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帰る
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飴傘
ホラーホラーコレクション
2025年03月20日
公開日
5,143字
連載中
小五のとき、親が離婚した。理由は分からない。

帰る




 小五のとき、親が離婚した。理由は分からない。



 俺が玄関のドアを開けたとき、母さんは大きなスーツケースに服を詰めていた。俺が「ただいま」って言ったら、母さんはこっちをちらっと見て、「帰ってきたの」とだけ言った。

 俺は靴を脱いで、母さんの隣に座った。「どうして服、詰めてるの?」俺が聞いても、母さんは何も言わなかった。

 「お母さん、これも」台所の奥から、妹が顔を出した。妹は俺と三才離れてるから、・・・・・・そんとき小二か。妹は下校したときの姿のまんま、一・二年生が必ず被る黄色い帽子を頭に乗っけて、うさぎのぬいぐるみを抱えてきた。


 「入らないよ」

 「抱えてくからいいの!」


 そして、妹は俺を見た。「じゃあね、お兄ちゃん」「じゃあな」うさぎをパペットのように扱って手を振る妹に、俺は手を振り返した。なんてことはない、じゃあね、って言われたから、じゃあねって返しただけのこと。妹はそれで満足そうに頷いて、母さんに「も、行こ」って言った。母さんは返事をしなかった。


 「母さん」おれは母さんを呼んだ。振り向いてくれた。妹には返事しなかったのに、となんだか嬉しくなって、「母さん、どこかにお出かけ?」と聞いてみた。母さんは答えずに、俺の頭をくしゃりと撫でた。

 「父さんは?」俺が聞いた途端、母さんの表情がすとんと抜けた。氷みたいに、表情がない。そして、そのまま玄関にずんずんと歩いて行って、黒いスニーカーを突っかけてドアを開けた。「お母さん、待って!」妹は高い声でそう言うと、うさぎを抱えたまま、玄関まで走って行った。俺もついていく。母さんはスーツケースを少しどけて、妹が通れる隙間を作った。


 「お兄ちゃん」妹は、外と玄関の境目で、もう一度俺を呼んだ。「ばいばい」今度は、うさぎを小脇に挟んで、自分の手を振っていた。「ばいばい」俺も返した。妹は、俺を可哀想なやつを見る目で見た。


 妹の黄色い帽子が、ドアの向こう側へ消える。「母さん」俺は、呼んだ。母さんは、振り返った。スーツケースは半分外へ出ていた。「母さん、俺は?」そう言ったら、母さんは急にドアを押さえていた手を離して、俺を抱きしめた。


 ドアとスーツケースがぶつかって、ガシャガシャン、と音がした。「ごめんね」母さんの声は震えていた。そして腕を解いて、もう一度俺の頭をくしゃりと撫でた。「あんたは男の子だから、きっと父さんのとこにいた方がいいよ」そして、俺の肩を押して、玄関に座らせた。「父さんが来るまで、座ってな」母さんはそのまま出て行った。振り返らなかった。


 きっと妹は、何で離婚したか分かってたんだろう。妹はマセてたから。でも俺はみんなよりずっと考えるのが苦手だったから、分からなかった。だから父さんが帰ってくるまで、言われたとおりに座っていた。ずっと時間が過ぎて、眠くなってきたころ、ようやくドアが開いた。父さんは座っている俺を見て、一言だけ言った。「父さんと母さんは、離婚した」



 リコン、って何? 父さんにそう聞いても、父さんは教えてくれなかった。だから、次の日学校に行って、先生に聞いてみた。先生は、「結婚したふたりが、また別々に戻ることだよ」って言った。「ふぅん。もう会えないの?」「会わないことが多いかな。ところで、今日なんで遅刻したの?」俺は黙った。父さんは、朝、俺を起こしてくれなかったから。


 俺は、その後しばらく玄関に座り続けた。学校から帰ったら、ランドセルを母さんがスーツケースを置いていた場所に置いて、母さんが俺を座らせた場所に座って、ずっと待っていた。玄関のドアは開くことも、開かないこともあった。でも、開いたときは、必ず父さんだった。ドアをずっと見つめて、それでドアが開いて、父さんの革靴のつま先が見えたとき、俺はいつもがっかりした。

 「また、そこにいるのか。もうやめなさい」父さんは、俺が座っているのを見るたびいつもそう言った。でも俺が黙ってじっと見返せば、父さんはそのまま素通りしていく。そして「洗濯もできないのか」と言いながら、一人でお風呂に入っていた。


