一方その頃、トルヴィアが監督していた発掘現場では粛々と撤収作業が行われていた。数人の作業員が、発掘用のドリルの回転刃部分を解体しながら話し込んでいる。
「今日トルヴィアお嬢様は流行り病で休みって連絡来たけど、あれは思うに病気じゃねえよ、”ジロウケイ”の、それも”ニンニクマシマシヤサイマシマシアブラカラメ”をペロリと食べ切るほどの
「ああ、それは俺も思ってたところだ。……きっと、今回の発掘作業の結果が上手くいかなかったんで、落ち込んでるんだ、何でも今回の発掘費用は自分が所有する土地や邸宅を担保にしてまで調達したって噂だぜ?」
「そこまでして気合い入れた結果が、あれじゃあなあ……落ち込むのも無理はないぜ。」
作業員が一瞥した先には、大量のツチモグリの死骸が転がっている。変異虫は旧文明の痕跡を残らず食い荒らすのだが、それらの死骸が意味することは、ここにあった文明の痕跡は全て食いつくされてしまったという事だ。
昨日彼女がこれを見せつけられたときは「まあ、こんなこともあるわよね」と気丈にふるまっていたが、ヘルメットを深くかぶって発掘抗を後にする彼女の表情は、暗かった。
「自分の財産をなげうってまで、お嬢様は何を掘り当てようとしてるんだ?」
「変異虫から王国を守る術さ。旧文明は今の王国とは比べ物にならないくらいの技術があった。旧文明の残滓をほぼほぼ食い尽くし、そこから生き残った王国領地の2/3をも喰らいつくした変異虫への対抗策が、”虫人”だけでは心細いんだそうだ。だから、王国の支配が行き届いていないエリアに来てまで、古い地図を参考にしながら何か役に立ちそうなものがないかとこうやって土の中をほじくり回してるのさ。」
「へえ、よく知ってるなあ」
「でも確か、その旧文明を滅ぼしたのも変異虫なんだろう?一度は敗北した文明の技術なんて役に立つかねえ」
「座して死を待つよりは、一縷の望みにかけたいんだろうな、まぁ俺たちには時間稼ぎにしか見えないけど。」
「国王陛下も同じことをお思いなのか?」
「ああ、勿論だ。本当なら国家事業としてやりたい所だが、財務を管理している通商連合だけがこの発掘作業を無駄の極みと頑なに拒否してて上手くいってないらしい。」
「そりゃそうだろうよ、あいつらは国の為に金が使われることより、自分たちの賄賂や搾取でいくら上がりが取れるか考えてるからなぁ。」
ははは、と皮肉を笑い飛ばした彼らはその後も作業を続け、大方の機械を片付け終わり、いよいよ荷物をまとめて撤収、と言うタイミングになった。作業員の中でもまだ勤務日数が浅いものが、虫はどうするのかと尋ねた。
「ああ、あれはもうそのままにしておくんだ。死骸を持って帰ったところで、ツチモグリ程度じゃ研究材料にもならないし、その死骸のにおいにつられて、他の変異虫を呼び寄せちまう可能性があるからな。」
「とくに、あんなに”オス”のツチモグリの死骸があったら、いつ”メス”のツチモグリが出てくるか分からねえ、特に繁殖期のメスは卵を産む体力をつけるために、交尾が終わって力尽きた雄の死骸を食べるんだと。だけどそれでも腹が満たされない時には共食いならず普通の動物もペロリ、といっちまうんだ。」
「ま……まさか、人も……!?」
「人を食ったのはまだ確認されてねえが、あいつらの糞の中からはニワトリやブタの骨がよく見つかるってよ。ドリルみたいな口の先端から出す溶解液をぶっかけて動けなくした後、口で咥えて体中で飲み込むんだ、ごく、ごく、と……」
