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正義03

 煙草を吸うやつには、妙な連帯感があった。


 はー、と白い煙を吐き出す。口内の苦みが、いい眠気覚ましになる。


 まだ日の出ていない時間帯の、路地裏。犯罪者予備軍達が息を潜めているここなら、煙草を吸っていても文句は言われないだろう。もしゴアイサツをしに来るやつらがいたら、逮捕してやれば良い。

 早速、どこからか視線を感じた。ため息をつく。これはヤクじゃないっつーの。腰に下げている「内閣総理大臣補佐官付 中毒者特別対策室 テネシー」の手帳が、嫌に重く感じた。


 口寂しくなって、また煙草を口に戻す。彼女と同じ銘柄。水色に白いラインが入っているこれを、彼女の父もまた吸っていたらしい。


 夜になると、まだ彼女を思い出してしまう。会社員時代に、一目惚れした彼女。特対の仕事中、中毒者に襲われかけた俺を庇ってくれた彼女。結果的に怪我して入院する羽目になった彼女のもとへ、毎日見舞いに行って、退院の日に好きだと伝えた。

 最初はよくある被害者の暴走だと思っていたらしい彼女も、毎日見舞いに来て、毎日話しているうちに俺に絆されてくれたらしく、「私が死んでも泣かないなら良いよ」とOKしてくれた。


 彼女は、愛情深い人だった。俺と付き合ってすぐ、特対のメンバーに俺を紹介してくれた。メンバーはそろって祝福し、そろって「福永を幸せにしろよ」と俺を脅してきた。彼女は笑っていて、俺は「言われずとも、幸せにします!」と啖呵を切った。若かった。


 それから、二人で暮らし始めた。彼女は4班、つまり中毒者の確保を専門とする班所属で、不規則に出動していったから、家事はもっぱら俺が担当した。料理は苦手だったけど、作った夕飯を食べて「おいしいね」と笑った彼女の顔を見て極める決心をした。彼女も「家事任せっきりにしてごめんね」と申し訳なさそうにしていたけれど、時間が出来たときに飯を作ってくれたりデートを計画してくれたりした。馬鹿みたいで、幸せな時間。ずっと続くと、そう思ってた。


 俺と彼女がつき合った年に、中毒者政策が始まった。特対に中毒者の処刑権限が与えられ、中毒者病棟が離島に建てられた。彼女が家にいる時間が顕著に減って、たまに家にいるときにはいつも疲れた顔をしていた。「今日は帰れるかも」というメッセージの後に、「ごめん、やっぱり無理だ」が送られることが続いた。


 俺は彼女の帰りを待ちながら、リビングのテレビでよくニュースを見ていた。だいたいの番組で、中毒者政策について報道していた。多様性の尊重のために、行きすぎた嗜好を持つ犯罪者を中毒者病棟へ入棟させる、場合によっては処刑するという制度の大枠を聞いて、別にそこまでしなくても良いんじゃないかと思った。普通の犯罪だって終身刑が一番重いのに、殺すことはないんじゃないだろうか。

 何となく、これを当たり前にしては駄目なような気がした。


 会社でも、SNSでも、中毒者政策がたまに話題に上った。でもなんだか現実味がなくて、すぐ別の話題に移っていった。だって、行きすぎた嗜好を持つ人なんて、周りにそんなにいない。特対だって、全部で三十人くらいしかいない。中毒者を逮捕するところなんて見たことない。でもふんわり、この制度は駄目な制度なんじゃないか、という空気はあった気がする。ただ、みんな行動しなかっただけで、分かってはいたような気がする。


 そして、中毒者政策が始まって2年くらいたったころ、彼女が死んだ。


 会社の会議中に知らない番号から電話がかかってきて、ちょっとイライラしながら出たら、病院だった。血の気が引いた。そのまま会社を飛び出して病院へ駆けつけた。でも、俺が到着する前に彼女は亡くなった。死因は、失血死だった。


 病院には、彼女とバディを組んでいた若い男もいた。俺は、彼に掴みかかった。「お前、あいつに何をさせた」。男は黙って、俺の手を解いた。そして静かに、とうとうと顛末を語った。中毒者を逮捕したこと。彼女は、中毒者の聴取を担当していたこと。彼女は中毒者によって、腹部を刺されて死亡したこと。俺が熱くなっても、彼の態度は冷たいほど変わらなかった。彼からは、彼女と同じ煙草のにおいがした。


