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No.1088『ハヤト』――02

 男性は――、ハヤトは、元々小児性愛者だった。小児性愛者だという医療機関での正式な診断はなかったが、本人は自己の性愛傾向を隠し、わかば保育園で保育士として働いていた。そして2162年2月14日、当時小学3年生だった少女とわいせつな行為を行い、その少女の通報によって逮捕された。








 「では、あなたがそう診断された経緯を教えてください」


 『ハイ、そうなりますよね・・・・・・』




 ハヤトは、どこか期待を裏切られたような顔をして僕を見た。そして数秒、視線を落として畳の目を見ながらじっと黙る。




 それから、ゆっくりと話し始めた。




 『ア、資料にも載ってると思うんですけど。僕、小さい子達をすっごい愛してるんです。それは、命に代えても守りたいくらい。例えば、目の前に小さい子がいて、横からトラックが走ってきたら、僕は躊躇なく身代わりになります』




 僕は頷いた。面談前に警備員さんと確認した資料にも、そのようなことが書いてあった。




 『だから、保育士は天職だと思ったんです。僕以上に、小さい子達を心から愛して、守って、育める人はいないんじゃないかって。だから、一生懸命勉強して、保育士になりました』




 『苦手なピアノだって、頑張って練習したんですよ』と続けるハヤト。僕は彼の手を見た。すべすべで綺麗な手。1年ほど前に入棟してから、手が荒れるようなことは長らくやっていないんだろう。




 『でも、保育士としてわかば保育園で働き始めたとき、気付いたんです。僕は、小さな子達を・・・・・・えっと、そういう目で見てしまうときがある、って』




 そこで、ハヤトは自分の身体をぎゅっと抱きしめた。まるで、自分自身を押さえつけるかのように。ぎゅ、と唇も結んでしまったハヤトに、僕は「それで?」と続きを促した。




 『ハイ。最初は、戸惑いました。高校の時は同級生と女の人のAVを見たりしましたが、特に反応しなくて、僕は性欲が薄いのかなって思ってたんです。で、次に、保育士をやめようと思いました。こういうやつが保育士になってたら、気持ち悪いかなって』




 ハヤトは正座して、自分の身体を抱きしめたまま続ける。それはまるで絵画に出てくる、神に許しを請う罪人のようだった。




 『でも、働いていて、せんせいありがとって子どもたちが言ってくれたり、ハヤトくんがいると助かるわ、って同僚の先生方が言ってくれたりして、もう少しここで働きたいなという気持ちでいっぱいになりました。もう少し、もう少しって。きっと、バレても受け入れてくれるかなって』




 だんだん声が小さくなっていく。辛そうだな、と思った時には無意識に手を伸ばしていて、伸ばした手はこつんとアクリル板に弾かれた。




 『でも、バレンタインの日、恋人もいないし、ってか恋人を作ってはいけないから、僕は夕方に、一人で寂しく飲んでたんです。その日休みだったから。で、帰り道、まほちゃんと会ったんです』




 吉中まほ。被害者の少女。もともと、ハヤトの勤めるわかば保育園に在園していた。




 『そこでまほちゃんは言ったんです。「先生とキスしたい。して」って。僕は当然断りましたよ? だって、普通に考えて、良識的な大人として、ダメじゃないですか。でも、まほちゃんは僕を連れ出したんです。手を引っ張って、路地裏に連れ込んで、いつの間にか用意されてた手錠で僕をその辺に繋いで。で、僕とキスした』




 資料にあった、ハヤトの当時の供述そのままだった。まほの供述とは全く違う、聞いたら一瞬耳を疑うような供述。成人男性が、小学生女子に、連れ込まれる? 僕が訝しげな顔をしていたのが伝わったのか、ハヤトがむっと頬を膨らませた。




 『ア、信じてないでしょ。これが真実なんですよ! 僕、その時めっちゃ酔ってて、ふらふらしてたから、あんまり抵抗できなかったんです。そのうち頭がぼーっとしちゃって、まほちゃんに「さわって」とか言われるままに、こう・・・・・・』




 そこで下を向くハヤト。「資料には、まほちゃんは全然違う供述をしたと書いてあるのですが・・・・・・」と聞けば、ガバッと顔を上げる。




 『そうなんです! 僕が酔った勢いで連れ込んだとか、まほちゃんと僕の唇から覚醒剤が検出されたから僕が吸わせたんだろとか、もう、なんのこっちゃって感じで。僕、覚醒剤吸ったことないし、こっ、行為の途中で意識を失っちゃって、起きたら警察に拘束されてて。何にも分からないんです』




