坂峠で発見された男の身元は、やはりと言うべきか、木内正久だった。
宮川が坂峠に来た理由を作り出した男である。
最初の手首の持ち主である森嶋悠人を探している途中、同じような末路をたどった可能性が高い人間として、捜査線上に上がった男。
発見された遺体からは、右手首がなかった。それを見て宮川は即座に、森嶋のことを想起する。
しかし一瞬の逡巡で、森嶋の手首は「左手首」であったことを思い出す。
現場でそれを見れば、一瞬森嶋の遺体ではないかと考えたが、それはすぐに思い違いであることを理解させる。
それでも、熟練の刑事である宮川がそんな勘違いをしてしまうほど、死体の腐敗は激しいものがあった。
警視庁に戻ってきて死体検案書を読んでいた宮川は、自動販売機横のベンチに腰をおろし、顎に手をおいて状況を整理する。
発見された男・木内は、今回の事件とほぼ同様の手口と言える。
司法解剖の結果、木内の死因は頸部圧迫による窒息死。
他に不審なものはなく、「疑いようのない自殺」であったことは、この死体検案書を見るに一目瞭然だった。
同時に死亡した時期も、情報の通り二年ほど前、もしくはそれに近い時期だという。
だがそれでは、噛み合わないことが多すぎる。
その最たるものが、現場に残されていた足跡だ。
調べの結果、サイズまでは判明しなかったが、どうやら革靴のものであるというところまで判明する。
緩やかとはいえ、舗装された道から外れた斜面に、革靴で来るなど言語道断だ。
宮川が最初に思い至ったのは、「本当にこれは自殺なのか?」ということである。
たしかに死体の状況は、誰がどう見ても自殺のそれである。
一方で、周囲の状況はむしろ他殺説を強く押しているように見えた。
それでも、木内が死の直前に自らの整理をしていたのも事実である。
ここまで状況が噛み合わないことなどあっただろうか。
宮川は自分の経験から、類似ケースを弄るも一向に引っかかりが出てこない。それはすなわち、この事件が明確に、今までの事件と違っているからだと判断できる。
何かが、おかしい。
宮川は漠然とそんな事を思わされていた。犯罪を行うものというのは、犯行や足跡から、「どうしてこんな事をしたのか」という悪意を無自覚に滲ませるものだ。
しかしこの事件にはそのような、「人を貶めてやろう」という悪意が、行動と矛盾する。
宮川は三島が話していた「拷問」のことについて想起した。
もちろん、あんなものが本当に行われていたなんて、最初から信じていない。
それでももし、本当にそんな事が行われているのであれば、そこには「相当な悪意」が込められているはずだ。
無理もない。相手の嫌がることを悪辣に思いつき、あまつさえそれを実行に移している可能性があるのだ。
相手の指や手首を切断し、それを一切の躊躇いなくすることができている。これだけでも悪意の塊であろう。
にも関わらず、その後の行動はどうか?
高橋製鉄所の皆々の話を踏まえると、拷問の後は丁寧に治療をつけたうえで、日常生活に戻している。
森嶋のときも木内のときも、拷問者自身が何かしらの補助をしなくては、あのような結果には至らない。
問題は、「なぜ」、「あえて」そんなことをしたのかというところである。
加えて木内の件である。木内は自殺した可能性が極めて高い。
だが、彼が丁寧に自殺の準備をできたのは正直違和感がある。
そもそも「死んだ後迷惑をかけたくないから死ぬ準備をして自殺を図る」というものは、木内の人格イメージと矛盾する。
そう、これは悪意ではない。指導的なのだ。
木内のときも、森嶋のときも、まるで教員のように先導者がいて、それに従って行動しているような違和感。
行動と動機が明らかに矛盾している。
それは「拷問者」という悪意に満ちた存在であるにも関わらず、親心のような穏やかさも同時に備えている。
そこで、宮川は三島が話していた「動機」について思い起こす。
三島は直感的にこの事件の動機を「使命感から来る嫌悪」と表現していた。
これは、今自分で考え導き出した犯人の動機像と、矛盾するだろうか?
