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07

 中毒者病棟があるのは小さな島だから、少し歩けばすぐ海岸にたどり着く。海岸といっても、砂浜の広がるビーチではなく、ゴツゴツした岩が並ぶ海岸だけど。


 警備員さんは波打ち際に座り込んで、ポケットから白いかけらを2、3個取り出した。波が足元の岩に当たって、白く砕ける。


 「それ、何ですか?」

 「No.989の、ーーいや、キューサクの骨」


 ずい、と一つ渡される。反射的に受け取ったが、不思議と嫌悪感はなかった。

 手のひらに置かれたそれを、まじまじと見る。骨は思ったよりスカスカで、指先に力を入れて触ればあっけなく砕けた。


 警備員さんは、躊躇なく骨を砕き、海へさらさらと流していく。僕もおっかなびっくり骨を砕いて、それに倣った。


 「ここにいるうちに、気が狂って死んじまうやつは珍しくない」


 警備員さんがぽつりと言った。波が砕ける。潮風のにおい。


 「でも、キューサクは死なないと思ってた。何でだろうな」


 いつも無表情か不機嫌な顔しかしない警備員さんの横顔が、悲しみを帯びているように見えて、僕は目を逸らした。


 そしてそのまま、ぎゅっと目を瞑る。まぶたの裏には、キューサクさんの最期。穏やかな表情を浮かべて、お腹を横一文字に切って死んでいた。


 強い正義感、人を救いたいという意志。それが高じて、人を寄せ付けない自分だけの正義を説くようになった。それは、本来宿していたものとは真反対の、恣意的な正義。中毒者の心理研究もおそらく、趣味に類する恣意的なもの。


 だけど、何かが引っかかる。警備員さんから追加で渡された秘匿資料によって、足らなかったピースが埋まっていく。

 手記から察するに、居室に入ってからはその正義が揺らいでいた。最後まで、独善的な正義を貫いていたわけではない? そのきっかけは何、病棟に中毒者として入棟したこと? いや、病棟自体には心理研究員として入棟していた。


 「あ」


 「真っ白な部屋に、ずっとひとり」。病院や心理研究員としての勤務記録を見ると、毎日必ず病人か中毒者に会っていた。医者だから中毒者の判定もできる、僕なんて比じゃないくらい、休む暇なんて無いほど仕事をしていた。それが、急に収容されて、一人の時間が増えた。記録が正しければ、僕が来るまで、心理研究員は不在だったはず。キューサクはよく考える人だった。話し相手もいない。ならば、暇な時間ができたら、何をするか。答えはただ一つ、


 「考える」


 ひたすら考え続ける。まずは、「どうして私は捕まったんだろう。中毒者ではないのに」。それから、「心当たりがないのに捕まったということは、私は政府にとって都合の悪いことをしてしまったのか」。いや、都合の悪いことはしていない、確かに私は自分の判断で仕事をしているが、結果的に政府の意向に反したことはそれほどないはず。ではなぜ?


 私が、本当に中毒者だったから?


 私のどこが、そう見えた? 私はきちんと、患者のために治療も研究も行っていたはず。安楽死だって、けして他の中毒者みたいに楽しんで行っていたわけではない。正しく患者のために、考えていた。


 本当に?


 もしかして、私は安楽死を楽しんでいた? 自分の手で、今まで救うことのできなかった患者を「死」という形で救うことに独り善がりな快感を覚えていた?


 いや、そんなはずはない。


 ……まて、この思考、どこかで既視感がある。確か、中毒者のうちの何人かが、明らかに恣意的な思考をして、快楽を求めて犯罪を行っているのに、中毒者であることを否定していた。自分は正義であると言って。


 あれ?


 私は、中毒者か?


 私の正義とはなんだ?


 あれ、安楽死させることって、犯罪だったっけ?




 私って、中毒者と、何が違うんだろう?




 パチパチと組み上がりかけたパズルは、けれど残り数ピースが足りなかった。

 欠けている部分を中心に、パズルがバラバラと砕けていく。

 脳裏に浮かぶのは、キューサクの穏やかな死に顔。

 ピースが足りない。

 思考の結果、絶望の淵に立たされたはずのキューサクが、あんなに安らかな顔で死んでいったのはどうしてだろう。


 切腹という、医者ならまず避けるであろう苦しい死に方を選んだのは、おそらく自罰感情から。だけれど向き合って話せていないから、生の感情と反応がないから。キューサクの思考や感情の最期が分からない。




 「よく考えてよく働くマグロみたいなやつだったから、狂っちまったのかもな」


 隣から警備員さんの声が聞こえて、はっとした。見れば、しゃがんだ警備員さんが、海に向かって手を合わせていた。

 長い髪が、潮風になびいている。


 「こいつには、この世界は生きづらかったんだろうよ」


 印象的な青い瞳が、瞼の裏に隠れている。

 波の音しかしない、静かな海辺。

 僕も倣って、手を合わせた。


 静かに満ち引きする海が、キューサクの骨をどこかへ運ぶ。

 海は、遠く遠く、異国の果てまで広がっている。

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