かつーん、かつーん。
ずるずる、ずるずる。
ぎゅむ、ぎゅむぎゅむ。
真っ白な廊下に、三者三様の音が響く。
警備員さんは、まるで何の変哲も無い日常の一コマであるかのように、老人の遺体を引きずっていた。
老人の片足が警備員さんの肩に担がれ、老人が引きずられた後ろに、時々かすれた赤い跡が残る。
「……運んでるの、遺体ですよね」
「ああ、No.939の死体だな」
「……頭、引きずってますけど、良いんですか」
「だって、もう痛くないだろ」
僕はまた、唇をぎゅっと結んだ。そして、老人の跡を踏まないように気をつけて歩いた。
僕達の後ろを、清掃用ロボットが追いかける。赤い汚れを検知して、機体で覆って30秒くらいシューッとスチームをかけて、また次のシミを追いかける。清掃用ロボットの後ろには、再び清潔になった廊下が続いていく。
しばらく歩いて(途中階段も使った。悲惨だった)、焼却室に辿り着いた。白い廊下の突き当たりに、銀色の扉が重々しく鎮座している。
初日に施設を案内してもらったとき見つけて、「この扉って何ですか?」「ん? 焼却室の扉」「へぇー。いつ使うんです?」「私のゴミを燃やしたり、あとはまあ色々?」なんて会話をした気がする。
警備員さんは焼却室の扉をガラガラと開けると、老人の体を適当に放りこんだ。そして、がちゃんと閉めた。
警備員さんの指が、扉の横の赤いボタンをぴ、と押す。
ボォー、と焼却室が作動した音がする。警備員さんは一仕事完了したとでも言いたげな、満足げな顔をして腕を組んだ。
僕は、ぎゅっと目を瞑った。
だめだ、さっきの光景が頭の中から消えてくれない。
「……No.939って、ナイフ、握ってましたよね」
「握ってたな」
「自分で、お腹を割いたんですか」
「だろうな。詳しいことはログを確認しないと分からんが。状況的にそうだろう」
「あ、お前の居室はプライバシーがあるから撮影してないぞ」なんていつもの調子で言われても、いつものようには軽口を返せなかった。
「・・・・・・欲しいものって、何でも与えられるんですか?」
「だいたいは、与えられる」
「じゃあ、ミミ・・・・・・No.1033に、かわいー女の子は、与えられるんですか」
「それは与えられない。倫理的に」
「ナイフを与えるのは、倫理的に良いんですか」
「・・・・・・そういうことだよ。そう、政府が決めてる」
黙り込む僕を見て、警備員さんが本日何度目かのため息をついた。そして、どこからかパイプ椅子を二脚持ってきて、焼却室の前に並べる。「座りな」「え、でも」「燃やし終わるまで、もう少しかかるから」僕は、恐る恐る椅子に座った。それを確認して、警備員さんも座る。
「今のは、No.939ですよね」
「何回確認しても同じだよ。No.939だ」
中毒者No.939、通称『キューサク』。
2161年5月25日に担当患者数十名に安楽死を強行した疑いがかけられ、およそ一年間の裏取り後政府によって逮捕された、当時65才の男である。
キューサクは、東京都立東十字病院で働く消化器内科の医師だった。若い頃から、優秀で患者の意思を第一に行動できる医者として業界内で有名で、地方の県立病院で働いていたのを引き抜かれた。東十字病院では主に、末期ガン患者の手術・緩和ケアを担当していた。
しかし、一人の患者(資料では患者Aと記載)との出会いにより、キューサクの人生は大きく転換することになる。患者Aは末期の大腸ガンであり、毎日寝たきりで苦痛に耐えていた。見舞いに来るような家族もなく、キューサクの回診を唯一の楽しみとしていた。
そんな患者Aは、ある日突然キューサクにこう申し出た。
「お願いですから、先生の手で私を、殺していただけませんか」
当時30代前半でまだまだ若手だったキューサクは、そのようなときにどう対応すれば良いかの経験があまりなかった。「・・・・・・それは、安楽死、ということですか」「はい、そうです。もう痛くて痛くて、毎日が苦痛で仕方ありません。どうか、先生の手で殺してください」そう言って、患者Aは頭を下げた。