むしろ三島のほうが、より端的にその複雑な感情を表現してはいないだろうか。
犯人はなにか使命的な目的があり、その手段として「拷問」というやり方を選んだ。
その結果として、木内のように自殺に至るものや、森嶋のように所在不明になるものが生じた。その後の行動もまた、犯人の予想の中の一つだったかもしれない。
だからそのような行動を取る人間には手を差し伸べて、最後まで望んだ行動を取らせようとした。
あたかも、相手のことを考えてその行動に沿うように。
そう解釈すれば、宮川が感じている漠然とした犯人像がより立体的になる。
今までの捉え所のなさが、少しだけ現実味を帯びる気がした。
一方で宮川は、自分の結んだ犯人像が本当にそうであるか確信が持てなかった。
こんな犯人、本当の実在しているのか? そんな不安が静かに増殖していく感覚が身を震わせる。
どちらにしてもこれ以上、犯人に近づくためには、森嶋と木内の両面から調べていく必要があるだろう。
とはいえ、木内が死体で発見されて、森嶋は行方不明。今は手詰まりの状態にある。
宮川はその手詰まり感に息をつまらせて、持っていた缶コーヒーの残り香を喉の奥へと押し込む。
宮川のそんな様を捉えていたのか、「お悩み中だな」と通りがかった大江が声をかけた。
大江もまた、自動販売機で缶コーヒーを購入しているようである。
宮川が大江を捉える時には、がこん、と缶コーヒーが吐き出される音と、こぼれ落ちる硬貨が残響していた。
「あぁ、考えれば考えるほど、奇妙な事件さ。この件はな」
「そりゃそうだ。そうそう、坂峠の仏のスマホの履歴から、とんでもないのが見つかったぞ」
「もう何が出てきても驚かなさそうだがな」
「木内正久が、自分の起こした事件の被害者遺族に連絡を取っていた、ってことを聞いてもか?」
その言葉に宮川はすぐに反応し、「連絡を取っていたのか?」と聞き返す。
宮川は自らの反応の素早さから、それが如何に異常なことであるかを再認識する。
当然であるが、一般的に被害者遺族と加害者は、お互いにその存在を忌避するものだ。
被害者遺族は当然であるが、加害者に対しての無条件の怒りや憎しみを抱く。加害者側も「自分の家族が罪を犯した」ことに対して強い後ろめたさ感じる。
互いにそんな心持ちだからこそ、加害者は多くの場合、被害者遺族と関わることはない。
あるとするのであれば、償うことのできない罪の重さを理解しなお、それを噛みしめ、頭を垂れる時である。
宮川は木内の人物像のことについて一切分からなかった。
だが漠然と調べていくだけで、「犯罪者の人間像」の輪郭を掴む事はできる。
これは経験からくる確信だった。木内は「自分のことを中心に考え、贖罪などを考える人間ではない」と。
奇しくも、「木内が被害者遺族に連絡を取り合っていた」という事実は、宮川にとって大きな考えの変化を与えた。
それは木内の死に纏わりついてた事件性が、急激に薄れたことを意味する。
木内と森嶋には両者ともに、事件を通じて変化が起こっている。それは「人間性」の変化だった。
それは宮川の刑事人生では訪れたことのない不可解な現象だった。
森嶋は行方がわからなくなってすぐに仕事を辞めたという。
そこにどういう心境の変化があったのかは分からないが、なんとなく「真面目で陰気になった」という感想を抱かれていた。
つまり、全く違う人間のように振る舞った、ということになる。
それほどに大きな変化を与えることが直近で起きたのだ。それは木内もまた同じ。
人間性を侵す何かが起きたのだ。恐らく森嶋と動揺のことが。だから自ら被害者遺族に連絡を取るにいたったのだろう。
出会ったことのない感覚が、宮川の思考を支配する。拭い切ることのできない違和感が頭に楔を打つようだった。
その消えることのない感覚を噛み締め、宮川はすぐに自らのデスクに戻って端末を立ち上げる。
木内が起こした事件は宮川の管轄外だった。
そのためほとんどその記憶にないのだが、警視庁のデーターベースにはしっかりとその情報が記録されているはずである。
端末に木内の名前を検索すると、彼の起こした事件の全容がすぐに顕になった。
木内の犯したのは殺人である。
正確に言えば強盗致死であり、本来であれば無期懲役、もしくは極刑となるものである。
ではなぜ木内がどうして刑務所で一生を過ごすことなく、社会に出ていたのか。
