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第8話


 情報が出揃った翌日、宮川は車を飛ばしてとある場所へ向かっていた。


 それは東京郊外にあるという峠道だった。

 どうしてそんなところへ車を飛ばしているのかというと、木内の遺したというデジカメにあった写真のジオタグが、その森を示していたからだった。


 宮川はその「ジオタグ」というものがなんのか、話を聞くまで全く持って知らなかった。

 車を飛ばすなかで、宮川は昨日の鑑識官・大江との会話を逡巡していた。



「ジオタグ?」


 鑑識のなかで、大江に対してそう尋ねる宮川は、手に持った木内のファイルをめくっていた。

 鑑識の一区画にでっぷりと座り込み、我が物顔を決め込んでいる宮川に対して、大江はというと厭味を投げつける。

「ジオタグも知らねぇなんて化石人間め」

 同時に、ディスプレイに映し出された写真のプロパティを宮川へ提示した。


「ジオタグってのは、写真とか動画の内部データの一つで、まぁ位置情報に関するデータだよ」

「写真の中に埋め込まれてるっていうことなのか? 写真にそんなものがあるなんて知らなかった」

「お前みたいな化石は知らないだろうが、現代人にとっては当たり前さ。とは言うが、意外に知らないやつもいるかも知れないな。最近のスマホなんかで撮影したものは大体ジオタグが記録されるから、ストーカー御用達のシステムだ」

「あぁ、写真から場所を調べる時に使えるってことか。怖い時代になったもんだ」


 宮川はいそいそとそんな事をぼやくものの、大江はそれに対して「だが俺たちも使える」とディスプレイに地図を表示して指を指す。


「出てきたな。東京都と埼玉の県境にある坂峠の近くにある山だ。具体的な場所はお前のスマホに転送しておく」

「すげぇ時代だ。警察に入った頃なんて、写真から場所を推測するのにも人海戦術だったってのに」

「こういう技術の発達があるから、俺たちも犯人を追う時に短い時間で調べ上げることができるのさ。今と昔じゃ比べ物にならないくらい、捜査という観点から見れば警察に分があるだろうな」

「化石人間は、勘と足しかないんでね。そういうハイテクなところは、プロに任せるって話さ」


 宮川の弁に大江は「そうだな」と肯定しつつ、誰に向けるでもなくほんの数十年で変化してしまった現代社会を憂うような言葉を続けた。


「確かに、俺たちの仕事はこの数十年で爆発的な変化を遂げたが、今回みたいな事件を見ていると思うよ。それは本当に、俺たちのような、微かな痕跡を辿る仕事にとって良かったことなのかってね」

「どういうことだ?」

「考えても見ろよ。今は例えば、サンプルさえあれば素人でも人工知能を使って声を模倣する事ができる。少しばかり調べれば、ヤクだって自分で買うことができる。動画配信サイトで、検索をかければ、人間が長い時間をかけて培ってきたノウハウを見ることができる。確かに良いことだが、裏を返せば、これからの犯罪はそういうことが大前提になってるんだよ」

「……確かに、警察が嬉しい技術なんて、悪い奴らからも、待ちに待った技術だろうからな」

「あぁ。もちろん、俺は俺なりの経験があって、これからもその知識と経験を活かすことができるとは思っているし、捜査に貢献したい。だがな、その経験を遥かに超えるくらい、今の技術っていうのは可能性の塊だ。ジオタグだけじゃない。欠けた部分を予測して保管する技術や、あらゆる分析ツール、嬉々として使ってるこれらを、俺たちみたいな化石人間よりも遥かに卓越して使いこなす連中がこれからゴロゴロ出てくるだろう」

「そうなれば、古いデカじゃ、対応できないってことか?」


 大江は宮川に対して「怖い顔するんじゃねーよ」と軽く小突いた後、しかし深刻な雰囲気で手元にある冷えた珈琲を飲み干した。

 同時に指先でキーボードを叩きながら、宮川のスマホの音を鳴らし、ついでに写真に込められたジオタグ周辺のデータベースを印刷した。

 ギコギコと喉が支えそうな音を背に、大江は話に終止符を打つが如き、宮川へと視線を戻す。


「かもしれないし、杞憂かもしれん」

「その結論なら、言ってることが矛盾してるぞ」

「矛盾はしていないさ。確かに技術は昔から見れば遥かに発展してるが、俺たちみたいな化石だって、化石なりの矜持がある。経験がある、知恵がある。問題は、俺たち自身が、その矜持と技量をどれだけのものかを判断することができないところだ」

「……なるほど。つまり、技術進化と俺たち自身の成長が釣り合っているのであれば、十分化石人間でも、現代人に通用するって話か?」

「簡単に言えばそうなるし、むしろ俺はそう信じている。そう思わなきゃやってられんしな。だが時々怖くなるよ。俺たち自身の、いや化石人間の自信と実力がどれくらい釣り合ってるのかってね」

