「お前、本当に大丈夫か?」
僕の居室。心理研究員の部屋が空くまでの仮の部屋だと聞いているので、荷物はそんなにない。開けっぱなしの僕のスーツケースと、デスクと、二脚の椅子だけが置いてあるシンプルな居室。
そこで、僕と警備員さんは、心理面談前の打ち合わせを行う。デスクに資料のファイルを並べて、注意点や聞くべきこと、前任研究員――キューサクの記録と所見なんかを一つ一つ確認していく。
「何が、ですか?」
「いや、キューサクの死体を見て以来、お前、調子悪そうだから」
資料のファイルをめくりつつ、警備員さんが問いかける。手は資料をめくっているのに、目はチラチラと僕の方を見ていて、無表情ながら心配してくれていることが伝わる。この分かりにくい優しさに最近気づけるようになってきて、僕は少し嬉しかった。
「大丈夫です。この前は、ちょっと、不意打ちだっただけで。きちんと心の準備をして行けば、なんとか」
「・・・・・・なら、いいんだが」
警備員さんはすっと資料に目を戻した。キューサクの弔い以降、警備員さんは僕を観察することが増えた。その視線には、恐怖や侮蔑ではなく慮りが含まれていたので、特に嫌に思うことはなかったけれど。これだけ心配されると少しこそばゆくなる。
「それに、遺体を見たショックより、こう、他の中毒者のことも知りたいって思いが強いんですよね。怖いけど、好奇心が勝つというか。上手く表現できないんですが」
「それなら、いいが」
「だから、心配しなくて大丈夫ですよ。もし面談するなって言われたら、僕、警備員さん置いて一人でこっそり面談行っちゃいそうなので」
おどけてそう言うと、「それは職務規定違反になるからご遠慮願いたい」と警備員さんは真顔で返す。真顔だけれど、本人は冗談に冗談を返したつもりだろうということを、僕は付き合いの中で何となく察していた。
「で、次の面談相手、No.331だが」
「はい、通称『ミサト』ですね」
「この病棟で最古参の中毒者で、最も危険な中毒者のうちの一人だ」
先程と変わり、真剣な雰囲気を出す警備員さんに、僕はごくり、と唾を飲み込む。危険な中毒者のうちの一人。構造やセキュリティ的に鉄壁の防御を誇る中毒者病棟の中でも、特に警戒すべき相手。
「『危険』と言っても、様々な方向性の危険がありますが・・・・・・」
「No.331は物理的なタイプの危険だな。噛みつく、殴る蹴る、首を絞める。捕獲に向かった特対が、7人犠牲者を出してる」
「7人……」
沈黙が降りる。特対。内閣総理大臣補佐官付きの、中毒者特別対策室。中毒者の発見・調査・捕獲を行うそこのメンバー達は、通称『特対』と呼ばれていた。
「ま、今は居室の中だ。檻に入れられた人食いライオンとでも思っておけばいい」
「・・・・・・そんな、」
「人間、あまりにも違う思想のやつとは分かり合えない。いや、分かり合わないほうが幸せだということもある」
警備員さんがぴしゃりと言った。厳しい言葉。そして、僕を慮る言葉。
僕はすうっと息を吸った。
「それでも」
僕を見る警備員さん。いつもはまっすぐこちらを見る青い目が、ゆらゆらと揺れていた。挙動や態度が分かりにくいこの人の、目だけはとても素直なんだ。
「それでも。僕は心理研究員なんで。面談しに行きますよ」
「・・・・・・そうか」
「あ、でも危ないときは助けてくださいね!」
「僕、ひ弱なんで」と続ければ、張り詰めていた警備員さんの空気がふわっと緩んだ。
青色の目が、慈愛をもってこちらを見る。
「その時のための、警備員だ」