 一ヶ月くらい経ったころ、珍しく父さんが、夕日が沈む前に帰ってきた。そして、玄関に座っている俺に、「母さんとカノが死んだ」と言った。

 母さんと妹が、死んだ。死ぬ、ということくらいは俺にも分かるから、俺は「どうして?」と聞いてみた。「事故だ」と父さんは言った。

 夜遅く、原付の後ろに妹を乗せていた母さんは、トラックと衝突したらしい。妹の額には、血で汚れた冷えピタが張ってあったそうだ。

 「お葬式は?」俺は、尋ねた。なんてことはない、死んだらお葬式をしなければならないからだ。「もう済ませた」父さんは、面倒くさそうに俺を素通りして、お風呂に行った。


 その次の日、俺はまたランドセルを置いて、玄関に座り込もうとして、気付いた。そっか、母さんも妹も死んじゃったんだ。死んじゃったということは、もう絶対に帰ってこないということ。俺は、びっくりした。死んじゃったら、泣くものだと思ってた。でも、俺は何にも思わなかった。悲しいも、苦しいも、嬉しいも、忘れたみたいだった。


 俺は、ランドセルを開けてみた。宿題のプリントがくしゃくしゃになって入っていた。前まで、母さんが手伝ってくれてた宿題。母さんが手伝ってくれれば分かったけど、今はもう何にも分からない。そして、俺は手の甲のにおいを嗅いだ。臭い。最後にお風呂に入ったの、いつだっけ。

 心の中の母さんが言った。「お風呂には毎日入りなさい」

 俺は、お湯を沸かしてお風呂に入った。


 入っている途中でお腹も空いてきた。あれ、最後にごはん食べたのいつだっけ。「ごはんは一日に三回食べなさい」また、心の中の母さんが言った。

 俺はお風呂から上がった後、小さいとき買ってもらったマジックテープの財布を取り出して、近くのコンビニまで行っておにぎりを買った。びっくりするくらいおいしかった。お風呂の沸かし方も、入り方も、洗い方も、ごはんの買い方も、洗濯の仕方も、全部母さんは教えてくれていた。覚えの悪い俺に、何十回も、何百回も繰り返し。ただ、俺がするのを忘れてしまうだけで。



 それから、中学に上がった。入学式に小学校のジャージで行ったら、先生に「制服はないの?」って聞かれた。「ないです」って言ったら、その三日後くらいに父さんが制服を買ってきた。「やる」父さんは俺へ向かって制服を放り投げた。制服は俺に当たって、ずるりと地面に落ちた。母さんのスーツケースが置いてあった位置だった。


 クラスのみんなには、「ぼーっとしてるやつ」って言われた。その通りだと思った。嫌な気持ちになるかな、と思ったけど、相変わらず嫌も、楽しいも、悲しいも、分からなかった。勉強はまるで分からないし、馬鹿にされていてもきっと分からない。そのうち、いかつい先輩がいっぱいいる変な集団に引っぱりこまれて、タバコを吸うように言われたりした。

 俺は、タバコを吸ってみた。なんてことはない、言われたから吸ってみただけのこと。でも、すぐに咳き込んで、タバコを落としてしまった。「わ、もったいねぇ」隣にいた金髪が、落ちたタバコを拾って咥えた。上履きの色が同じで、同級生なのかなと思った。


 「なぁ、賽銭箱漁りに行かねぇ?」しばらく経ったある日、俺は金髪に誘われた。「さいせんばこをあさるって、なに?」金髪は少し考えて、「俺の知り合いの先輩がさ、寺の住職と知り合いなの。だから、賽銭箱の中身取ってきてって言われて。一緒に取りに行ってくんねぇ?」「・・・・・・それって、お手伝い?」「そう!手伝い!」金髪はにやっと笑った。「行ってくれるよな?」俺は、お手伝いなら良いか、と思った。


 そして、夜遅くに学校に集合して、お寺に行った。金髪は懐中電灯やビニール袋を用意していたけど、俺は何も用意してなくて、金髪が呆れていた。俺はビニール袋を渡されて、金髪が賽銭箱を金槌の大きいやつで壊すのを黙って見ていた。五、六回叩くと賽銭箱が少し壊れて、隙間から手が入るようになった。

 「バカ! こっちだよ」俺は呼ばれて、ビニール袋を差し出した。金髪は小銭をたくさん握って、隙間から手を出そうとした。「ん? とれねぇ・・・・・・。あぁ、手ぇ握ってるからか」俺は、手が隙間から抜けないなら、お賽銭を取れないじゃん、と思った。でも金髪は、握る量を半分にして、何回も手を往復させてお賽銭を取っていた。すごいと思った。