 『通報された警察が駆けつけたとき、手錠はまほちゃんにかかってて、まるで僕が無理矢理したみたいな状態に見えたらしくて』と早口で言うハヤトを遮るように、タイマーがぴぴ、と鳴った。10分経過、残り10分。




 「落ち着いてください」とハヤトに声をかける。ハヤトはきっ、と僕を睨み付けて、しかし次の瞬間目を丸くした。そのまま僕を見つめる。


 僕は首をかしげて、「どうしたんですか?」と聞いた。『どうしたんですか、って、言われたって・・・・・・』と先程までの勢いが嘘のように、どもるハヤト。そしておそるおそる、口を開いた。


 『どうして、研究員さんが、泣いてるんですか・・・・・・?』


 「え?」


 僕は、はっとして頬を触った。


 びっしょびしょだった。


 ってことはもしかして、と手元に抱えたバインダーを見る。メモ用紙や質問用紙が、涙でびしょびしょだった。え、これって何。僕、泣いてた?




 『アノ、どちらかというと落ち着くべきなのは、研究員さんの方だと思います・・・・・・?』なんて気遣うように言うハヤトに、確かに、と頷く。


 けっこう恥ずかしかった。僕、泣きすぎで脱水症状とかになって病院に運ばれないかな。で、あわよくば面談を中断させてもらえないだろうか。


 後ろの警備員さんを伺うと、警備員さんは首を振った。続けろと。恥ずかしくても? そうか。




 僕はん゛んっ、と咳払いした。ハヤトはちょっと気まずそうに座り直した。




 「失礼しました。どうぞ、続けてください」


 『イヤ、この空気で続けるのはちょっと・・・・・・』


 「もう僕恥ずかしいんで。ハヤトさんも、心の丈をぶちまけてくれると、僕、多少恥ずかしさが緩和されるので!」


 『ええ・・・・・・』




 僕に少し引き気味に応じるハヤト。しかし、その目に慈愛の色が宿っているのを見て、おや、と思った。僕が心理研究員のくせに面談中に泣いたのも、怪我の功名的に役に立つかもしれない。何となく、僕と小さな子を重ねて見ているような気がした。




 『じゃあ、ぶっちゃけますよ? いいですか?』


 「どんとこい、です」


 『ハイ。・・・・・・じゃあ、ぶっちゃけますと。僕、まほちゃんが僕に罪を着せたと思ってるんです』


 「・・・・・・じゃあ、今までの面談の発言は全部、嘘だってことですか?」


 『いえ、事実は本当です。言わなかったことがあるだけで』




 真剣にこちらを見つめるハヤト。じゃあ、小学生女子に連れ込まれたのも本当なのだろうか。ありえる、かな・・・・・・?




 『ア、その顔、信じてないですね。まぁ・・・・・・信じろって言う方が無理な話かもしれないですけどね。ここから話すことは、オフレコでお願いします。確か心理研究員さんって、そういう権限あるでしょ?』




 『面談者の機密事項を守る、みたいな。保育士の勉強してるとき見た気がします』とこそっとハヤトが言う。僕は頷く。僕の裁量次第で、報告書にまとめるものと、そうでないものを分けることができる。今は政府の圧力で、全ての情報を上げないといけないようになってるけれど、本来は義務としてあるはずだ。




 僕は後ろを振り返って、警備員さんに視線を送った。警備員さんは頷いて、口にチャックをかけるような仕草をした。お口チャック。政府には言わないでいてくれるのね。でも聞くのは聞くのか。




 『実は・・・・・・まほちゃんのお父さんは裕福なお家の人なんですけど、まほちゃん、実はお父さんが不倫してできた子なんです。風俗嬢と。わかば保育園を卒園してすぐに、お父さんの不倫やまほちゃんたちへの援助が本妻にバレて、まほちゃんは実のお母さんといっしょに捨てられたんです』




 『僕の耳にまで入ってくるって、園児のお母様方や先生の情報網って恐ろしいですよね』なんて冗談めかして言うハヤト。衝撃の事実に固まる僕。「そんな、ドラマみたいな・・・・・・」と零せば、『そう、ドラマみたいなんです。ってか、ドラマよりもっと酷い』と頷かれる。




 『それで、お母さんが風俗嬢でしょう? だからまほちゃんも、そういうことに詳しくなったみたいで。僕に迫ったときも、「家に来たお兄ちゃんに教えてもらった」って言ってました』




 生々しい。僕は身震いした。同時にハヤトも身震いしていた。『おっそろしいですよね』なんて真顔で聞かれて、「ハイ。中毒者検挙の活発化で見えない犯罪が横行してるって言いますけど、ヤバいですね」と思ったままを正直に答えてしまった。