「ひえええ……」
「さあ、食われたくなかったら、こんなところからとっととずらかろうぜ。」
作業員たちは荷物をまとめると、ダンゴムシと呼ばれている運転台以外の部分がずんぐりむっくりとした鼠色の連接
「そうら、言った通りだろう! 運転手、一応、前面窓にも鋼鉄幌を降ろしておけ。」
「だ、大丈夫ですかね……」
「なあに、このダンゴムシの鋼鉄幌は耐酸化防止膜をたっぷり塗ってあるし、奴はそこまで頭は良くない、目の前の死骸に夢中になっている間に遠ざかれば、いくら大地の鮫ことツチモグリとて追いつけねえよ。」
ダンゴムシはギアを最大まで上げて、無限軌道でしっかりと大地をつかみながら、急加速で現場を離れていったが、幌の隙間の明り取りから外の様子を見ていた作業員の一人が奇妙な光景を捉えた。地面にもこもことした線が浮き上がり、地表を猛スピードで移動しているではないか。しかもダンゴムシよりも同等かそれよりも速いスピードで、こちらにじわじわと向かってくる。
「お、おい! あいつ、こっちに向かってくる!!」
「何……本当だ! 運転手、もっと速度を出せ、追いつかれるぞ!!」
「今が精いっぱいだ、これ以上は……!」
その時すでに奴はダンゴムシのすぐ後ろまで迫っていた。だがある瞬間に突然、奴が地表に描く軌跡がぱったりと消えてしまった。明り取りのわずかな隙間からすべてを見ていた作業員たちがようやっと諦めてくれたか、とほっと一息ついたとき、今度は運転手が悲鳴を上げた。
「うわああああ!! 先回りされたああああ!!」
前面窓を守るガードののぞき窓からは、ボコボコと音を立てて地表から這い上がり、巨躯をくねらせて行く手を阻むツチモグリの姿があった。普通のサイズより5倍、いや、10倍はくだらないほどの大きさがある。この大きさでは先ほどの死骸だけでは全く腹を満たせないだろう。
運転手はハンドルを思いきり左に切って避けようとしたが、最高速域の状態で急旋回してしまったため、ダンゴムシは慣性に耐え切れず、がらんごろんと音を立てて横転してしまった。もちろん、中の作業員たちもひっくり返された。
「うわあっ!!」
それを待ってましたと言わんばかりにツチモグリは横転したダンゴムシの運転台に強く巻き付き、あっという間にべこ、ぼこという音を立てて潰し、運転台をもぎ取って投げ捨ててしまった。作業員たちは荷台の後ろの方に縮こまっているが、既に奴はこちらを覗き込んでいる。もう逃げ場はない。袋のネズミだ。どれから先に食おうかと品定めをしているツチモグリの口からはよだれのように溶解液が垂れ、そのたびに地についているガードがじゅう、じゅうと音を立てて溶けていく。
「ひいいっ!!」
「ば、化け物だ……」
「嫌だ……死にたくない、嫌だ……!」
ついに舌なめずりを終えたツチモグリが口をきゅうとすぼめて溶解液の狙いを定めた。その時だった。突然、大きな鈍い音がしたと同時に、ツチモグリは勢いよく左へ吹っ飛んでいったのだ。
とうとう最後の時かと腹をくくった作業員たちは、一体何が起こったのか分からなかった。
「ど、どうしたんだ?」
「今、ものすごい勢いで吹っ飛ばされてった……まるで何かにぶつかったように……」
恐る恐る荷台から顔を出して覗いてみた作業員たちは仰天した。
ツチモグリのそばに、誰かが立っている。いや、人と言うには、あまりにも仰々しい鎧を付けている。その赤黒い光沢と、頭頂部に生えた立派な角は、まるで……!
