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02

 久しぶりの、沈黙。


 僕も、警備員さんも、男も何も言わないで、ただお互いを見ていた。




 『……ううん、俺は「ロクロウ」だよ』




 少しして、男がはっきりと返す。色白でぽっちゃりした顔立ちが、不意に鋭くなったように見えた。




 「……じゃあ、どうして自分の名前の由来を知らないんですか」


 『だって、勉強ばっかだったし』


 「小学校の時の宿題で、自分の名前の由来について作文を書く、というものがありましたね。お母さまが保管されていました」




 僕は、資料ファイルの中から数枚の原稿用紙を取り出した。題名は「ぼくの名前」。筆跡鑑定の結果、「六郎」の字であった。




 「ここには、あなたの名前の由来が書いてあります。当時ご存命だったお祖父さんが一郎、お祖父さんの弟さんが七郎、お父さんが五郎だった。だから、それらを省き、また死を連想させる四も省いて上から順に名前をつけた。家族の中にそういう決まりごとがあった」




 まるで先程までの彼のように、相手に話す隙間を与えないように喋る。話す隙間を与えたら、口達者な彼に言いくるめられるだけだ。




 「こんな物を書いたのに、覚えていないんですか」


 『覚えてないね。他に覚えないといけないことがたくさんあったし』


 「じゃあ次。三郎さんが拾ってきたもの。こちらに写真があります」




 そう言って、アクリル板に写真をぺたりと押しつけた。その中では、制服を着た「六郎」の兄:三郎が、ウーパールーパーを手の平にのせて満面の笑みを浮かべていた。




 「三郎さんが高校三年生、あなたが高校一年生の時、三郎さんが引っ越していく友達からウーパールーパーを引き取った。三郎さんに頼まれて、名前はあなたがつけましたね?」




 三郎さんに送ったメールの返信。「私はネーミングセンスがないので、六郎につけてもらいました。ウーパールーパーから取ってルパちゃん。存命です」。




 『……えー、そうだったっけ?』


 「そうです。三郎さん曰く、六郎は初めて名付け親になる、とはしゃいでいたと」


 『忘れちゃった』




 手が落ち着きなく動き回り、彼の座っているパイプ椅子がギシギシ揺れる。のらりくらりと躱しつつも、何かを期待しているような目で僕を見る、彼。




 「あなたは、全部忘れてしまったんですか?」


 『うん。そうなるね』


 「それは、確率的にはあり得るかもしれませんが、普通に考えたらありえないですよね。そこで僕は一つ、仮説を立てました」




 ぴっ、と一本指を立てる。




 「『ロクロウ』と『六郎』が別人である可能性です」




 ……少しの間。




 アクリル板越しの彼が、クスッと笑った。




 『えー……。別に反論してもいいけど、君、他にも証拠用意してるでしょ?』


 「……はい」


 『だよねー、証拠集めてから詰めるよねー』




 そして、大きなあくびをする。


 さっきの落ち着かない様子とは打って変わり、『喋るのだりぃ』と言ってパイプ椅子にだらりと腰掛ける。




 『よく分かったねー、キューサクでも1回目の面談では騙されてたのに。どこから分かったの?』




 どう言葉を返そうか、と考えあぐねている僕を見て、彼は再びくすっと笑った。




 『いーよ、教えてあげる。どうせ、知られるのも時間の問題だしね』




 『ただ、政府への報告書には上げないでね?』と小首を傾げる彼。急に別人のような雰囲気を纏う彼にびっくりしながらも、僕は一つ頷いた。振り返って警備員さんを見る。いつも通り腕を組んで待機していた警備員さんも、首肯を返した。




 『えー、何から話そ。えっと、昔々? いや、二十年とちょっと昔、一人の男の子が生まれました。人よりちょっとだけ裕福な家に生まれて、人よりちょっと器用だった。だいたいのことはちょっと練習すればすぐできた』