「警備員さんも、キューサクの資料読みましたか」
「ああ。何度も」
「キューサクさんって、記憶力の良い方だったんですね。資料に書かれていた供述が、他の中毒者に比べてとても詳細でした」
パイプ椅子に座って、二人で焼却室を眺める。銀色の扉についた小窓が、中で火が赤々と燃える様子を伝えていた。
患者Aに安楽死を希望されて、最初は断っていたキューサク。でも、苦しむ患者Aの対応をしたり、回診をしたりするたびに、患者Aに懇願されるのはとても心が痛かった。それが三週間続いたある日、キューサクはとうとう決意した。患者Aを安楽死させる、と。
キューサクは、患者の気持ちを大事に医療を続けてきた。だから、今回もその一環だと、自分に言い聞かせて。
一度タガが外れれば、あとは一瞬だった。毎日何人もの急患が運ばれ、処置して、何人も死んでいく病院では、立ち止まって考える暇などほとんど無い。
最初は、それでもきちんと要請があれば、とか3回以上の同意の上で、とか条件をつけていたらしい。けれどいつの間にか、一声かければ安楽死、家族の同意があれば安楽死、そしてキューサク自身の判断での安楽死。
キューサクは、逮捕から入棟時まで一貫して「患者のためにやったことだ」と述べていたという。
「安楽死って、どうやるんですかね」
「さあ。服薬、一酸化炭素中毒、延命措置の中止なんかじゃないか」
「よく知ってますね」
「まぁな」
警備員さんがパイプ椅子から立ち上がって、大きく伸びをした。小窓の向こう側は、まだ、赤い。心なし熱気も感じる気がする。
キューサクの資料は、最後に安楽死させた被害者の一覧が付されて終わっていた。
考えてしまう。資料の端々から、キューサクの賢さ、記憶力の良さ、信念の揺るがなさが感じ取れた。しかしそれにしては、他の中毒者に比べて資料が少ない。資料の供述は詳細だったから、普通は資料もそれに伴って多くなるはず。
それに、と思った。それに、資料を見る限り、多少のことでは信念の揺るがなそうな彼が、自殺なんてするだろうか。ピースが足りない。組み合わない。キューサクが、どんな風に考えていたかが飛び飛びにしかわからない。
と、がんっと頭に衝撃が走って、思わず頭を庇った。見上げれば、パイプ椅子の前で警備員さんが仁王立ちしている。呆れたような表情で、片手に分厚いファイルを持っていた。
「痛った、何で毎回ファイルを当てるんですか! ひどい!」
「呼んでも返事しないからだろ」
「だからって、もうちょっと優しく渡してくれてもいいでしょう?! ……で、そのファイル何ですか?」
「No.939の資料」
え? 僕は警備員さんに渡されたファイルを受け取る。表紙には何も書かれていない。
「え、でも僕見たことないんですけど……」
「秘匿資料だからな」
「え?! 僕、これ見ても良いんですか?」
「もう死んだしいいだろ」
警備員さんは、また隣のパイプ椅子にどかっと座った。「ってかこの資料、どこから持ってきたんですか」「資料室の金庫」「資料室ってどこです?」「そこ」「え、近っ。焼却室から火が出たら終わりません?」「だからだろ」
早く読め、とばかりに警備員さんがファイルの表紙をこつこつと叩く。僕は少し訝しく思いながらも、ファイルを開いた。
1ページ目は、経歴書だった。2120年から滋賀県立第二病院で勤務、2124年に東京都立東十字病院で消化器内科医として勤務、そして、
「え?」
思わず声が出た。
え、なんで。どうして。頭の中に次々と疑問が浮かんでは消える。
経歴書の一番最後、もともともらっていた資料では「疑いのかけられた日」として記載されていた日付に、
2161年5月25日 初の心理研究員として、国立中毒者病棟に入棟
と書いてあった。