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正義02

 「こちら特対4班、穂高。中毒者No.1327の引き渡し完了」

 『本部、了解。安全に注意して帰還されたし』

 「穂高了解」


 赤色灯が、サイレンを鳴らしながら遠ざかっていく。


 ミルクティー色のショートヘアの女は、通信を終えて堤防に腰掛けた。波音、潮の匂い。夕日が海に沈みかけて、辺りがオレンジ色に染まっていた。


 「嬢ちゃん」


 声をかけられて、女が振り向く。堤防の側に停められた車にもたれかかって、長い茶髪をくくった男が煙草を吸っていた。


 「嬢ちゃんはやめてくださいって、いつも言ってるでしょう」

 「俺からすれば嬢ちゃんだよ」


 そう言って、男は笑う。女は頬を膨らませた。


 「だから、私は穂高です」

 「山の名前の代だろ? 知ってる。でも、コードネームで呼び合うのってこっぱずかしくないか?」

 「仕方ないでしょう。中毒者から私たちを守る決まりです」


 内閣総理大臣補佐官付きの、中毒者特別対策室。通称、特対。中毒者の発見・調査・捕獲を行うそこに所属している者は、コードネームで呼び合うように定められていた。数年前までは普通に名字を呼び合っていたが、中毒者追跡中に名前を知られ、後から報復されたという事件があったらしい。

 まだこの制度ができて数年しか経っていないが、入室年度によってコードネームのジャンルが変わる。穂高は山の名前から選んでつける代、男は川の名前から選んでつける代だった。


 「なんでまた、穂高を選んだの?」

 「・・・・・・同期が名前を決めていって、有名どころがなくなってしまったので。とりあえず知っている地元の山の名前にしました」

 「嬢ちゃんっぽいね」


 男は煙草の煙をくゆらす。女は顔をしかめた。


 「やめてください。煙草は喫煙者だけでなく、周囲の人間にも副流煙によって危害を及ぼすのは常識でしょう。なんでそんなもの吸ってるんですか」

 「んー? 秘密」


 何食わぬ顔で煙草を吸い続ける男に、女はため息をついた。

 夕日が、二人を照らしている。女の頬や男の服に付着した血痕が、少しだけ目立たなくなる。


 「嬢ちゃんは、怪我してない?」

 「穂高です。無論、これはただの汚れです」

 「向こうが御老体でよかった。しっかし、今回のやつも癖が強かったよねぇ」


 「人の血液を使って絵を描こうなんてさ」と、男がぼやく。捕まえた中毒者が最後に描いていたのは、夕日の沈む海の絵。描きかけの絵の側にあった「絵の具」が、捕獲時に女と男に飛び散った。


 「はい。到底、正常に社会生活を営めるとは思えません。もっと中毒者を捕獲して、平和を維持すべきです」


 曇りのない目で言う女。腕時計を確認し、「あと十分で休憩終わりです」と男にリマインドする。

 男はやる気なさげに「へいへい」と頷くと、煙を静かに吐き出した。


 「嬢ちゃんは、偉い人の娘なんだっけ」

 「穂高です。はい。今、中毒者政策の推進事業を行っているそうです」

 「家で、話聞いたりとかするの?」

 「ええ。中毒者政策が始まったのは6年前ですが、それよりもっと前から認知自体はされていたので。仕事の話は、よく聞きましたね」


 懐かしむように目を細める女。仕事中は決して緩まない眦が、少しだけ柔らかくなる。


 「・・・・・・そっか」

 「なぜ、そんなことを聞くんです?」

 「別に」


 そう言って、また煙草を咥える男。女はきょとん、と小首をかしげて、それから手持ち無沙汰になったのか、海を眺めた。だんだんオレンジが濃くなっていく海。女のミルクティー色の髪が、潮風に揺れる。


 「嬢ちゃんはさ、どうしてその髪色にしたの」

 「穂高です。いきなりですね。・・・・・・友達に、せっかく髪色自由の職場なんだから、遊ばないと損って染められて」


 「私は黒髪で全然良かったんですけれど」と、やや恥ずかしそうに俯く女。普段の雰囲気より少しあどけなさが増して、男は、きっと学生の頃もこんなんだったんだろうな、と思った。


 「じゃあさ、例えばの話だけど」

 「はい」

 「嬢ちゃんが髪色を染められたみたいに、誰かによって犯罪を引き起こすしかなかった中毒者って、いると思う?」


 男は、あくまでも雑談口調で問いかけた。女は再びきょとんとした顔をする。


 「そんな中毒者、いるわけないじゃないですか」


 「実際、これまで捕まえてきた中毒者も、断末魔の録音を趣味にしていたり、小児性愛のくせに幼稚園で働いてたり、おかしいのばかりでしたし」とさも真理であるかのように言う女。


 「・・・・・・中毒者を捕まえてるのは、ウチの班だけじゃないでしょ」

 「でも学校で、中毒者は根本からおかしくて矯正も理解もできないものだって教わりましたし、父も友達もそう言ってましたし。現に、犯罪発生率は中毒者政策が始まって以降、年々減少しているじゃないですか」

 「あー、はいはい、分かった分かった」


 早口で並べる女に抑えて、というようなジェスチャーをする男。むっとした表情のまま時計を見て、「あ、もう休憩終わりです。テネシーさん、帰りますよ」と車に駆け寄る女。男はタバコを携帯灰皿に入れながら、「素直なこって」と小さく呟いた。


 運転席側のドアを開ける。


 (今の学校じゃ、中毒者政策のせいで見えない犯罪も増加しているってこと、教えないのか?)


 「何ですか?」


 なかなか車に乗り込まない男を、女が助手席から見上げる。男は「何でもないよ、じょーちゃん!」といつもより嫌味ったらしく言って、車に乗り込んだ。


 「だから、嬢ちゃんではないです」

 「きれいな世界で暮らせてるうちは、嬢ちゃんだよ」


 男はサイドブレーキを上げた。ほぼ同時に、『緊急、緊急。中毒者No.1330が、警察の尾行を振り切り逃走。送信された位置データの近くにいる特対班は、至急応援に向かえ』と通信が入る。


 「あ、近いですね」

 「1班のほうが近くないか?」

 「あそこは調査専門じゃないですか。尾行中ならともかく、気づかれたあとの応援ならうちの方がいいでしょ」


 「あ、真っすぐ行って二番目の交差点を左折です」とナビまで始める女。男は、今日も残業確定か、とため息をついてアクセルを踏み込んだ。

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