 『そう! そうなんです。知識の無い子に無理矢理は僕のポリシーに反しているので、僕は絶対に、絶っ対にしないんですけど。でも、まほちゃんに迫られて、気がついたとき警察で、そこで供述が全然違うって言われたとき。僕、あ、そういうことかって思ったんです』




 そういうこと。それが「どういう」ことか、何となく察しがついた。




 『よくありますよね、痴漢被害の冤罪。あれと同じ感じのことを、されたんじゃないかって。まほちゃん、僕に迫ってるとき、すごく苦しそうだったんです。言うこと聞いてあげないと、死んじゃいそうなくらい。だから、僕が捕まることでまほちゃんが楽になるなら、いっかって思ったんです』




 僕は資料を思い返した。ハヤトの供述記録は、逮捕されて目覚めたときのたった一回しか残されていない。まほちゃんの供述と異なることを指摘されてから、ずっと黙秘を貫いていた。




 「でも」




 言葉が口をついて出る。知りたい。もっと教えて。




 「納得して起訴されたにしては、あなたの言動の端々から『捕まりたくなかった』という感情が読み取れます。それは、どうしてですか?」


 『っそれは』




 僕の言葉にかぶせるように反論しかけて、一度黙るハヤト。手を握りしめて、必死に自分を落ち着かせているように見える。




 『それは、・・・・・・研究員さんも、恋愛をしますよね?』


 「はい」


 『誰かを好きになる。えっちなことをしたいと思う。それって普通のことじゃないですか』


 「そうですね」


 『で、職場恋愛も普通でしょ? 同僚に恋したドラマとか、山のようにありますよね?』


 「はい」




 だんだんピースがそろってくる。


 もっと、もっと教えて。




 『僕、さっきも言ったけど、知識の無い子に無理矢理はポリシーに反してるから、絶対やらないんです。でも、巷には女の人に無理矢理性的な行為をする輩がごまんといる。僕より酷いことをしてるやつなんて、いくらでもいる』


 「・・・・・・はい」


 『でも、僕が小さな子が好きだから、小さな子を愛してるから、ろくに裏取りもされないで、中毒者って診断されて、もっと酷い奴らよりもっと酷い目に遭う』


 「・・・・・・うん」


 『確かにそういう気持ちはあるよ? 小さな子と、えっちなことしたい。でも、良識的な大人であれるように、小さな子の気持ちを守れるように、今まで頑張って抑えてきた。僕が酒飲んだ上で双方同意の上っていう多分罪にならないような状況でも大人しく捕まったのだって、まほちゃんの家庭状況を察して、僕が捕まることで警察がまほちゃんの家庭を調査して、しかるべき機関に通報してくれることを期待して、だった』


 「そう。でも」


 『でも。警察は全然役に立たなかった。結果的に僕はここに入れられて、まほちゃんの家は多分、そのままで。今まで親しく接してくれてた園の先生方も、手の平を返したように冷たくなって、テレビで気持ち悪いって発言なんかしちゃって。園児のみんなには会えてないけど、たぶん僕が凶悪な中毒者だって、先生方やご両親に教えられてるんだろうな』


 「今まで積み上げてきた信頼も、」


 『全部、ぜーんぶ崩れ去った。普段の僕を見てくれてなかったの? 僕、そんなに異常者に見えた? ってか、小さい子が好きで何が悪いの? 自然な気持ちでしょ? ・・・・・・あはは、』




 「『どうして僕だけが、我慢しなくちゃいけないんだろう?』」








 ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ




 タイマーが鳴る。気付いたら僕は、アクリル板の前に立って、片手をアクリル板に添えていた。


 ハヤトも同じように向こう側に立って、僕と手の平を合わせるように、片手をアクリル板に添えていた。




 ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴっ




 後ろで、タイマーが止められた。




 「・・・・・・研究員さん、時間ですよ」




 警備員さんの声。かつかつ、とこちらへ歩いてくる足音。




 そのまま、白衣の首根っこを掴まれて、べりっとアクリル板から引き剥がされる。




 「・・・・・・で、No.1088」


 『・・・・・・何ですか』




 僕を持ったままの警備員さんが呼びかけると、ハヤトが不機嫌そうに警備員さんを見る。警備員さんは全く表情を変えずに、ぴっと三本指を立てた。




 「今夜三時。話がある。寝ないで待ってて」


 『・・・・・・無茶言いますね』


 「ずっと暇なんだから、やろうと思えばできるでしょ」




 そして僕の手を掴んで、引きずっていった。




 僕は引きずられながらずっと、ハヤトを見ていた。





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