わしながら、七城尾花が教室の扉を開けるのを待っていた時だった。
廊下が騒がしい。
驚き、困惑、戸惑い――そんな声。それが徐々に重なり合って、輪唱のような響きで近づいてく。
「何あれ!? 白っ!」
「えっ? えっ? なになに? ヤバくね?」
「えっ、誰? 白っ!」
「日本人? ウソでしょ? 真っ白……」
騒ぎにつられて、廊下に出ていく生徒が出だした。そして、感染したかのように、同様の声があがる。騒ぎが拡大していく。
口々に聞こえてくるのは「白っ」「白い……」「白……」。ひたすらに「白」という単語である。
いったい何が「白」だというのか。
「何だろう、騒がしいな」
「白、白って、何がそんなに白いんけ? パンツでも見えるのか? どれどれ……」
興味津々でその現場を拝もうと、船尾は教室の扉を開け、覗き込むように上半身を廊下に出した。
そして次の瞬間には。「んなっ!? 白っ!! えっ? 誰!?」と、御多分に漏れぬ素っ頓狂な声を挙げた。そしてフリーズしたように、その場に固まった。
「ごめんねぇ。ちょーっとばかり横にズレてくれると有難いかなあって。えーっとキミは確か……そう船尾くん!!」
「は、はひっ!!」
その声の主は、まぎれもなく、記憶の中の七城尾花そのものだった。
だったのだが――喋り方の雰囲気が、記憶とまるで違う。彼女といえば物静かで、喋ると少し明るい面も見られたが、こんな快活全開に喋る女子ではなかった。
何だ、何があった。彼女なりの
考えを巡らせている間に、
そして、隠れていた彼女の姿が露になるにつれて――彰人の目が大きく見開かれていく。彰人は、言葉を呑んだ。
「白……」
白。
白…。
白い。
そう、白だ。
真っ白なのだ。
肌も、髪も、まつ毛も、眉毛も。体といえる部分の全てが、抜けるように白い。
色白、美白、という言葉ではとても言い表せないほど色素の薄い、雪原を思わせるような色をした肌。半袖の白の、襟と袖が濃紺で、ラインが三本入った九重高等学校のセーラー服と、少し校則違反気味に短く改造された紺色のプリーツスカートからからすらりと伸びる、白く長い手足。黒かったはずの瞳も、まるで宝石のルビーを思わせるような赤銅色に変化してしまっている。
そして何より……髪だ。彼女は長い黒髪の女子生徒だった。
そんな――天使や、精霊か、はたまた、神の化身かと見紛う純白の少女が、そこにいた。
「みんな、久しぶり。覚えてるかな。……覚えてないかあ」
困惑・絶句するクラスメイト達を見渡し、白の少女――七城尾花は「そりゃそうか」と言わんばかりに、少し悲しげにはにかむ。
ややあって、ヒソヒソ、と教室のそこかしこで耳打ちが溢れかえる。絶句したままの生徒も少なくない。呆然とする彰人、固まったまま見惚れる船尾。
覚えているとかいないとか……そんなレベルではない。在りし日を知る彰人と船尾ですら、「誰だお前は!」状態なのだから。
七城尾花が歩く。
その一挙手一投足にすべての視線が集まる。廊下にいる連中も当然含めてだ。そして、視線を一心に集めるその少女は、彰人の座る机の目の前で足を止め――ニコリと微笑んだ。
「や」
「えっと、あの」
「にひ。千鶴くん。あたしの事、覚えてるかな?」
そんな、
そんな顔で微笑むなよ。こんな姿に変身して別人のようになって、それでも俺のことを覚えているのか。こっちはキミの変化に面食らって、本当に七城尾花、キミなのかと困惑しているのに。失礼極まりないヤツなのに。
顔のつくりは同じだって、よく見ればわかる。でも、キミはそんな満面の笑み俺に見せたことも無いし、第一、あまりにも眩しすぎる、その底抜けの明るさは何だ。
まいったな。
キミはもっと控えめで、そんなイケイケドンドンで迫ってくるような子じゃないだろう。やめてくれよ。目を見開きながらアホ面を晒す様を、俺の顔が赤くなっているのを見てくれるなよ。
心臓が大きく鼓動を刻み、胸を内からたたき続ける。色々な思いが錯綜する中、彰人が返した言葉といえば
「あっ……ええと……七城、さん? です……よ、ね?」
仕方がないとはいえ、ひどく自信のない聞き方になってしまった。
そんな彰人とは対照的に、七城尾花ははじけるような満面の笑みで、彰人に返答した。
「ふふっ、
スマホを取り出す。
そして、あの時と同じく、彼女の推しキャラのラバーストラップを見せつけてきた。
「このゲーム、まだやってる?」
「えっ? あ――……一、応……」
さすがに、ログインボーナス勢になってしまった、とは言いづらかった。
同一人物だが、見た目が進化して、完全に別人になり性能も大幅にアップする。同一人物なので当然、同じパーティーで、二人いっしょの編成はできない。ゲームでたまにいる、そんな仕様のキャラクター。
再会という形ではあるが、実質の新しい出会いが待っているとは思いもしなかった。――ガチャや追加ダウンロード以外で。
夏の風が窓から吹き抜け、二人の髪を揺らした。暑さの中には不似合いな、爽やかな涼風だったような気がした。
これが、七城尾花との新たな出会いであった。
そして、今から思えば――これが、すべての始まりだった。そんな気がする。