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第13話


 三島宅を抜け出て車を走らせた宮川は、当然と言わんばかりに警視庁へと車を戻した。

 慌ただしく自分のデスクに戻ってくる頃には既に人はまばらであり、鈍色の蛍光灯の不吉さを孕んで揺れていた。


 そんなことをお構いなしと言わんばかりに、自らのデスクに腰をかけて、「森嶋悠人」が引き起こした事件の概要について振り返る。と言っても、必要なのは概要ではなく、その被害者遺族の連絡先だった。

 森嶋が起こした交通事故の被害者遺族はたった一人、被害者の母親だけである。


 森嶋が無免許運転によって死に至らしてしまったのは、城島奏美(じょうじまかなみ)。


 母子家庭出身の当時二十四歳であり、ホワイトカラーとして勤務していたところを事件に巻き込まれた。

 他に親族のいない城島奏美の母親は秀美。事件が起こった際その生涯を支えるが如く裁判に臨み、あらゆるメディアに露出をしていた。

 そんなことをすれば、最近の情報化社会では攻撃の対象になりかねないが、その行動そのものが犯人に対しての恨みの念の裏返しに思えてくる。


 宮川がこの事件の唯一の被害者遺族であり、被害者の母親である城島秀美の連絡先を調べたのは、三島の推測と木内の一件があったためだ。

 木内にしても、森嶋にしても、何かしらのトラブルに見舞われ、手足を欠損した。その後、突然社会から姿を消す、ここまでは二人とも同じである。では、それから先に何をしたのだろうか。

 木内は被害者遺族に謝罪をした後、自ら死を選択した。それでは、森嶋はどのような選択を取るのだろうか。

 単純に考えれば同じような流れをたどってもおかしくない。


 もし仮に、三島が話した「人間を更生するための拷問」が行われていたのであれば、森嶋もまた良心の呵責の断片を知ったかもしれない。

 それであれば、自らが犯した罪の重さを自覚し、被害者遺族に謝罪をした後、同じように死を望む可能性はどうだろうか?

