アクリル板を挟んで、洒落た椅子に座っている、臙脂色のスーツの男。
『ようこそ。直接会うのは初めてかな?』
側のガーデンテーブルに、繊細な意匠のティーカップが置いてある。居室の中には5、6個のランタンがあり、柔らかに明かりを零しながら浮かんでいた。
『怖い?』
ピシリ、と固まる。恐る恐る男と目を合わせれば、男は笑う。
『そうだよね、自分でも知らないうちにピースを揃えて、誰かと共鳴しちゃうんだから』
男はゆったりと足を組んだ。
『でも、大丈夫。俺を理解しようとしなくていいよ。面談なんて名目で、もうすぐ意味がなくなるし。それに君だって嫌だろ? 怖くて』
挑発するようにこちらを見る男。僕は、ぎゅっと手を握った。確かに、怖い。資料もざっとしか見られなかった。
でも。いや、だからこそかもしれない。知りたかった。こんな人がどうして、中毒者になったのか。
「怖くないです」
そう言えば、男はおや、とでも言いたげに片眉を上げた。それから小さい子を諭すような口調で、『無理しなくていいよ。友人の話を聞くように、俺の話を聞くだけで良い』なんて言う。
「いいえ、大丈夫です。だから、教えてください。あなたのこと」
声は、震えていないだろうか。いや、確実に震えている。でもそれを聞いた男は楽しげに目を細めて、『じゃあ、早めに終わらそうか』と口を開いた。
ーーー
私はNo.481、通称『シハイ』。2139年3月30日生まれで、2159年12月25日に逮捕された。名目は「支配中毒」。当時は制度の黎明期だったからね、犯罪に関与していなくても病棟送りになったんだ。
どうして逮捕されたのか、説明するには少し過去に遡る必要がある。
私は、いわゆる副リーダーをやるのが好きだった。リーダーだと目立ちすぎる。副位がちょうどいい。明るい馬鹿をリーダーに上げて、自分は根回しや誘導で思う通りにチームを動かした。それは小学校の校外学習の班から始まり、中学の部活、高校の生徒会と徐々に規模が大きくなった。
大学に進学したころ、自分ならもっと大勢を操れるんじゃないかと思った。考えたらワクワクして、色々と試した。まずは、同じ授業を取っている人。こちらから声をかけて、明るくて誠実で憎めない人柄を演出する。そして小さなお願いを聞いて、こちらからのお願いを断りにくくさせる。
知り合いへ、知り合いの知り合いへ、そしてその知り合いへ。大学全体を何となく把握できるようになるまでに、そう時間はかからなかった。
楽しかった。行動心理学から怪しげなメンタリストの技法まで全部学んで、試して、活用していった。知ってるかな? 電話一本で、人って動かせるんだ。こんな離島からでも。それ相応の準備をすればね。
想定外は、大学2年の冬だった。どうやら体よく誘導していたうちの1人が、政府と懇意な企業の社長の息子、の好きな人、だったらしい。
その人がクリスマス前に私に告白してきてね、息子は大層ご立腹だったらしいよ。それで父親に、私を中毒者病棟へ入れるよう頼んだ。父親も可愛い息子の頼みとあって、政府のコネを使って、私を中毒者にするよう働きかけた。その辺りも今と比べて緩かったから、サクサク偽装工作が進んだ。いや、今もだいぶ緩いけどね。
驚いたよね、クリスマスの日に、急に政府の人間と当時の特対が入ってきて、僕を逮捕して問答無用で隔離した。そして1日も経たずに中毒者病棟、そう、ここへ入れられた。
その時の私には、まだ会ったばかりの人を誘導するだけの技術がなかったから、されるがままになるしかなかった。
悔しかったな。名目上、その息子の好きな人を洗脳した中毒者ってことになっているけど、私は彼女のこと、別に好きじゃなかったんだよね。作り上げてきたキャラクターを壊さないように、ちゃんと誠実にフったし。洗脳なんて大掛かりなことまではその人にやってないし。というか、洗脳なんてしていないしね。
だから、私はもっと学んだ。丁度、時間はたっぷりあった。学ぶだけじゃ効果もわからないから、ここから試せることは色々やった。やっぱり、人を誘導するのは楽しかった。それだけじゃなんか悔しいから、人類に役立つ発明をしようと勉強した。不老不死の薬とか作れたら、そしてそれを私だけが知ってて教えなかったら。傑作だよね。
ーーー
「ただ支配したいだけなのに、どうして?」
口から出た言葉は、僕のものか、彼のものか。
「人を殺してないのに。何も罪を犯していないのに。ただ自分が楽しいと思ったことをやっただけ。なのに、どうして?」
シハイの瞳孔が大きくなる。でもそれだけで、余裕のある様子は変わらない。
けれど、この感情は。きゅうっと胸のあたりを鷲掴みされるような、この気持ちの名前は。
「寂しい」
誰かを支配するのが楽しいなんて、誰も分かってくれない。共感してくれない。ひとりぼっち。
そして、不平等に我慢を強いる社会に静かに怒っている。
「だから、心から慕ってくれる誰かを独り占めしたくなる」
きっとこの人は、全部分かっている。
その上で、何か裏で動いている。
『……なるほど、』
シハイが呟いた。足を組み替える。そして、僕をまっすぐに見る。今までとは違って、対等に。
『こうやって捕まったのは、先人たちより僕が馬鹿だったからだと、諦めがついてきたように思ったんだけどね』
それからシハイは、『自分の心を他人から解説されるのは、こんな気分なのか』と呟いて、ティーカップに手を伸ばした。
『そうだね、たまには素直になるのも悪くない』
「……」
『そんな目で見ないでくれ、私だって、ずっと気を張っているのは疲れる』
シハイは肩を竦めて、僕を、いや僕の後ろを見た。警備員さんが身じろぐ気配がした。シハイは言葉を続ける。
『もうずっと、ここに居るのも飽きた。知識を深めるのは面白いけど、不老長寿の薬の作り方も、宇宙の原理も、あいつらのいる世界にもたらすのはなんか嫌だ』
理知的な瞳に、感情が宿った。大人らしい複雑な感情ではなく、子どもらしい単純でエネルギッシュな感情。
『子どもっぽいだろ? お前がいるからかな、レイ』
「知るか」
警備員さんが、応答する。
『はは。自分でも驚いてる。ここまで素直にしゃべったのはいつぶりだろうな』
そしてシハイは、ティーカップに口をつけて、一口、飲み下した。
一緒に、彼の素直で子供っぽい部分が、腹の中に仕舞われていくように感じた。
『さて。古来、不満のある人間が社会を倒す手段は一つだけだ』
シハイが大人らしい仮面のような笑みを浮かべて、言う。
『戦争。最期だ、華々しく散るよ』