『あ、やっほー』
気の抜けたような声で、アクリル板越しに手を振る若い男。
僕は、ぴ、とタイマーを押した。
対面には、古いパイプ椅子に座って落ち着き無く辺りを見回す面談相手。色白でぽっちゃりしたその男は、書類にあった写真とは印象が全く違っていた。
「え、っと」
『あぁ、最近大食いの才能があるか試してたら、ちょっと太っちゃって。でも残念ながら、俺に大食いの才能はなかったみたい。普通の量食べたらお腹いっぱいになっちゃって・・・・・・。あ、心配しないで、食べなかったらきっと元に戻るよ。せっかくだし、この機会に絶食の才能があるかも試してみようかな、なんてね!』
だるだるの灰色のスウェットをめくって、腹の肉をつまみながら言う男。座っているパイプ椅子がキシキシ音を立てる。書類の写真にある、痩せて日に焼けた青年とは随分とかけ離れていた。
『きみが、新しい心理研究員? 若いね。20歳前後? いや、きみは童顔だからなぁ……26才くらいでどうだろう?』
「はい、そうです」
『やりぃ! そっか、キューサクの後釜かぁ……。あ、そう言えばココナちゃん元気してる? 放火中毒の。あの子、元気よくて良いよね。なんだっけ? 最後には自分ち焼いて、楽しくなって笑ってたら不審がられて逮捕されたんだっけ。クレイジー!』
よく喋る。資料に赤文字で「よく喋る」と書かれていたから相当喋るのだろうと思っていたが、予想を遙かに超えたおしゃべりだ。
居室に閉じ込められて、人との交流もなくだんだん無口になっていく中毒者が多いというのに。2年前に入棟してから、ずっとこのテンションなのだろうか。
『あぁそれからケイスケは? あの薬物斡旋中毒の。あいつ、シハイに憧れちゃって髪型似せだしたんでしょ? ないわー。あいつはマッシュ一択だろ』
「えっと、」
『いくら人が薬物に溺れる姿を見るのが楽しくても、まず対象にヤクを飲ませられるかが難しいんだっけ? それならシハイは得意そうだよなぁ』
「あの、」
『俺も前、薬物飲んで、いや吸って? みたんだけど。フワフワしてズーンとしちゃう以外は分かんなかった。あんまり向いてなさそうだったからやめたけど。あれ怖いね、気づいたら手、伸ばしちゃうようになってくね』
話しかける隙がない。
いつものように後方の壁で待機している警備員さんを見る。諦めたように首を振っていた。同定しなくていいの? そいつには無理だからそれより面談しろ? はい。
「で、」
『そうだ、薬物と言えばイトハちゃん! 新しい毒とか作ったりした? あの子、作った毒を人に試させるんでしょ? 俺、実験台になるよ!』
「はぁ、」
『いいよね、もしかしたら俺、その毒に耐性あるかもしれないし! そしたら、俺、対毒の才能開花かも? よぉし、ね、イトハちゃんに聞いてみてよ』
ただ一方的に話される。まぁ、それも面談の形としてはありなんだけど。僕としてはできればコミュニケーションを取りたい。
『ねえねえ、じゃあさーー』
「No.557、No.713、No.1108は全員死亡した。焼身自殺、縊死、服毒自殺だ」
男の声を、警備員さんのよく通る声が遮った。男は一瞬、目を丸くして口をつぐむ。しかし黙ったのはその一瞬だけで、次の瞬間からまた喋り始める。
『そっかー、最近みんな死んじゃうの早くない? 脆くない? 何、病棟に入ったら精神的に追い詰められちゃうの? あ、でもココナちゃんは燃やせないなら死んだほうがマシって思うかな』
警備員さんが僕に目配せする。この人の話を遮るときは、大きな声で一気に、ですね。了解しました。
『そう考えると、イトハちゃんも毒を試せないから毒作りが楽しくなくなったのかな。服毒自殺なら自分で飲んで試したのかもなぁ。そしたら自分の毒が成功したって分かって死ぬから幸せか?』
「どうして、他の中毒者のことを知ってるんですか?」
警備員さんの真似をして、大きな声で一息に聞いてみる。男はぴたりと動きを止めた。急な沈黙。
「どうして、あなたは他の中毒者の様子を知っているんですか?」
もう一度尋ねる。中毒者の居室同士は異常なほど離れていて、相互に影響を及ぼせないようになっている。心理研究員も、他の中毒者の情報を中毒者に漏らさないように徹底するよう言われていた。
男は動きを止めたまま、目をぐりん、と動かして警備員さんを見た。僕もつられて警備員さんの方を向く。警備員さんは首を振っていた。
どういう意味?