「まぁな、俺たちみたいな凡百は、ただひたすらに足を使うしかないのさ。そう思っている方がちょうどいい」

「良い心構えだ。だが、こういう技術をわんさか使ってくるバカが増えてくるってことは、頭の何処かに置いておいたほうが良いぞ」



 投げかけられた言葉が、坂峠の入り口に差し掛かったところで思い返された。

 どうしてそんなことが頭の中に浮かんできたのかと言うと、宮川は大江の言わんとすることをそこで理解したのだ。


 長年の犯罪捜査という経験から、宮川も大江も、今回の事件を引き起こした犯人像が「ある程度の医療知識のある知的な犯罪者」という印象を抱いている。

 明言することはなくても、漠然としたイメージ像は何処かで共有されていたはずである。

 大江はそれに対して、一つ警告をしたかったのだろう。

 犯人像を経験から絞るのは確かに有効な方法であるが、それが「自分の経験と知識によって作り出されたものに過ぎない」という大前提の落とし穴。


 ジェネレーションギャップという言葉が示すように、今の時代と過去の時代では、ありとあらゆる常識が変容する。

 それこそ、宮川や大江が抱いている現代人像と、現実が大きく違うように。

 宮川のような、「長年の経験と知識」を中心にした捜査をしている人間は、特にこの落とし穴にハマってしまう傾向にあるだろう。

 自分が真実に最も近いと思って進んでいた道が、気づかぬうちに錆びた陥穽に繋がっていたと知った時、その精神的な衝撃は計り知れない。


 いわばそれは忠告である。


 切断された手首が見つかったとき、宮川は一瞬で「その手際の良さ」を感じ取った。

 一切の躊躇のない美しい切断面から、「医療職」もしくは「手慣れた犯行」を思わせたが、だからといって現代ではそのプロファイリングが正しいとは限らない。


 最近のインターネットを使えば、パソコンからアクセスする事ができる普通のサイトでも、大抵の犯罪に必要なものは取り揃えることができるだろう。

 人体を切断することに特化したメスや医療用のハサミなどは、表層ウェブであっても身分を偽れば購入する事ができるはずだ。

 手慣れた犯行が、近年のリアリティのあるゲームや、ネットからの拾い物を見て「人を傷つけること」に対して躊躇いがなくなれば、それは「手慣れている犯行だ」と認識してもおかしくないかもしれない。

 大江が言いたかったことは、「自分のプロファイリングがどんな状況でも当てはまるものだと思うな」ということだった。これから相手にしなくてはいけない犯人は、それらのネット環境やパソコン、スマホなどが身近な存在である「デジタルネイティブ」なのだから。


 宮川はその忠告に対して真摯に受け止めていた。

 ジオタグについても、他のあらゆる情報技術についても、自分は何一つ知らなかった。

 それこそが宮川に、「自分自身の無知」を知らしめる。


 しかしながら、宮川はこの事件に対して、漠然としながらも「事件のことを知ってほしい」という犯人の心理が透けて見えていた。

 最初から違和感だった。

 事件を追っているというのに、犯人の目的がまるで見えてこない。


 事件の発端である「手首が警視庁に置かれる」という時点で、自己主張の激しい犯人である。その印象はありながら、そこから今に至るまで、予定調和的なレールを走らされているような感覚を突きつけられていた。

 更にはこのジオタグである。宮川は知らなかったが、このジオタグというものは比較的前からあり、標準的なものとして認識されるようになったのがここ最近とのことらしい。


 写真の出所である、木内が渡してきたというデジカメは、比較的古い型だったはずだ。

 年代から考えれば、あのデジカメにデフォルトでジオタグを書き込む機能はない。

 それならなぜ、写真にはジオタグが書き込まれていたのか。答えは「ジオタグを書き込む機器で撮影したものを移動した」か、「後から意図的に書き込んだ」かのどちらかだ。


 自然に考えれば、前者の可能性が高い。

 後者のようなことをする必要がないからだ。自分から場所を明言する必要などはないし、そんな小細工をするなら、適当なミスリードの写真を入れておけば良い。そしてミスリードにしては、その場所がすぐに何処か分からなければ意味がない。

