こんな風に、僕が犬型ロボットのイヌを遠隔操作して心理面談をしているのには理由がある。
それは、ヤヨイが「安全中毒」だからだ。
人は、誰しも安全を望み、危険なものを怖がる傾向がある。それは虫だったり、お化けだったり、高いところだったり暗いところだったりする。ヤヨイは、それがとても顕著なのだ。
資料には、ヤヨイの怖がるもの一覧が書いてあった。虫。高所。暗所。水。狭い閉所。強い光。大きな音。尖ったもの。
大体のものは怖がる。ヤヨイの怖がらないものは少ない。しかしヤヨイは最初からこれらが怖かったわけではなく、徐々に怖くなっていったらしい。
ヤヨイは、アルビノである。遺伝子変異により、先天的にメラニン色素が通常の人間より少ない。
アルビノは、強い光や日光に弱く、眩しすぎて作業が出来なかったり、日焼けが水ぶくれのように腫れたりしてしまう。また、弱視、つまりとても目が悪い。なので、暗いところでは何も見えずに不安になりやすい。
このように、アルビノは先天的に刺激に弱い傾向がある。そして、それらを避けて生活する。しかし、これだけでは「安全中毒」とは呼べない。他のアルビノの人も同じように、それらを避けて生活するからだ。
ではなぜ、ヤヨイは「安全中毒」と呼ばれるようになったのか。
『あなたは、どうして安全中毒だと診断されたのですか?』
『ん? うーん、そうだね・・・・・・。話すと長くなるんだけど』
ヤヨイはすっと視線を動かしてピグマリオンの方を見た。ピグマリオンは心得たとばかりにタイヤを動かしてヤヨイに近づき、ヤヨイにぴたっとくっついた。それを確認して、ヤヨイは続ける。
『僕、両親には恵まれたと思うんだ。僕がこんなんでも、お父さんとお母さんは僕が普通に生きられるように色々工夫してくれた。メガネや日焼け止めを用意してくれたり、室内でも屋外と同じような遊びができるようにしてくれた』
懐かしむように言うヤヨイ。そのまま、誰かを思い出すように遠くを見る目をする。
2154年生まれだから・・・・・・、今8才か。え、8才? 僕は警備員さんの方を見る。警備員さんは口の前で人差し指をクロスして、✖を作った。あ、マイクオフにしろって? 了解。
「この子、本当に8才ですか? それにしては大人びすぎてません?」
「No.831はいわゆるギフテッドだ。現在では既に成人と同等の知能を持っている。特にロボット工学の知識量と発想力が凄まじい」
すごいんだなぁ。ヤヨイがちょっと遠くの人のように感じる。
と、画面に映るヤヨイが口をひらくのを見て、慌てて面談に集中する。
『でもね、僕の両親は、ちょっとだけ楽観的な人だった。彼らは、僕を幼稚園に入れた。僕が、集団でのコミュニケーションを上手くとれるように』
そう言って、肩をすくめるような動作をするヤヨイ。余裕そうな動作の一方で、片手でピグマリオンの機体をぎゅっと、抱きしめていた。
『幼稚園に僕を入れたところで、知識量の違う僕とみんなが普通にコミュニケーションをとれるわけないのにね』
ヤヨイの両親は、確かに良い人だったのだろう。他人を信じすぎるような。みんな仲良く出来ると信じ込んでいるような。だから、僕でも分かりそうなことを、心配しなかったんだろうな。
『そのうち、姿形も中身も自分たちと異質だと気付いた幼稚園のみんなが、僕をいじめだした。かわいらしいイタズラだったよ、僕が使っていたものを取り上げるとか、皆で遊ぶときに僕を一人にするとか。でもね、幼稚園の先生たちが、それに乗っかった』
想像する。ずっと知能が発達している子どもが、普通の幼稚園にいたら。皆のヒーローのような存在になるかもしれない。でもそれは本当に稀で、大体は気持ち悪がられたり、不気味がられたりする。人は、異質なものを嫌うから。