『……なーんだ、知らないの? じゃあ普通の心理面談じゃん。つまんな』
男はわざとらしく口を尖らせて、パイプ椅子をブランコを漕ぐように揺らした。ぼろぼろのパイプ椅子は断末魔をあげているように軋む。
『中毒者の情報はねぇ、キューサクに教えてもらったんだよ。俺が知りたいってねだったら教えてくれた』
キューサクが? 確かに逸脱している人だと思うけど。心理研究員という制度の基礎を作った人が、どうしてそれを破るのだろう。
『じゃー適当に話すね。心理研究員さん、中毒者の人生を知りたがるんでしょ? キトクだよね。あぁ、影響されやすいんだっけ。いや、知るのが好きなのかな? だからかな』
それは、どっからの情報だ?
『僕はNo.696、通称「ロクロウ」。2137年3月9日生まれの今26才。逮捕・入棟は2161年5月25日の当時24才。俺は結構有名な家、研究員さんも聞いたことあるんじゃないかな? 大手石油メーカーの社長の家に生まれたんだ』
資料に載っていることを、自分から語りだす男ーーロクロウ。確かに資料を見たとき、あの有名な社長のご子息が! とびっくりした。
ご子息のことは存在程度、どこでどう過ごしているかなんて一切メディアで報道されていない。だからこそ衝撃で、社会の裏側のようなものが感じ取れた。
『有名で裕福な家庭だったから、跡継ぎを作るぞ! みたいな感じで子供も多くて。俺は4人兄弟の3番目。ちっちゃな頃から家庭教師をつけさせられて、やたら数学や経営学、マーケティングを教えられた』
まるで資料を読み上げているかのように話すロクロウ。今のダルダルスウェット姿からは想像できない幼少期。
『でもさ、人って反抗期があるじゃん? 俺も高校の時、反抗期が来て。っていうより、何もかも嫌になったのかな? 兄達がコピーしたみたいに親父の会社に入って、朝起きて働いて寝て朝起きて、を繰り返しているのを見て、俺もそうなるんだなって察して、嫌になった。自分が頑張っているのは、そうなるためなんだって急に実感して、全部投げ出したくなった』
ロクロウは遠い目をしながら語る。経営者一家に生まれたからこその苦悩、というやつだろうか。伝統芸能然り、世襲企業然り。どれだけ人権が叫ばれるようになったとしても、どうしようもないところは存在する。
『でさ、万引き、してみたんだよね。いや、しちゃったのか? もうどうでもいいやって思ったら、気付いたら万引きしてたような気もする。ぼーっとしてたから、お金を払うのを忘れてた気もする。でも、わざと万引きした気もする。万引きしても俺が家族に受け入れてもらえるのか、試してみたかった気もする』
遠くを見ているような目はそのまま、ロクロウの手は落ち着きなく動く。腕を組んだり、膝の上に頬杖をついてみたり、指でパイプ椅子をトントン叩いたりしている。
『まぁ当然っちゃ当然だけど、こっぴどく叱られて。その後ずっと、家族とはどこかよそよそしく過ごして。で、これはたぶん普通の家とは違うんだけど、大学を出た後に勘当された。もう名字を名乗るな、会社の弱みになるな、って。多少のお金を持たされて、放り出された』
勘当。そういうことも、あるのだろう。僕自身は一般的な家庭で育ったから、なんともいえないけど。
言っていることの悲惨さの割に、ロクロウの声は明るい。表情もあっけらかんとして、嬉々として喋っているように感じた。
『でも、僕は嬉しかった! ずっと勉強ばっかだったからさ。兄達みたいにあくせく働くのは向いてないって思ってたから、自由に将来が選べるようになって楽しかった。俺には、たくさん可能性がある! 片っ端から試してみた。アートの才能、漁の才能、医療の才能、文学の才能。どれもとっても、とっても楽しかった』
ロクロウの目は、本当に楽しそうにキラキラ輝いていた。『それにマラソンの才能、歌の才能、マネジメントの才能……』と指折り数える姿は、まるで将来の夢を探す小学生のようだった。
