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02

 化粧中の女性は、邪魔してはいけない空気を纏っている。


 僕は、アクリル板の前にパイプ椅子を置いて座った。アクリル板の向こうでは、大手家具販売店で売られていそうなどこにでもあるようなドレッサーの前で、大学生くらいの女性が口紅を塗り直している。ピンクの口紅。唇を擦り合わせて「んぱ」っとやって、「よしっ」と小さく呟いた女性は、そのまま立ち上がってこちらに歩いてきた。


 『お待たせ。でもメイク中の女の子をそんなにまじまじ見ちゃ駄目だよー』

 「・・・・・・失礼しました。すみません、そういうのには疎くて」

 『ううん、これから気をつけてねっ』


 アクリル板の前に置かれた、食パンの形をした大きなクッションに座る彼女。「それ、食パンですね」と聞けば、『うん。サークルの同期が誕生日にくれたんだ』と返事が返ってきた。最近は会話の難しい面談相手が続いていたから、自然にコミュニケーションがとれそうなことに安堵する。と、何やら後ろから視線を感じて振り返った。警備員さんが腕を組んでこちらを見ている。えっと・・・・・・、タイマーか。そっか、これも中毒者との面談に入るのね。


 「はい、では、面談を始めます。いまからあなたにいくつか質問をします。答えたいように答えて構いません。その成果を、中毒者治療の研究へ使用します。拒否権はありません」

 『はーい』

 「あなたの番号を、教えてください」

 『No.730、通称ミナ』

 「生年月日は?」

 『2142年6月9日』

 「同定できました。ありがとうございます」

 『いーえ』


 手をひらひらと振って笑う彼女は、普通の女子大生に見える。うっすら茶髪に染めた髪の毛が器用に編み込みされてある、上品なワンピースを着ている、都会の街を歩いていそうな大学生。


 「じゃあ、あなたは何の中毒でしょうか」

 『私は、殺生中毒だよ』


 そんな普通の女子大生が、大量殺人鬼だなんて、そうそう思わないだろう。



 中毒者No.730、通称『ミナ』。

 2160年9月14日、連続殺人犯として逮捕された、当時19才の女子大生である。



 当時捜査されていたのは、彼女の学生寮の最寄り駅周辺での連続殺人事件。容疑者に上がった彼女の取り調べが進むにつれて、彼女には当該殺人だけではなく、大量の余罪があることが発覚した。

 彼女は、毎日のように何かを殺していた。誰にも気づかれていなかっただけで。


 「あなたの中毒症状について、具体的に教えてください」

 『えー、そうだな。何かを殺したいっていう欲がとても強いって感じかな。食欲、睡眠欲、性欲にプラスして「何かを殺したい欲」がある感じ』


 ミナが指折り数えながら言う。

 僕にはそんな欲はない。でも資料を読んだときから、何かを殺したい欲ってどんな欲なんだろうって興味があった。その辺りはあまり詳しく書かれていなかったから。


 「何かを殺したい、というのは?」

 『そのままだよ。何かを殺したい。虫でも、犬でも、人でもいい。一日に一回くらいは殺したいな。そうしないと、えーっと、お腹がすごく空いたときとか、すごく寝てないときとかと同じような気分になる』

 「すごく、……何かを殺したくなるってことですか?」

 『そう。お腹空いてるときとか、たんぽぽでも見つけたら食べたくなるじゃん? 睡眠不足の時とか、肌のコンディションも性格も終わるし。そんな感じ』


 今は肌つやも良いし、明るくて話しやすい。ミナの居室には、毎日何かしらが差し入れられると資料に記載されていた。虫の時もあれば、猫の時も、鳥の時も、魚の時もある。居室にいれば食べたいものは希望すれば出てくるし、いくらでも寝る時間がある。彼女のコンディションは最高なのだろう。

 「そうなんですね」と言いながら、他に何を聞こう、と考える。まだ事情や事件背景がわかっていない中毒者との面談等の例外を除けば、面談の目的は主に、面談相手の考えを理解すること、話し相手になってストレスを解消すること、健康状態を見ることの3つ。ミナにはストレスもなさそうだし、健康状態も良好だ。ミナの考え方も、資料に載っていた「何かを殺したい」という欲以外はそんなに変わっているようには感じない。


 思考のピースはそろっていたし、完成形も見えている。今日の面談は早く終わるかも。


 「じゃあ・・・・・・。あなたの入棟のきっかけになった事件のことについて、教えてください」

 『はぁい。えっと、たしか駅前で、三日連続で殺した事件だった気がする。何を殺したっけ、えっと・・・・・・』


 頬に手を当てて、しばらく考えるポーズを取る彼女。そして『駄目だ、思い出せない。心理研究員さんの資料に書いてあるでしょ? 別に聞かなくても良いんじゃないの~?』と口をへの字に曲げて言った。


 「え、自分が殺した人のこと、覚えてないんですか」

 『あ、そっか、殺したの人だったか』


 ぽん、と手を打つミナ。え、そこから?