 だらっとした体勢のまま、唐突に話し出す彼。まぶたが半分閉じかけている。なんとなく、本来の「彼」は多分こっちなんだろうと思った。




 『男の子は言われるがまま勉強して、良い成績を取って、言われるまま大学に行ったんだけど、大事なことに気づいたんだ。やりたいことが分からない。何の適性があるか分からない。だから一つ一つ試すことにした』




 『もちろん大体のことは出来ちゃったし、好きにも嫌いにもならなかったから、この国を飛び出していろんなところを巡ったよ』と話す彼。脱力した体勢のまま、唇だけが動く。




 『で、紛争地帯に行ってみた時に、一人の男と出会った。偶然にも同じ年、月日に生まれて、偶然にも同じように適性を探して放浪している男。最初は関わる気なんてなかったけど、あっちが喋って構い倒してくるのに絆されて、大怪我したあいつを思わず助けてしまった』




 そして彼は、お腹を押さえた。傷跡のある箇所。資料に「まだ、たまに痛むらしい」と記載のあった場所。




 『あいつが目を覚ましたとき、あいつの実家から「相続会議があるから帰ってこい」って連絡があって。あいつは俺に、自分の代わりに実家の会議に出てほしいと依頼した。しばらく考えたけど、それを受けた。もしかしたら俺には、他人を真似する才能があるかもしれないと思ったから』




 『あとは資料に記載の通り』とだけ言って、ぴたりと口を閉ざす彼。想像通り、報告書に記載されている「六郎」と目の前の「ロクロウ」は別人だった、ということでいいのだろうか。「ロクロウ」を理解するためのピースが揃っていく。でも、まだ足りない。




 もっと、もっと教えて。そう逸る気持ちを抑えて、僕は一つ深呼吸した。


 吸う。吐く。面談は僕の趣味じゃない。……よし。




 「これは、『六郎』さんに言おうと思って、準備していたものなんですけど」




 彼は、すいっと視線だけを動かして僕を見た。『……なに? 一応僕も「ロクロウ」だけど』透明な目が、僕を見つめる。感情が読めない。目で語ってくる警備員さんとは真逆のタイプだ。




 「僕が分析してみたところ、六郎さんは家族にコンプレックスを抱いている、という結果に落ち着きました。自分の気質と異なる家族への、疎外感のようなもの。異質な自分は家族に愛されていないんじゃないか、という不安感のようなもの」




 彼は黙って話を聞いている。興味があるのか、退屈しているのか、そもそも体調は良いのかすら分からない。




 「でも本当に、家族に愛されていなかったんでしょうか?」




 僕は、問いかけてみた。




 「実は僕、面談の前に中毒者のご家族に連絡を取っているんですが、僕が中毒者病棟の職員だと分かると電話を切られてしまうんです。どこの家庭もそうでした。でも、六郎さんのところだけは違ったんです」




 だらりと垂らされた手が、ピクリと動いた。




 「僕の所属先を聞いても真摯に対応してくださって、僕の質問すべてに答えてくださいました。その上、『六郎は大丈夫ですか?』なんて心配もされていて」




 透明だった表情が僅かに動く。唇の端が引きつったように小さく動いた。




 「だから、思ったんです。勘当されたのに相続の連絡が来たのは、本当は勘当なんてされていなかったからじゃないか。家族を公表しなかったのは、子供たちがどういう未来を選んでもいいようになんじゃないか、って」