 もちろんこれは、とっさに考えた仮説にしか過ぎないことを、宮川は経験から理解していた。確信に似た感覚は、実際に合ってることともあれば、間違っていることもある。


 しかしこの状況では、それを確かめることは急務である。

 本当に森嶋の人間性が変化したとして、被害者遺族に謝罪を求めたのであれば? 森嶋が既にこの世を去っている可能性も十分有り得る。

 事件がなんの変化もなければ、「森嶋が自分の犯した罪を被害者遺族に謝罪する」ということそのものが起こり得ないだろう。

 それが起きてしまっているのであれば、森嶋は自らの死を持って罪を償う選択をすることは容易に想像できる。


 宮川は必要な情報をすべてメモに書き込んだ後、ちらりと時計を確認する。

 既に時計の針は午後八時を回り始めており、これから連絡を取って話を聞くには少々不躾な時間帯になっていた。


 宮川は少々ためらいながらも、携帯から上地家へとコールを鳴らし始める。

 それに対して上地秀美が電話に出ることの確証はない。

 加えて、最近の常識は「不審な番号にはそもそも電話に出ない」である。宮川の期待値はもちろん高くなかった。

 それを承知の上で宮川が電話を鳴らしたのは、少しでも早く城島秀美の腹の中を知りたいからに他ならない。


「……もしもし?」


 コールを鳴らし始めて九回目で、電話の主は反応する。

 怪訝さの強い女性の声だった。恐らく比較的長いコール数も、番号を見て警戒してのことだ。


 更に電話の主は、名乗りもせずにこちらの応対を待っている。

 明らかにこちら側が何者であるのかを探ったうえで、身の上を伏せているのだろう。この時点で宮川は、事件後の城島家の凄惨な末路が頭に浮かぶ。

 大量のメディアへの露出が事件に対する悲劇性を強め、それに対して聴衆の心無い声がぶつけられたのだろう。正体不明の電話など、一度や二度ではないかもしれない。

 それでも、彼女は電話口に立ち続ける。

 被害者遺族としてできることが、「過去の被害者のことを知ってもらい、できるだけ多くの人から悼まれること」であると思い込んでいるような痛々しさ。

 電波の向こう側に立っている微かな息遣いから、宮川はそんなことを突きつけられつつ、ひっそりと自己紹介をする。

 丁寧に所属と役職について語った宮川に対して、電話口の女性は露骨に驚いたような口調で「警察の方ですか?」と、自らに真偽を問いただすような声を上げる。

 けれどもすぐに、「これは失礼」と言い直して口火を切る。


「こちら、城島の電話番号なのですが、なんの御用でしょうか?」


 尤もな疑問である。

 そもそもこのタイミング、秀美からすればなぜ連絡をよこしたのかも理解できないタイミングであろう。彼女の警戒心が強まるのも理解は容易い。

 しかしながら、すべての事情について説明するのに電話は不都合が過ぎる。

 宮川は森嶋の事件に行き着くまでに踏んできた道のりはあまりにも長い。それに加えて相手の精神的な負担も考慮しなければならない。


 そんな逡巡の中でひねり出したのは、「森嶋悠人のことで、お伺いしたいことがあります」というシンプルな言葉だった。

 正直なところ、これは賭けだった。

 もし仮に、相手が森嶋悠人のことについて、聞くだけでも攻撃的な感情が湧き上がってくるのであれば、宮川はとんでもない地雷を踏み抜いたことになる。


 長根家を訪れたときと似たような緊張が、宮川に迸る。

 不安から携帯を持つ手が震えるものの、電話口の秀美はなかなか言葉を発さない。かすかに揺れる電波のゆらぎはまるで、相手の息遣いをそのままさざ波へと変えるようだった。


 短く長い沈黙を乗り越えて、秀美は「彼についてなにか、お聞きしたいことでも?」と冷静な対応を見せた。


 言葉を受け取った宮川は、その言葉に対してなんと反応してよいのか分からなかった。

 冷静すぎる口ぶり。既に十分な復讐が果たされたかのような振る舞いに、微かな寒気を感じさせる。


 それでも宮川は、あくまでも冷静な対応に勤め、浅い呼吸をする。

 「森嶋の生死が現在不明な状態が続いています。お心あたりなどがございましたら是非、お聞きしたい所存です」と、警察らしい振る舞いと丁寧な言葉づかいに気を回す。

 すると彼女は、再び電話口で沈黙を流しながら、「彼に、何があったんですか?」と聞き返してくる。

 電話口での会話であるため、宮川はどのような対応をしようか悩んだのだが、それでも冷静な秀美の振る舞いから、一連の出来事について、必要な部分だけを伝えた方が良いと判断する。