 「人以外を殺しても事件にならないでしょ」

 『なるよ~、ワンちゃん殺して置いといたら、パトカー来て大騒ぎになったことあるもん。中学の時』


 『あれから、殺したのを隠すようになったんだよね~』と明るい声で話す彼女。トーンと内容が合ってない。


 『で、殺した人、ね。うーん・・・・・・一人は子供だった気がする。死体を運ぶとき、ちっちゃくて楽だなって思ったから』


 『おじいちゃんおばあちゃんの方が、殺すのは楽だけどね。騒がないし、力も弱いし』なんて笑う彼女を見て、確かに、と頷いた。


 「骨密度とか筋肉量も違いますしね」

 『そう、子供だと声も大きいしさ、大人しい子狙えばそうでもないけど』

 「殺すのって、快感ですか?」

 『ううん、快感っていうよりは、やらないと生きていけないって感じ』


 『寝るのと一緒。やりたいことが沢山あるとき、寝たくなくて徹夜したりするじゃん? 私もやりたいこととかレポート溜まってるときには、寝る暇も殺す暇もなかったりするんだけど。レポート終わった瞬間、殺して寝る。殺したらメンタル回復するし、寝たら体力回復するし』


 『で、サークルのメンツと遊ぶまでがレポート明けの恒例行事だったな。楽しかった』

 「やっぱり殺すのは、人の方が良いですよね」

 『ね! あぁ思い出した、捕まったときもレポート明けだ。二徹してたから、隠すときにぼろが出ちゃって捕まったんだ。あーすっきりした!』


 資料を確認した。確かに、三件目の殺害現場と思われる場所には少量の血痕が残っていた。

 彼女は殺した後、跡を残さない。バレるから。殺せなくなることは、食べられなくなること、眠れなくなること、つまり死ぬことと同義だから。

 しかしその現場に残された血痕が、行方不明者届が出された会社員のものと一致した結果捜査が進行し、バレた。


 『あれはミスった。やっぱ二轍は駄目だね。それにあのとき、三日も人殺してなかったし。その前に殺したのが人だったからまだ良かったけど、虫とかだったらもっと杜撰に証拠隠滅してたよ』

 「だよね、会社員を殺しちゃったのもミス」

 『そう、いつもホームレスとか家出少年とか狙ってたのに! よりによって、いなくなったら誰かが探しそうな人を選んじゃうなんてね』


 殺したものは、様々なところに隠せる。山も、海も、廃屋も、人が来ないようなところに置けば、意外と見つからないものなのだ。

 大学生という身分も、とても使いやすい。単発バイトやリゾートバイトをに応募すれば、いろんな場所までタダで行ける。コンビニ、ピザ屋、ファミレスなんかはどこにでもある。ひとところで10人殺せば異常だが、色んなところで3人ずつ殺されても偶然の一致で済むのだ。


 だって、しょうがないよね。お腹が空いたら食べたくなる。眠くなったら寝たくなる。殺したくなったら殺したくなる。至る所にレストランもホテルもあるのに、殺せる場所がないの、おかしくない?


 あ、おかしいとされてるのは、私の方か。私は全然おかしくないのにね。へんなの。



 ガンっ!


 「痛っ!」


 え、何? 急な衝撃に、頭を抑えて後ろを振り返る。警備員が手をチョップの形にして掲げていた。え、チョップされた?


 「答えろ。お前は誰だ?」

 「え? 私? 私は」


 ガンっ!


 「いたい! 痛いです!」


 警備員さんがもう一度チョップした。何?! 2回目?!


 「お前は誰だ?」

 「僕は、心理研究員の中村心です」


 警備員さんの青い目が、僕を射貫く。


 「今は何年何月何日?」

 「2163年11月20日」

 「お前の面談相手は?」

 「ミナ、No.730」

 「よし」


 それだけ言って、僕を放って後ろの壁へ戻っていく警備員さん。え? 何だった、今の?


 タイマーを見る。残り5分くらい。あぁ、面談の途中だ。面談やらないと。


 「それで、何の話でしたっけ・・・・・・」


 え?


 『うん? どうしたの、心理研究員さん』


 アクリル板の向こうで、首をかしげてこちらを見るミナ。

 今まで、僕、どういう風に考えてた?


 「殺すのは、おかしいことじゃない?」

 『え? うん! おかしくないと思う!』


 目をきらきらさせて答える彼女。


 「だって、みんなお腹が空いたら食べるから」

 『そう、殺しちゃ駄目とか言っておいて、普通に殺してるじゃん。しかも意識せずに』

 「だったら、別に殺したっていいよね?」

 『うん、だって殺すことって、普通のことでしょ?』


 ぞっとした。僕、さっきまで人を殺すことが普通だって考えてた。むしろ、殺すことが禁止されているこの社会がおかしいと思っていた。


 『心理研究員さんも分かってくれたんだ! そうそう、取調中に特対の人を一人殺したんだけど、それでもっと刑が重くなったみたい。何でだろうね、そもそも刑を科すこと自体おかしいのにね』


 境界線が、曖昧になる。


 『どうして殺した! って怒鳴り込んでくる人もいたし。殺すのに理由ってある?』

 「すみません、面談はここで終わりにします」

 『えー! まだ時間あるんじゃないの。タイマー鳴ってないよ』

 「ごめんなさい、ちょっと調子悪いので」


 立ち上がって、パイプ椅子をたたむ。


 『もー、最近何か杜撰じゃない? 差し入れもずっと虫ばっかりだし!』


 彼女の声が、脳みそにまとわりつくように聞こえる。

 耐えきれなくなって、パイプ椅子を抱えたまま、ダッシュで離れた。少し遅れて、僕を追いかける警備員さんの足音。足音が追い付いたとき、耳に何かがかぶせられた。


 何だろう。頭が働かないままぼーっとしていると、誰かにパイプ椅子を取り上げられて、そのまま手を引かれる。そちらへゆっくり目線をやると、警備員さんがいた。引っ張られるまま歩く。耳のあたりを触れば、ゴツゴツした感触。防音用のヘッドホンか何かかな、なんて思った。

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