『先生たちは、僕を好き勝手した。晴天の夏場に僕を無理矢理プールに入れて、水ぶくれだらけにした。暗くて狭いところに6時間くらいずっと閉じ込めた。別にそれくらいでは不安にならないと知れば、閉じ込めるときに音の出る機械も一緒に入れて、不定期に大きな音が鳴るようにした。弱視なのを知りながら、針が沢山落ちているところを歩かされた。夏に、虫が沢山入ったバケツに顔を突っ込まれた』
ヤヨイは、淡々と言う。大人が、辛かった過去を振り返るように。でも、抱きかかえられたままのイヌのカメラ映像が、細かく震えていた。
『最初は、耐えられた。異質な奴を嫌う気持ちは、理解できたし。でもどんどんエスカレートしていったから、僕は両親に報告した。両親も異変を察知して幼稚園の先生を問いただしたけど、幼稚園の先生は間違えました、誤りですって繰り返した。両親は、それを信じちゃった。じゃあ次からもっと強い日焼け止めを塗ろう、間違ってしまったならしょうがないね、って。僕がなんてこと無いように振る舞っていたのも、そうさせる原因の一つだったかもしれない』
ピグマリオンが、ウィーン、と音をたててヤヨイの顔を見た。画面に(´;ω;`)と表示されている。ヤヨイが震える手でピグマリオンを撫でて、『ありがとね、大丈夫だよ』と呟いた。
『僕は、あーあって思った。世の中こんなもんか、しょうがないなって。でも、僕の心と身体は、ばらばらに動くみたいで。先生たちからの嫌がらせがずっと続いたある日、身体が拒否反応を示すようになった。プールを見るだけで、足がすくんだ。暗い場所に、入れなくなった。大きな音が鳴ると気を失うようになって、尖ったものを見ると涙が止まらなくなった。虫は、出会う度全て殺さなければ気が済まなくなった』
温度の感じられない言葉。小さな身体で、一息で壮絶な内容を語る。
情報はある。ピースは沢山あるけれど、それらが造り出す像と今のヤヨイがあまりにも違いすぎる。
『でね、あの日。ともこ先生とゆうか先生が、僕を幼稚園の屋上に連れ出した。晴れた冬の日で、太陽がじりじり僕の肌を焼いた。二人は僕のメガネを取り上げて、そして僕を突き飛ばして、「あっちに向かってまっすぐ歩きなさい」って言った。あっちがどっちか、自分が今どの辺にいるのか分からなかったけど、何となく想像はついた。僕を落とそうとしてるんだなって』
がたん、と足下で音が鳴って、自分が立ち上がっていることに気付いた。警備員さんが片手でパソコンをキャッチして、もう片方の手で僕の肩を掴んでいた。
行くな、座れ。
制帽の下から覗く目が訴える。
ヘッドセットからは、ヤヨイの声が流れ続ける。
『もういっかな、死んじゃおっかな、なんて思って。それで、僕は適当な方向に踏み出そうとした。でも、つるって滑った。危ないと思って、何かを掴んだ。その何かは、悲鳴を上げて僕を、・・・・・・多分蹴り飛ばして、僕は変な方向へ飛んだ。「危ないわよ!」とか「この餓鬼!」とか言われているのを、ただ黙って見てて、・・・・・・で、そのまま二人は視界から消えた。少しして、ぐしゃって音が聞こえた』
島崎朋子、田代優花。ヤヨイの通っていた幼稚園で死亡した2人の死因は、転落死。書類上では、ヤヨイが突き飛ばしたことになっている。
当時の実況見分の写真、遺留品の写真が添付されていた。ヤヨイのメガネは、田代優花のジーンズのポケットに入っていた。ということは、ヤヨイは当時、メガネをしていなかったことになる。弱視のヤヨイが、メガネ無しで大人二人を突き飛ばせるだろうか。
ピースがそろっていく。あと必要なのは、ヤヨイの本音。
もっと知りたい。
もっと、教えて。
ヤヨイの方へ一歩、踏み出そうとした瞬間。
ふっ、と周囲の電気が消えた。
暗転。
居室・廊下問わず、真っ暗になる。停電か?