「……そうですか」


 内容を咀嚼した彼女は、静かに息を吐いて考え込んでいるようだった。

 その間が、宮川のぼんやりと抱いていた「森嶋悠人について秀美がなにか知っているかもしれない」ということを確信させる。

 恐らく、森嶋は城島家を訪れている。

 そこで何かしらの話し合いが行われたうえで、彼女は警察の自分にどのような反応をしようかと悩んでいるのだろう。

 沈黙の間、宮川はそんなことに思いを巡らせていると、秀美は「ここにも、来ましたよ」と驚きの言葉を返してくる。

 しかしながら、その答えは何処か含みを持っているようで、秀美は未だ宮川に対する警戒心を一切解いていないようだった。


「でも……その時のことを、警察の方にお話するのは、彼にとっても不本意なことと思います」

「誠にその通りだと思います。しかしながら、彼の命に関わることです、ぜひ、お教えいただきたい」

「命に関わる、ですか。だから、なんですか?」


 電話口から聞こえてきた秀美の言葉に、宮川はぞわりと背中を撫でられる感覚を抱く。

 冷たく無機質な、それでいて怒気をはらんだ言い方だった。

 一切の攻撃性を持っていないのにもかかわらず、その手にはナイフが握られて殺気を見せられるような、気味の悪い感覚。

 刑事人生の中でもあまり抱いたことのない感覚だった。

 身の回りの空気が一段階下がっていくような薄ら寒さ。それは自分に対して向けられた敵意というより、極限に至った無感情さを向けられたからこそである。


 そこで宮川は、秀美の腹の底を推し量る。

 たった一人の子どもを失い、犯人が逮捕されても「年齢」による更生の可能性を提示された。そして、大きな罪に裁かれることもなかった森嶋への感情。

 決して実行されることはないながら、その腹の底に灯った怒りの感情。

 どんな日々を送ったとしても消えることはないのだろう。それを体現するように、秀美は電話口で続けた。


「刑事さん、貴方の仕事がどんなものであるか、私は、その辺りの一般人よりかは遥かに理解しているつもりです。尊ぶべき命も、理解したいと思っています。ですが、人を殺めた人間は、もう人とは思えないんです。貴方たちからすれば、死んでいる人間よりも、生きている人間のほうがよっぽど大切なんでしょう。でも、大切な人を失った側からすれば、どうしてあんな人間が生きていて、私の家族が、逝ってしまったのか。理解できないんですよ」

「城島さん、お気持ちは重々承知しています、ですが……」

「承知も理解も結構です。別に貴方に対して、なにか文句を言いたいわけじゃないんです。ただ、森嶋の命を救いたいと思っているのであれば、今後一切、お電話をしないでいただきたい」

「……森嶋は貴方に、奏美さんへ、謝罪したんですか?」


 宮川の問いかけに対して、秀美は言葉を探すように押し黙っている。

 最終的に秀美が行き着いたのは「失礼します」と一方的に電話を切ることであった。


 恐らく、その態度そのものが質問に肯定しているということには気づかなかったのだろう。

 露骨な沈黙が彼女の腹の中をそのまま表現している。


 宮川は自分が思っている以上に、冷静な見立てをしていた。

 突然娘を失い、警察は犯人を検挙することには成功した。だが、司法は犯人である森嶋へ「更生の可能性がある」という理由で極刑に処すことはなかった。

 怒り、混乱、焦燥。あらゆる感情が綯い交ぜのまま浸けられて、今の彼女の心内があるのだろう。

 秀美の気持ちが理解できるからこそ、宮川は彼女の誠実な対応に感謝させられる。


 電話というコミュニケーションツール。こちら側の素性を確認した時点で電話を切ることだってできたというのに、彼女はすべてを理解したうえで感情を述べた。

 いやむしろ、本来は対応すらしない予定だったのかもしれない。

 それでも、秀美は丁寧に話を聞いたうえで、自らの腹の中を開示する。人に見られたくない「暗部」をさらしてまで、彼女は宮川に誠実な態度を取った。

 その行動が電話口で宮川に頭を下げさせる。


 森嶋は謝罪した。

 当然それは「許されない」と理解していながら、それでも森嶋は贖罪に駆られた。

 それが、彼らに起きたことに起因するのなら、これから取るべき行動は一つ。自殺の他ないだろう。

 いや、もう遅いかもしれない。警視庁に手首が届いてから既に五日は経過している。人手を挙げて捜索するには可能性が薄すぎる。

 かといって、このまま手をこまねいていることもできない。

 宮川はすっかり頭を抱えながらも、行方の途絶えた森嶋の行方を探るため、無意味に端末を操作する。


 最初は森嶋悠人の情報であるが、警視庁のデーターべースにある彼の情報は型落ちと言って良い。

 宮川は森嶋のデータを前に指の動きが止まり、今度は木内のデータを別ウィンドウで表示する。

 そこには既に、彼が何処で自殺したのかなどの詳細情報が追記されていた。概要ではあるが、その時に宮川が報告した内容のほとんどが丁寧に綴られている。

 それを一瞥した宮川は、嫌な想像が頭に浮かんだ。


 この犯人は何かしらの意思を持って、犯人を更生させようと、私刑的な行動に出た。

 それであれば、被害者は本当にこの二人だけなのだろうか。

 木内と森嶋の共通点は、「未成年時に初犯で逮捕された経験がある」ということと、「過程はどうあれ人を死に至らしめていること」だ。

 犯人の更生の対象になりうる人間は、何もこの二人だけに留まらないかもしれない。

 それならば、事件のターゲットはもっと何人もいて、既に「自殺と処理された可能性」はないだろうか?