「カブトムシの……虫人……!?」
・・・
「いつつ、もう、減速くらいしなさいよ!」
目が覚めたら突然自分の体が虫のような鎧で覆われて、訳も分からずに鎧に導かれるまま空を飛び、そして全く減速もせずに変異虫ツチモグリにぶつかったのだからたまらない。
全身から痛みが消えぬうちに彼女は立ち上がった。いや、鎧に立たされた。目の前の変異虫の体にぴくぴくと筋がこわばり、そしてトルヴィアの方にその巨体を向かせた。その怒りに満ちたまなざしに睨まれたトルヴィアは思わず身がすくむ。
「な……なんて大きさなの……こんなのが城下町までやってきたら、大変なことになるわ……」
トルヴィアの疑似網膜は変異虫を捉えざまに、視界の中央に照準を表示し、その下部に[BATTLE_READY]と言う文字を表示した。ようやく読める文字が現れたと思ったら何も知らない自分に戦えと言うのか、この鎧は。と彼女は憤った。
「無理よ、何言ってるの! 戦い方なんて分からないわよ!……うわっ!!」
そうこうしているうちにツチモグリがついにトルヴィアめがけて溶解液をぶっかけた。特殊なコーティングが無ければ鋼鉄さえも簡単に溶かしてしまう液体をなんと全身で受けてしまったが、彼女の鎧は溶けるどころか、むしろ弾き返した。
「と、溶けてない……この鎧は溶解液も防げるの!?」
その後、トルヴィアの視界に新たな文字が浮かび上がった。[TUTORIAL_MODE_READY]と。
「補佐する……ってこと? 仕方ない、だったらやってやろうじゃないの! 少なくとも溶解液さえどうにかなれば勝機はあるはず……」
腹を決めたトルヴィアは拳を握って構えた。
ツチモグリは溶解液が利かなかったことを不思議がり、もう一度発射しようとしたその時、顎下からの強烈な衝撃に出鼻をくじかれた。彼女の拳が、ツチモグリの虚をついたのだ。
彼女は視界に表示された指示に従い、すかさず仰向けになった敵にまたがって、左腕で首根っこを押さえつつ、ドリル状になった口に右手で手刀を食らわせた。ツチモグリの口は時に掘削機のドリルですら貫けない岩盤を貫くというほどにはその硬さが知られているが、何と彼女はその口をわずか三発の手刀で粉々に砕いてしまった。
歯が砕かれたツチモグリは痛そうにびたんびたんと巨躯を地面に打ち付けてのたうち回り、もがきにもがいてついにトルヴィアを空に投げ飛ばした。だが彼女は空中で宙返りしながら羽根を器用に動かして体勢を立て直し着地した。
大事な
「逃がさない!」
その尻尾にトルヴィアは飛びついた。両腕でしっかりと掴み、大地を力強く踏みしめて変異虫を地面からざりざりと引きずり出す。一度地中に潜ったツチモグリを引っこ抜こうとするとこちらの腕が抜ける、と言われているくらいには保持力が強いのだが、彼女はそれを訳もなく引きずり出し、そしてついに頭部がすぽん、と抜けたその弾みを利用して空中へと投げ出し、。ツチモグリは轟音と共に地面に強く打ちつけられた。そのタイミングで彼女の視界に文字が表示される。
[KNOCK_OUT_COMMAND_READY]
「必殺技?何でもいいわ、一番いいやつで!」
[JUMP]
トルヴィアは羽を広げて大きく飛び立った。
[SPIN_AND_KICK]
空中で回転し、右足を前に出して重力に任せて敵の体めがけて突っ込む。トルヴィアの体は勢いよく敵の腹を貫いた。断末魔の代わりに、体のありとあらゆる部位から体液が噴出し、ついにツチモグリは息絶えた。そして戦いに勝ち、再び飛び立った彼女の視界には、勝利を祝うかの如く[BEETLE_STRIKE_SUCCESS]と表示されたのだった。
・・・
サナグはついにトルヴィアの鎧の秘密の一端に触れることが出来た。それは、邸宅内の書物庫の中に保存されていた、カヴト家の高祖にして初代国王、メディン・カヴトの写真であった。しかしそれは、王としての彼を捉えた姿ではない。戦いの英雄として鎧を付けて戦場に立つ雄々しい姿だ。問題はそれが、今朝虫人に変身した令嬢の鎧姿にうり二つだったことであった。