一泊遅れて、『ひっ、いやだ、いやだあ゛っ』という叫び声が、ヘッドセットを震わせた。
「チィッ」
隣から舌打ちが聞こえたかと思えば、ぱっ、と弱い光がついた。警備員さんが、胸ポケットからペンライトを取り出して点けていた。
「お前はこれ持ってろ。私は夜目が利く」
警備員さんから押しつけられるようにペンライトを渡され、呆然とする。走ってヤヨイの居室の方へ向かう警備員さん。ヘッドセットから聞こえる、ヤヨイの叫び声とピグマリオンのなだめる声。
『いやだっ、たすけて、やめでっ』
『ヤヨイ! オチツイテ!』
『だれかっ、だすけてぇっ』
涙声。警備員さんが非常電源を立ち上げたらしく、廊下がぼうっと明るくなる。けれども光源は心許なく、居室の中は真っ暗に近い。警備員さんは続いて、居室のロックを解除しようとする。しかし、居室のロックはまた違う電気系統で管理されているようで、うんともすんとも言わなかった。
「警備員さん、非常用出口!」
「もうやってる!」
警備員さんは腰に下げていた警棒で、居室の扉の右側辺りを叩き壊した。その辺りの、薄い鉄板の下にコックが隠されていて、非常時には居室を開けられるようになっている。非常時の犯罪者の出口を必ず確保しなければならないことは、国際法での取り決めの一つだ。
警備員さんがコックを思いっきり引っ張る。扉が開いた。僕は堪えきれずに飛び出した。「おい、ちょっ、待て」と言う警備員さんの声を無視して、ヤヨイの方へ走る。
ペンライトの明かりを頼りに、ロボットだらけの居室を走る。居室の中央に光っている何かがあって、たぶんピグマリオンの画面だろうと見当をつけた。
近づけば、誰かが座り込んでいるのが分かった。多分、ヤヨイだ。目をつぶって耳を塞いで、「ごわいぃ、いやだぁっ」と叫んでいる。僕は駆け寄って、そのままヤヨイを抱きしめた。
ひゅ、とヤヨイの喉が鳴る音が聞こえた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶだから」
「ひっ、いや、やだっ」
「ヤヨイ」
「やだやだっ」
ぱっ、と居室の明かりがつく。涙と鼻水でぐちゃぐちゃなヤヨイの顔が見える。
そして、ヤヨイには、僕が見えた。
「あっ、」
ヤヨイが目を見開いたまま固まる。僕をどんっと突き飛ばす。そしてピグマリオンをひっつかみ、壁際まで逃げた。
「やだ、来ないで」
「やっぱり」
僕は、少しだけ、ヤヨイに近づいてみる。ヤヨイは壁を背に、まるでピグマリオンを僕から隠すかのように、立っていた。
「いやだ、やだってば」
「・・・・・・きみは、安全中毒だ。資料には、君が怖がるものが溢れるほど書いてあったけれど、どれも普通の恐怖症の範疇に収まるものだった。どうして聡明な君が、6人も転落死させたのか不思議だった」
目に涙をいっぱいためて、膝をガクガク震わせるヤヨイ。ピグマリオンが(#゚Д゚)と僕を威嚇していた。
「きみは、人間が怖いんだね」
太陽を、プールを、暗所を、大きな音を。怖がるのであれば。その大元を、原因を、怖がらないはずがない。
「いやだ、また、ころしちゃう」
うわごとのように、ヤヨイが呟く。ヤヨイの赤い目が、恐怖と狂気を宿している。
「2人の幼稚園教諭が転落死した後、当然他の教諭が、様子を見に来たはず。その人達を、きみは、落とした。こわかったから」
「こないで、いやだ」
「人が怖い。自分に危害を加えるものは、等しく怖い。蜂を駆除するように、人を駆除したい」
僕は危害を加えないよ、とアピールするために、両手を挙げてしゃがんでみる。でも、ヤヨイの怯えようは変わらない。そりゃそうだ、僕一人がこの短時間でどうこうできるほど、浅い問題ではない。
「きみは、優しいね。そうやって僕からピグマリオンを守ろうとしている。友達や先生方も、恨んでいるというより怖いから排除しようとしている」
「ひ、っ」
「そして、賢い。その年で大人と同じ知能を持つなんて、僕には想像も出来ないくらい色んなことが見えているんだろうなと思うよ」
「ヤヨイ!」ピグマリオンが必死に名前を呼んでいる。ヤヨイに、僕から庇われながら。
「でもさ、ギフテッドって、知能は高いけど、精神的に成熟しているとは限らない」
そう、ギフテッドは、あくまで知能の早熟さを示すだけで。知識による多少のブーストはかかれど、精神年齢は実年齢とそう変わらないはずなんだ。
幼稚園生が、壮絶ないじめを受けて。良く見えなかったとはいえ、目の前で人が死んで。そして資料通りなら、自分の息子が殺人を犯したと信じたご両親が、自殺したと知って。
幼い心は、壊れる。
いや、おそらく、かなり初期から壊れていた。心は諦めているように感じるのに、身体だけ拒否反応を示すのは、心が現実を捉えるのに疲れてしまったから。