 恐ろしいほど静かに、時間が過ぎる。彼は僕から視線をそらした。




 『そうかもね。でもさ、それは俺に言ってもしょうがないんじゃない』


 「そうかもしれません。でも、そこから見えてくるものもあります」




 僕は、彼のお腹の傷を手で示した。古傷。今だに痛む傷。




 「その傷、本当は負わなくてもいい傷だったんですよね? 六郎さんを真似るためにつけた」


 『そうだよ。痛かったけどね』


 「でも、あなたは痛いのが好きではないのでは?」


 『うん、嫌い。痛いのも怠いのも』




 最小限の動きで頷く彼。




 「痛いのも怠いのも嫌いなのに、何で傷をつけたんですか?」


 『……真似る、ため』


 「何で、嫌なことをしてまで真似たいと思ったんですか」


 『……』




 沈黙。相手は、思案するように目線を上に向けて黙る。表面的な答えは、「人を真似る才能があるかもしれないと思ったから」。でもきっと、奥底の答えは。素の彼が垣間見えて、集まったピースが答えを導く。




 「羨ましかった、んじゃないですか」




 彼は、きょとん、とした表情でこちらを見た。


 ぱちぱちと瞬きをする。先程までより、どうしてかずっと幼く見えた。




 『うらやまし、かった?』


 「うん、きっと」


 『どうして?』




 小首を傾げる彼。ずっと流されるまま生きてきて、痛いのも怠いのも嫌で、だったらきっと感情が大きく動かされることも苦手で。だから、やりたいことはおろか、やりたくないことも見つからなくて。




 「『父親の会社で働く』というたった一つのことでも、嫌いなものがある六郎さんが羨ましかったから」




 紛争地帯で二人で過ごすうちに、お喋りな六郎は大体のことを話したのだろう。羨ましかった。何をやっても何とも思わない自分と違って、少しずつでも好き嫌いが出て、少しずつでも前に進んでいる六郎が。




 「だから自分も六郎の真似をすれば、前に進めるんじゃないかって」






 前に進めないのって、苦しいよね。






 自分と似ている六郎が、けれど自分と違って少しずつ前に進んでいけているなら。僕も、六郎みたいになれば、自分のやりたいことが分かるようになれるかもしれない。六郎の話し方を、態度を、表情を真似れば。腹に傷をつけて、同じ家族に囲まれれば。






 ぽかーんとしたまま、こちらを見ている彼。自分の気持ちが分かっていないときの顔。




 でも彼は聡いところがあるから、僕の言っていることが正しいかもしれないと、気づいて受け入れることができる。




 『うらやまし、かった』




 言葉を覚えたての子供のように、復唱する彼。視線を落として、手を握ったり開いたりしていた。




 『そうだね、羨ましかったのかもしれない』




 そして、パイプ椅子から立ち上がる。ゆっくり歩いて、こちらに来る。




 『羨ましかったから、ここまでやった。うん、しっくりくる。でもさ、ここまでやったけど、僕は全然前に進めてない。そんなに言うなら教えてよ』




 アクリル板越しの彼は、僕の目の前に立った。そして、ガンッとアクリル板を殴りつける。






 『ねぇ、僕って何?』






 迷子の子供のような目だと思った。






 『なーんってね! びっくりした? ごめん! 研究員さんももう面接終わりの時間でしょ? ほら、警備員がタイマー持ってるよ〜』




 瞬間、さっきまでの空気が霧散して、お喋りなロクロウが戻ってきた。手があっちへ行ったりこっちへ行ったり。指さす方向を見れば、警備員さんが0になったタイマーを掲げて見せていた。いつの間に。ってか、もう30分以上経ってるじゃん。




 『あーそうそう、僕は間違いなくロクロウだよ。過去はともかく、捕まって番号と通称つけられたのは僕だから! うんうん、間違いない』




 さっきまでとは違い、軽やかに動き回るロクロウ。うんうん、と頷いていたかと思えば、こちらを見てぱっと笑顔を浮かべた。




 『じゃーね、心理研究員さん。長居しちゃダメだよ。僕は……そうだな、壮大な進路迷子だと思えばいい。心理研究員さんだって、進路に悩んだことくらいあるでしょ? それの凄い版』




 ロクロウは、こちらを見て、早く去れよとばかりににこにこ手を振った。


 迷子の子供のような目を、笑顔の裏に隠して。







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