カブトムシを模した頭部の立派な角。歯がむき出しののっぺりとした仮面。そして胸部のあばら骨を思わせる装甲。間違いない。あれは高祖様の虫人の姿だ。彼は確信した。そしてサナグは、改めて王国史書に書かれていた一節を思い出した。
――天地への敬意を忘れ、いたずらに増えし人々の欲深し。
その欲、ついに変異虫となって文明を脅かす。
民は己の業が産みし怪異に恐れおののき、ついには故郷を捨てるに至る。
逃げ延びた安息の地さえも難迫りし時、一人の英雄現れこれを退ける。
カヴトと名乗りしそのもの、己の英知と甲虫の力を合わせし鎧で民を守る。
民は彼を王として祀り上げ、新たに国を興す。――
虫人の技術は数少ない旧文明の技術遺産だとは聞いていたが、まさか高祖がその第一号であったとは、長くカヴト家に務めている彼でさえも知らなかった。だがそれも無理はない。高祖が生きていた時代は今から400年も前の事だ。その時代の虫人の鎧が、偶然が重なった結果とはいえ、今頃になって蘇るとは。そしてサナグは、史書の一節の最後の部分が急に意味深に思えてきた。
――王、国興りてなおも戦うも、鎧に宿る虫の邪念強まりて時折自我を失う。
王はそれを憂い、同じ鎧を着るものは20年より長く着てはならずと厳命す。
また鎧を邪念ごと消滅させる薬、
もし、この節に書いてあることが、事実とすれば?
お嬢様が、高祖と同じ道をたどってしまったら?
考えるだけで末恐ろしい。サナグはいてもたってもいられず書物庫を飛び出し、トルヴィアの部屋へと向かった。その時、部屋の方からバタン!!と大きな音が聞こえてきた。バルコニーの扉が開いた音だ。ああ、よかった、お嬢様が帰ってきたのだ。
「お嬢様!」
勢いよくドアを開けた先には、果たしてトルヴィアが立っていた。すると鎧がぐにゃぐにゃと液体のように軟化し腰に巻き付くレリーフバックルに吸い込まれていき、全て吸い終わったころには、元の寝間着姿の麗しきカヴト令嬢の姿を取り戻していた。
「もとに……戻った……」
「ああ、お嬢様!! 元に戻られたのですね!」
完全に元に戻ったわけではなかった。いまだに彼女の視界には、赤色の文字が付いたり消えたりしている。コードによって体を書き換えられたらしい。だが、いま目に涙を浮かべて喜んでいるサナグにそれを言うのは少し気が引けた。
「ところで、サナグ、何か分かったことはあった?」
「ええ、書物庫にて調べましたところ、お嬢様が変身なされたあの鎧姿は、高祖様がつけていた鎧とほぼ同じものでございました。」
「ええっ!? 高祖様と!?」
「左様でございます。ですが、詳しい話は後程に致しましょう。見た所汗をかかれておられますゆえ、まずはお風呂に入ってあと、昼食がてら気づいたことを説明いたします。」
「そうね、まずはひとっ風呂浴びてから……」
「ああっ、そうだ、お嬢様。」
突然、サナグはトルヴィアに詰め寄った。
「どうかこの場で誓ってください。もう二度と”ジロウケイ”などは口にしないと。」
「な、なんですって?」
「訳は後でまとめて話します。」
「べ、別に毎日食う訳じゃないのに……」
「いいえ!もう金輪際口にしてはなりません!これはお嬢様のためを思って進言しているのです!下手をすればお命に係わるやも……」
「そ、そんな食べ物ごときでおおげさな……」
「い、け、ま、せ、ん!いいですね!このサナグ、お嬢様の為なら鬼にでもなります!未来永劫絶対に口にしないと、お誓いください!」
「わ……分かったわよ……」
結局執事の気迫に押されて、”ジロウケイ”厳禁の誓いを立てられてしまった。
確かにどうも自分が虫人になった要因の一つらしいとはいうものの、あれは自分の好物なのだ。あれを楽しみに毎日を生きているのに……
月に一度の楽しみを未来永劫禁止にされ、がっかりと肩を落としたトルヴィアは、重い足取りで風呂場へと向かったのだった。