「本日の心理面談は中止だな」
腰に手を当ててため息をつく警備員さん。アクリル板の向こうには、本日のお相手がいる、はずだった。
僕は、ふらふらとアクリル板に近づいて、そっと触れた。きちんとした実体を持って、僕に硬さと冷たさを教えてくるアクリル板。夢では、ない。
アクリル板の向こう側、居室の中央で。一人の老人が、お腹を真っ赤にして横たわっていた。
「っ、うぇ・・・・・・」
思わずえずく。立ったまま口を抑えた僕に、警備員さんが感情の乗っていない声で、「袋、いる?」とだけ聞いた。
「けっこう、です・・・・・・」
「どー見ても結構じゃないけどね」
隣で警備員さんがぼやくのが聞こえる。でも僕は、遺体から目を離せなかった。
僕と同じような白衣を着た、白髪の老人。穏やかそうなおじいちゃんが、物のあまりないシンプルな居室の中央で、床に仰向けに横たわっていた。お腹の部分が血で真っ赤に染まっている。白衣と中のシャツがお腹を横切るようにすぱっと切れて、赤く滲んでいた。
唇がわなわなと震えるのを、ぎゅっと結んで押さえ込む。老人の右手の側に血のついたナイフが転がっていて、多分それが凶器だろうということは分かった。遺体を中心に血だまりの跡があって、乾いて茶色に変色している。
「何でナイフなんか、あるんですか」
「最初に言ったろ? 中毒者には、居室にいる限り、ある程度の自由が与えられるんだよ。欲しいものがあったら大体与えられる。それが例えナイフでも」
とんとん、と横から肩を叩かれた。でも、視線は遺体から動かせなくて。横から、警備員さんのため息が聞こえた。
と、口を押さえていた手を無理矢理引っ張られて、ぐしゃ、と何かを押しつけられる。反射的に握ると、ガサガサとした感触。ビニール袋だろうか。
そのままぼーっと居室を覗き込んでいると、警備員さんが多重ロックを開ける音がした。しばらくして、彼女が居室に入ってくる。そして、老人の片足を肩に担いで、そのままずるずると引きずっていった。
僕はぼーっと、遺体を視線で追う。警備員さんが老人を引きずりながら、廊下にひょこっと出てきた。そして「それ持ったまま、ついてこい」と言って、ずるずると音を響かせて歩き出す。
僕はビニール袋を片手に、後を追った。