賢いからといって、自分の心を自分でケアすることが出来るわけではない。
パチパチ、ピースがはまっていく。
それは、僕の職務だ。
「本当は、ずっと辛かった」
「ひ、っう」
「幼稚園の皆と一緒に遊びたかった。いじめられるのは、悲しかった」
「ひゅ、っ」
「物わかりの良いフリをしていた。それも、辛かった」
「っ、うん」
「水ぶくれは、痛かった。暗いところだって不安になるのに、急に大きな音がして、心臓が止まるかと思った」
「うん、うんっ」
「針の落ちているところは痛くて怖かった。虫は気持ち悪かったし、苦かった。虐められる理由は分かっても、納得できなかった、どうして僕が?」
ヤヨイが、目に涙をためたままこくこくと頷く。吐け。全部吐き出してしまえ。君が吐き出せないなら、代わりに僕が吐き出すから。
「お父さんもお母さんも、僕を信じて欲しかった。やりようはいくらでもあったはずなのに、どうして簡単に先生たちを信じちゃうの」
「そうっ」
「ともこ先生とゆうか先生だって、殺したくて殺したわけじゃなかった。僕を落とそうと思って、勝手に落ちた。みさ先生も、ゆかり先生も、けんいち先生も、ゆう先生も。怖かったから夢中で、気付いたら落ちてた」
ピグマリオンが、静かになった。画面には、何の顔文字も出ていなかった。
「今でも、ぐしゃ、っていう音が耳から離れない」
「うん」
「人間が怖い。危害を加えられるかもしれないから。そして、殺してしまうかもしれないから」
「でも、」
「おかしいよね、一般的に人間は、危害を加えるものを排除して生きてきた。蚊だって、蜂だって、侵略戦争だってそう」
「なのに、」
「どうして僕だけ、ここに入れられるんだろう」
「お父さんとお母さんに、お別れの挨拶も出来なかった」
「どうして僕だけがこんな扱いを受けるの?」
「僕をいじめていたみんなや先生は、どうして何にもされないの?」
パズルのピースが埋まっていく。
完成した図は、思っていたよりずっと、優しかった。
「「どうして、僕がこんな目に遭わないと行けないの?」」
ヤヨイの目から、すうっと涙が零れた。
そして、ゆっくりとくずおれる。慌てて支えようとしたら、ピグマリオンが小さな身体でしっかりと支えていた。流石だ。
「・・・・・・大丈夫?」
「ダイジョーブ。寝テルダケデス」
ピグマリオンは(✖✖)と表示して、ヤヨイをゆっくりと寝かせた。
「モウ。ベッドモ置カナイカラ、コウイウ時、床デ寝ルコト二ナルンデスヨ」
「ピグ、お母さんみたいだね」
「イイエ、ヤヨイガ、ワタシノオ母サンデス」
機械なのにぷんぷん怒っているように見えて、最近のAIはすごいなぁ、なんて思う。
と、「いや、No.841の能力が高いだけだ」と横から声がした。
「うわぁっびっくりした。今までどこにいたんですか! っていうか、どうして僕の考えてること分かるんです?!」
「ずっと後ろで見てた。良かったな、殺されないで」
そして「お前、顔に出やすいんだよ、考えてることが」と言って僕にデコピンし、小脇に抱えていたヘッドセットとパソコンを押しつけた。そういえば僕、放り出してきちゃったっけ。忘れてた。
「医療用ロボも呼んだし、帰るぞ」
振り返れば、医療用ロボがヤヨイを担架に乗せて運んでいた。側を、ピグマリオンが心配そうに走り回っている。とりあえず心配なさそう、というか誰より心配しているやつがいるな。
警備員さんにやや背中を押されながら、ヤヨイの居室を出た。警備員さんが壊した鉄板部分に建設ロボが張り付いて、修復している。
かつかつ、ぎゅむぎゅむと廊下を歩く。僕の居室まで、結構距離がある。
「そういえば、今回お前、暴走しなかったな」
警備員さんがぽつりと言った。暴走? あぁ、影響されちゃうことか。
「ヤヨイが、優しかったからですよ」
「優しかったから?」
「僕は、実はいつもとおんなじように、ヤヨイに影響されていました。・・・・・・ああもう、そんな目で見ないでください。分かってるんです、直さなきゃいけないって」
制帽の下から覗く、勘弁してくれよ、とでもいいたげな目線にひらひらと手を振って返す。
「いつもは、感情に飲まれている相手に影響されていたから、僕は感情のまま動いていた」
ミミ。ハヤト。ミサト。最後はみんな、感情のまま話したり、暴れたりしていた。
「でもヤヨイは優しかったから。最後の最後まで、理性のブレーキが効いていたんです。『人間が怖い。いなくなって欲しい。でも、殺したくない』って」
パズル自体は組み上がっていた。でも完成した像は、今までの誰よりも理知的で、優しかった。
「だから僕は最後まで、僕を保つことができた」
本当に、優しい子だ。
「ヤヨイに、守りあう友達がいて良かったですね」
そう言えば、警備員さんは押し黙る。ややあって、「そうだな」と短く返事が返ってきた。