『でもさ、どれもとっても楽しかったんだけど、あんまり向いてなくて。いったん、世界に飛び出してみた。あっちこっち行って、いろんなことをしてみたんだけど、あんまりビビッと来るものはなくて。で、その流れで紛争地帯に行ってみた』
ロクロウが、手で鉄砲の形を作って、ばーんと僕に向かって撃つ真似をした。紛争地帯。未だに人が武器で争っている、誰も近寄りたがらない地域。
『でさ、紛争地帯では当然、人が人を殺してるわけよ。初めて見たときは衝撃だった。人って、こんな簡単に死んじゃうんだって。で、また思った。僕に、人殺しの才能はないのかな? って』
ロクロウのパスポートの渡航歴。他の場所は数日~1週間ですぐ移動していたが、紛争地帯には1ヶ月間滞在していた。
『僕は、人を殺してみた。簡単に死んだ。本当に簡単だった! で、面白くなってその横の人も殺してみた。死んだ。僕には人殺しの才能がそこそこあった。毎日どうやって殺すか考えて、殺して、フィードバックして、また次の標的を探す。あの時は本当に楽しかったなぁ』
まるで、遊園地での思い出を語るように紛争地帯での思い出を語るロクロウ。ロクロウの逮捕後に、事実確認が行われた。紛争地帯での殺害数は少なくとも216人。少なくとも、だ。ロクロウは敵味方第三陣営問わず、屍を積み上げた。
『だけど、僕に人殺しの才能はそこそこあったけど、すごくあったわけじゃなかった。ある日、めちゃめちゃ強い人に殺されかけた。一瞬で血がぶしゃって出て、死ぬかと思った。死ぬかと思いながら、これが本当の人殺しの才能なんだろうな、って強制的に解らされた』
『殺される才能はいらないよね、だって死んじゃうもん!』と無邪気に言うロクロウ。手はぷよぷよした腹のあたりを触っていた。逮捕時に、大きな傷跡が確認された場所。
『それでさ、お人好しなやつに助けてもらって。これからどこ行こうかなってぼーっと考えてたら、実家から帰還しろって連絡が来た。親父が死んだから、跡継ぎを決めろって。紛争地帯に連絡が来るんだよ?! すごい執念だよね』
『それから、人殺しのモチベが無くなった俺はこの国に帰ってきて、何日も続く跡継ぎ争いの会議を適当に聞いて、もしかしたらスリの才能があるかと思ってスってたら才能なくて普通にバレて捕まった。で、色々バレて、ここにいるんだよね』
ロクロウは、これで終わりとでも言うように、手をぱちん、と合わせた。
『終わり! どう? 知りたかったことは知れた? 知りたがりの研究員さん』
興味津々にこちらを見てくるロクロウ。なぜか、少し背中に冷たいものが走る。でも、この会話チャンスを逃しちゃいけない。
「あの、いくつか質問があるんだけど、いいですか?」
『質問?! それで細かいところを詰めるの? 中毒者に影響されるって、俺には影響されてるのかな? え、見た目全然わかんないんだけど、どう? レ』
「黙れ」
喋りまくるロクロウの声を、後ろからすぱっと遮る警備員さん。話が横にそれる前に、僕は慌てて声をあげた。
「あの、どうしてロクロウは六郎って名付けられたんですか?」
きょとん、とするロクロウ。
『あぁ、資料に本名載ってるもんね。えぇっと……何でだったっけ、思い出せないな』
「じゃあ、ご兄弟の名前を教えてください」
『上から二郎、三郎、六郎、八郎だよ。不思議だよね、飛び飛びで名付けるなんてさ。縁起の悪い数字でも外したのかな』
「……もう一個。三郎さんは昔、動物を拾ってきましたね。その動物は何ですか?」
『……えー、そんな昔のこと覚えてないよ。そんなのいたっけ』
ロクロウは、足を組み直した。手も先程から頻繁に、組んだりほどいたり、ほどいたり組んだりしている。
「わかりました」
僕は、手に持っていた資料をパタンと閉じた。そして、小脇に抱えてロクロウの真っ正面に歩いていく。
パイプ椅子に座った男が、こちらを見上げている。僕は、アクリル板越しにその目をまっすぐ見返した。
「あなたは……『六郎』ではないですね?」