 その後、彼の計らいで一度だけ、彼女を殺した中毒者と面会できた。見た目は、華奢な普通の女子大生だった。そいつを見た瞬間、冷静さがどこかに吹っ飛んで「どうして殺した!」と詰め寄った。そいつは無邪気に、「え、殺すのに理由ってある? 強いて言うなら、そこにいたから?」なんて答えた。まるで、道端の石を蹴りましたが、何か? みたいな、そんな口調で。


 呆然とした俺を、彼は中毒者聴取室から引きずり出した。「何で出した!」と激高した俺に、彼は「だってあなた、そのままいさせたらNo.730を殺しそうでしたし」と冷静に返した。彼は根気強く説明してくれた。あの中毒者は殺害欲求が強い中毒者だということ、あの中毒者をもっと知ろうと面談を担当した彼女は、その被害に遭ったということ。


 なんで、どうして、と思考が前に進まず立ち尽くしているうちに、彼は無線の呼び出しに応じてどこかへ出動していった。動けなかった。その後、数時間してようやく足が動かせるようになって、そのままふらふらと帰宅した。正直、自力で帰れたのは奇跡に近かった。


 つけっぱなしのテレビでは、中毒者の報道がされていた。彼女を殺したあいつとはまた違う、中毒者。逮捕されるときに抵抗したから、処刑されたらしい。番組のコメンテーターが「確かに危険だとは思いますが、衆人環視の中で処刑するのは本当に正しいのでしょうか。きちんと取り調べを受けるべきでは」と述べていた。


 テレビの前に、煙草が置いてあった。彼女のよく吸っていた、水色に白いラインの入った煙草の箱。俺は吸い寄せられるように近づいて、一本取りだした。そして、隣に置いてあった百均のライターで火をつけて、ギリギリ残っていた理性で火災報知器が鳴らないようにベランダに移動して、吸ってみた。


 彼女のにおいがした。


 目から、汗が流れた。誰がなんと言おうとも、汗だった。だから、彼女との約束は破っていない。彼女が死んでも、俺は泣いていない。


 きっと彼女は、愛情深かったから。中毒者にも何か理由があったのかもしれないと思って、事情聴取したんだろう。実際ほとんどの場合、理由があるようだったから。酒に酔った彼女が、たまに俺に話してくれたように、どうしようもなく中毒者という名称を受け入れた人も、大勢いたようだったから。


 でも、世の中には確実に、病棟に閉じ込めて出してはいけない人間がいる。


 そう、あいつみたいに。



ーーー


 ガタン、と音がして、感じていた視線が外れる。


 俺は息をついて、夜空を見上げた。ボロいビルに歪に切り取られた夜空。今日は月も見えないらしい。


 吸っているのは、水色に白いラインの煙草。


 あの後、俺は会社を辞めて特対に入った。短い黒髪をロングの長髪ポニーテールにして、ヘラヘラした態度で出勤すれば、特対メンバーはまるで初めて会ったかのような対応をしてくれた。でも、彼女の写っていた集合写真をさりげなく別のものに変えたり、デスクの位置や所属班を彼女と同じものにしてくれたり、した。

 大人の良いところは、間違っている行動も、やろうとすれば平気でできてしまうところだ。半分復讐のような、半分「全ての中毒者には理由があるかもしれない」という彼女の意思を継ぐかのような、相反する理念で動いている俺は、多分そのうちぶっ壊れる。でもそれを俺は選んだし、誰もそれを止めない。そこは大人の自由だった。


 煙草を吸う。吐く。煙が、夜空へ昇っていく。煙草は体に悪いと煙たがられるこの時代、時代の風に逆らうようにヘビースモーカーだった彼女は、煙草を吸う人を見つけると、いやそれ以前に煙草の煙を見つけたら即、千載一遇とばかりに駆け寄っていった。


 今まで生きてきて、両手の指に収まるくらいしか喫煙者を見たことがないが、喫煙者には妙な連帯感がある。煙草の火を借りるときとか、吸い終わって出ていく瞬間とか、無言で視線を交わして通じ合っている。それが羨ましくて煙草を吸ってみたこともあったけど、苦くてけむくて、よっぽどのことがない限りヘビースモーカーにはなれないと思った。


 煙草の煙が、夜空へ高く、高く昇る。

 天国が、空にあるとしたら。彼女は絶対天国に行くから、きっと空にいる。


 煙草を吸っている人が、ここにいるよ。





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