その理由は犯罪当時未成年であったことと、複数犯による犯罪であったことが大きかった。
事件現場は東京都泉沢にある被害者宅だった。
木内を含む計四名の若者が真夜中に強盗に押し入ったことが発端である。
土曜日の真夜中の出来事だった。
木内らは、長根家の動向を監視しており、強盗は計画的に実施される。家主が旅行に出かけているときを見計らい、真夜中にかけて強盗を行う予定だった。
被害者となった長根亜希子はその日、両親が旅行に行っている間の留守番をしていたという。
長根亜希子が不運だったのは、家主である両親が旅行に行った直後に帰宅したことだ。
木内を含む犯罪グループは何日もかけて長根家を監視していた。しかし長根亜希子の実家の帰省は、完全に計画外である。
「家には誰もいない」という犯罪グループの計画は、長根亜希子の在宅により崩壊したことだろう。
不測の事態に混乱しパニックに陥った木内は、長根亜希子を二階の階段から突き落としてしまった。
打ちどころが悪く長根亜希子はそのまま死亡、木内らはそのことに動揺してほとんど何も盗むことなく現場を後にしたという。
当然そんな状況であったため、実行犯である木内はすぐに逮捕された。
更にそこから木内以外のメンバーも芋づる式に逮捕される。その際に、事故的に長根亜希子を殺害してしまったことを供述。
現場の状況とも矛盾しないということから、事件の収束は存外に早かったという。
だが、ここで問題が起こる。
犯行グループが、十八歳程度の当時未成年によって行われていたことだった。
当時の少年法の動きに加えて、木内がそのグループで「パシリ」として使われていたことが、追い風に働いたのだ。
木内の弁護士は犯行を「強要されたものである」と主張。これに適切な対応を木内が取り続けたことで、内容に対して軽い罪で済んだという。
このような顛末のため、木内は極刑もありうる強盗致死罪から社会復帰を果たした。
確かに、司法に基づいて事件の判決は下るものだ。
一方、そんな審判を下すのも人間である。その時の心情や相手の態度などによって、結果はいくらでも変わってしまう。
この事件の結果に納得するものがどれくらいただろうか。
もしかすると、当時の事件の動きを知っている人間ほど、「あの判決は妥当だった」と考えるものもいるかも知れない。
木内が幸運だったのは、その時の状況と、弁護士に恵まれたことであろう。
裁判といっても印象の力は強く、情報が多くなればその分、判断に迷いが生じる。
宮川は木内に会ったことはなかったが、それでも残された記録のように「強要されただけの気弱な少年だった」とは思えなかった。
確かに勘によるところは大きかもしれないが、木内のことを話ていた霧島の態度から、その人物像は輪郭を帯びる。
だからこそ、宮川は疑問だった。
木内に降り掛かった何かは、彼の人間性そのものを変えてしまった。
その変化が、木内に「被害者遺族」にコンタクトを取らせ、そして彼は自殺していた。
その間にある大きな空白。
宮川はそれに対して答えを渡すことができずにいたが、漠然とした想像が思考を先行する。
もしかすると、木内は降り掛かったなにかによって、「被害者遺族へ謝りたくなった」のではないだろうか。
そうなれば、森嶋に訪れたような変化と整合する。
森嶋もまた、まるで更生プログラムを受けているかのような態度に変わったことも説明がつく。
宮川はそこで、嫌な考えに行き着く。精神科医である三島が話していた拷問のことだ。
想像を絶する責め苦となるであろう拷問のことを三島は想像した。そして三島は、その犯行を「使命感から来る嫌悪」と表現した。
その根本的な目的が「犯罪者の更生」とすれば、三島の考えは大きく矛盾しないのではないか。
勿論、件の拷問を行うだけで、人間が変わるとは思えない。
そんなことで人間が変化するのであれば、とっくに社会は平和の園となっていることだろう。
だがもし、本当に人を更生させうる何かが、森嶋と木内に行われていて、現在があるのであれば?
彼らは貴重な実験の成功例となるだろう。
木内に関しては自殺を遂げているが、その理由がもし、犯人が行った「なにか」にあるのであればどうだろうか。
彼の不可解な行動にも少しずつ説明を渡すことができかもしれない。
ここに来て、宮川の頭で漠然と揺蕩っていたただの情報が、少しずつ線を結び始める。
それを確かめるように宮川は、長根亜希子の遺族の連絡先を電話に打ち込んでいた。