 金髪は壊れたところをそのままに、金槌の大きいやつだけ持って、帰ろうと言った。俺は小銭の入ったビニール袋を持たされて、そのままついていった。「やぁ、大量だな」金髪は歩きながらビニール袋を覗いては、嬉しそうに笑った。「お前も役に立つじゃん!」ある程度お寺から離れた後、金髪は俺を褒めて、そして俺からビニール袋を奪い取った。


 そのとき、後ろからカツカツ、と靴音が聞こえた。「やべっ!」金髪は急に慌て始めた。「俺を隠せ、俺を!」金髪に小声で言われたけど、どうすれば良いか分からない。固まっているうちに、靴音は俺たちを通り越していった。夜の暗さでも目立つ、真っ赤なハイヒールと真っ赤なドレスの女の人だった。


 「セーフ!」金髪が楽しそうに笑った。俺は、何となく気になって女の人を目で追った。女の人は早足で今いる小道を抜け、大通りに向かっていた。十字路、小道と大通りが交わるその場所で、男の人が時計を見ながら佇んでいた。


 「カンタさん!」赤い女の人は、男の人に声をかけた。男の人は顔を上げて、小さく笑った。「行きましょう」「うん」二人は並んで歩いて行った。

 「おい」後ろからどつかれて、はっとした。金髪が俺を見ていた。「またな」「ああ、うん、また」またな、と言われたからまた、と返す。金髪はそのままどこかへ歩いて行った。

 男の人は、父さんに見えた。


 俺は、玄関のドアを開けた。家には電気はついていなくて、父さんの靴は玄関になかった。俺は家に上がろうとして、躓いた。そのまま派手に転ぶ。痛い。でも涙は出なくて、そのまま玄関に座り込んだ。なんとなく、疲れていた。



 その時、ドアが開いた音がした。



 ドアを見る。つま先が覗いていた。革靴じゃない、黒いスニーカーのつま先。


 俺は思わず立ち上がった。でも、また転んだ。痛い。次に起き上がったときには、つま先は消えていた。ドアは、何もなかったかのようにぴったり閉まっていた。




 次の日、俺はクラスで金髪に絡まれた。「昨日はありがとな、おかげで先輩に褒められたよ」

 俺は良かった、と言った。「お寺の人のお手伝い、できたなら良かった」

 「何言ってんだよ」金髪はケラケラと笑った。「寺の金を奪う、手伝いだろ」


 「今度もよろしくな」と肩を叩かれて、「うん、よろしく」と言った。よろしくな、といわれたから、よろしく、と返した。

 「挨拶はきちんとしなよ」心の中の母さんが言っていた。「じゃあね、っていわれたらじゃあねって返す。バイバイって言われたら、バイバイ。よろしくねって言われたら、よろしくねって返す。あんたは考えるの苦手なんだから、反射で言えるようにしなさい」


 その夜、久しぶりに玄関に座ってみた。でも、一晩中ドアは開かなかった。


 それから、何回もお賽銭漁りに誘われた。「行こうぜ」って言われたら、つい「うん、行く」って言っちゃうんだ。

 でも、新しい発見があった。お賽銭漁りをした日の夜は、玄関に座っていればドアが開く。俺が玄関で待っていれば、黒いスニーカーのつま先が見られる。お賽銭漁りがバレそうになったらしくて、やることが「お店から一つ何かを持ち出すゲーム」や「何かを運ぶゲーム」に変わったりしたけれど、変わっても黒いつま先は見られた。玄関ドアの隙間から。


 頭の調子が良い日、金髪に「家で玄関に座ってたら、たまにドアが開くんだ。で、母さんの靴のつま先だけが見える」って言ったことがある。「げ。なんだそれ」金髪は顔をゆがめた。「おまえんち、母さんいないんじゃないの」「うん。死んだ」金髪はさらに顔をゆがめて、梅干しを食べた後みたいになった。「じゃあそれ、幽霊じゃん」


 ゆうれい。今日も何かを運ぶゲームをしたから、俺は玄関で待っている。

 母さんはよく言っていた。「お天道様に顔向けできる人でいなさい。悪いことはしちゃダメ」 俺のやっていることが、悪いことなのはぼんやり分かっている。でも、どのくらい悪いことなのかは分からない。母さんは、悪いことをしてる俺を叱りにくるのかな。


 今日も少しだけドアが開く。真っ赤なハイヒールじゃなくて、古ぼけた黒のスニーカーのつま先が見える。ドアの隙間から見える夜空には、お天道様はいない。幽霊だっていいんだよ。母さんだったらもっといいけど。でも、お願い、



 帰ってきて。



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