 宮川は即座にキーボードでこれまで分かった被害者の条件を設定して、未成年で犯罪を犯した人間を検索する。

 するとその中で何名か、都内だけでもおよそ三人の人間が自殺しているようだ。


 罪状も年齢もバラバラであるが、どれも都内郊外の森で自殺している。

 しかもそのどれもが、手足の指の欠損が見られ、うち一体は左足がまるまる切り落とされていた。これだけの事があっても、事件性がないと判断されたのは、そのどれもが「自殺」しているからだった。

 木内もそうだろうが、自殺したのは本人の意志である。

 もう生きることができないと判断するほどに追い詰められ、自殺という名の更生を選んだのだ。

 宮川は背筋が寒くなるのと同時に、とあることに気がつく。各人が自殺した場所が、似通っているのだ。


「坂峠の付近……どうしてここに集中している?」


 宮川が最初に発見した木内の自殺体は、郊外にある森に通っている国道・坂峠の付近だった。

 データベースから発見した三人は、場所こそ違えど、似たような場所で自殺しているのだ。

 確かに都内で人に見つからずに自殺するにはうってつけの場所である。しかしどうして三人共、似たような場所で、似たような手段でこの世を去っているのか。


 いくつか考えられる事がある。

 その中でも最も淡白かつ、安易に考えられるのは、「何者かによる自殺教唆」であるが、宮川はその考えをすぐにかぶり振った。


 もし仮に、この事件において被害者が受けたものが、三島の言うような拷問だと仮定しよう。

 それなら、あそこまで「死なせずに更生を行うこと」にこだわっていた犯人が、「最終的に自殺させました」では行動が矛盾する。

 徹底的な計画性と、入念な犯行を見るに、犯人は自らへ一定の「ポリシー」があり、それを遵守している。

 それを変えてまで、相手に罰を与えることは考えられない。これは人間の精神の専門家である三島の意見ではなく、大量の犯人との対峙から来る宮川本人の意見だった。

 ある意味では非論理的な確信を持つ宮川にとって、「自殺教唆」は選択肢から完全に排除される。


 それではどうして、三人は皆、木内を含めれば四人があの付近で自殺を遂げたのか。


 そこには犯人によって植え付けられた心理的な理由があるのかもしれない。

 宮川は現時点でそれについて理解することはできなかった。だが、今の時点では「事件に関わった人間があの付近で自殺する可能性がある」ということが分かっただけでも収穫だった。

 早速宮川は荷物を詰め込んで、坂峠周辺に向かおうとするものの、この時点で既に時刻は二十一時を回っている。

 今からそこに赴いても意味はないかもしれない。

 しかしそれでも、宮川は坂峠に向けて車を走らせた。パーキングエリア付近で森嶋と思しき人物を見かけるかもしれないという、希望的観測という言葉すら生ぬるい想定を祈ってのことだ。


 宮川は自分がしていることの愚かしさを理解しながら、通りがかりのコンビニで夕食を購入し、坂峠へと車を走らせようとする。

 けれどそこで、木内に繋がるきっかけとなった、霧島のことを思い出す。

 メモを確認すると、霧島の字体で名前と連絡先が書かれていた。事の発端は、霧島が木内と知り合いであり、失踪したことを調べていたからだ。


 正直、木内の状態をそのまま伝えるのは気が引けたが、約束した手前伝えないわけにも行かない。

 気が進まないながら、霧島の電話番号をスマホに入力して耳に当てると、「おかけになった電話番号は現在使われておりません」と機械音声が返ってくる。

 これに対して宮川は思わず舌を打つ。


 そういえば、この間のゴタゴタによって、霧島の素性を確認していなかった。

 最低限の裏取りも忘れるなんてと、情けない失敗に宮川は呆れるが、今は森嶋のことを優先していると切り替え、直ぐに車を走らせる。


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