 だが、宮川の考えた犯人像であれば、「意図的にジオタグを書き込んだ」としても矛盾しない。この辺りの整合性はまさに、刑事の勘としか言いようがない。

 大江の忠告からすでに逆行している気がするが、他に手がかりがない以上、宮川はその可能性を信じる他ない。

 宮川はそんなことを考えながら、適当なパーキングエリアに止めた車の扉を閉めた。



 坂峠は国道から少し外れた山間部にある峠である。

 入り口付近にあるパーキングエリアから、簡単な登山をすることができるハイキングコースがあった。

 とはいうものの、山というよりは森林に近く、極端な高低差も見られない。

 積極的に登山をすると言うより、森林浴と散歩によるリラックス効果を目的とした観光客が多い様子だ。

 その一方で、都市部から大きく離れたアクセスの悪さと、県境に位置している峠ということで、駐車している車の殆どが休憩中のトラックである。

 そのような利便性の悪さがあるからか、見回す限り人は見られない。


 宮川はそこで、木内のデジカメから発見された森の写真を再度確認する。

 写真だけを確認すればよく分からなかったが、ジオタグに表示された緯度と経度からある程度の方向は確認できる。

 それに加えて、特徴的な木の形、少しずつずれ込んでいくジオタグなど、写真から得られる情報は存外に多い。


 方角からすると、まっすぐハイキングコースを進んで、通常であれば斜め右に曲がって展望台を目指すところを、柵を越えて直進したところのようだ。

 当然、まっすぐ進む先には舗装などされておらず、けれど緩やかな斜面が続いている。

 宮川はアスファルトの上から、その斜面の土を注意深く観察する。

 すると、薄っすらではあるが、人工的な凹凸が確認できた。大きさも人の足跡と視認することができる。それを見て宮川は内心、「ここを誰かが歩いていった」ということを確信する。


 宮川は舗装されたところから先に進むことを一瞬ためらったが、写真にジオタグが備わっていたことを思い出し、すぐにフェンスを越えて斜面に足を落とした。


 大江の話によるとジオタグは、撮影した場所の「位置情報」を記録するものらしい。

 それであれば、座標がここから先である以上、ある程度機械が動作するのは間違いない。

 とはいえ、磁気がおかしくなる可能性も考慮して、念の為スマホで方位磁石を起動させる。

 最初の起動の時点で、方位は正しい位置を示していることを確認し、そのままジオタグが示す方向へ進みつつ、写真の光景を探した。


 小さな山間部とはいえ、森の中から特定の写真の場面を探し出すのは容易なことではない。

 宮川はそんな事を思いながら、警戒して山道を歩きだすものの、意外なことに写真の光景は随分と呆気なく見つかることになる。

 元々、この山間部はハイキングコースから外れればある程度険しいことも相まって、撮影者があまり奥まで進むことができなかったのだろう。

 それに加えて、ジオタグによる位置情報である程度当たりをつけることができるのも大きい。

 方角が固定されるということで、手探りで探しているという感覚は乏しく、精神的にも随分と気が楽になっていたのも影響している。


 だが、宮川が写真の場所を呆気なく見つけることができたのはそれだけではなかった。

 よくよく見れば、土に薄っすらと人が土を踏んだ痕跡が残っていた。

 そこで、宮川はじっとりと嫌な感覚に背中をさすられる。


 木内が姿をくらませたのは、二年ほど前だったという。

 あのジオタグの日時もまた二年ほど前。さほど大きな時間的な違いはなかった事を踏まえると、ここを訪れた時と同じくらい前の出来事だろう。


 それなら、ここに足跡が残っているわけがない。痕跡が残るのはせいぜい数日前、それもかなり希望的観測である。

 足跡が残っているということは、何者かが直近でここを訪れたからだ。


 一体何が目的だ? いや、その答えはとっくに自分のなかで出ているはずである。

 「自分と全く同じ目的」、つまり木内を調べている人間か、もしくは木内の失踪に関与した人物。

 その可能性に行き着いた時点で、宮川は存在するはずのない視線を背部から感じ取る。

 素早く振り返るが、当然そこにはなにもない。

 考えすぎだ。

 流石にこの森のなかで気配を感じ取ることができなくなるほど、耄碌した覚えはない。


 それでも、本能的に何かしらの気配を感じ取ってしまうのは、人間としての恐怖感がもたらす幻かもしれない。

 心臓を締め上げるように高鳴る鼓動を抑え、宮川は起動している方位磁石に視線を落とす。異常を来すことなく起動している方位磁石は、先ほどまでと全く同じ方角を示している。

 そこで宮川は現実に戻された。


 今自分がしていることに集中しろ。

 心のなかで自分にそう語りかけ、いそいそと前を向き、目的の木々を求めて視線を這わせる。


 一瞬不快な感覚に囚われた宮川だったが、その直後に写真に収められたであろう木を発見する。

 特徴的な木目から、写真に残った木であると確信するも、その木は写真と一部異なっていた。


 写真にあった木の枝が、一部まるまるなくなっている。

 途中からへし折れてしまっている枝を見るに、なにか重いものがのしかかり、枝が折れてしまったのだろう。

 宮川は一瞬それがどういう意味なのか、無意識で思考をまさぐった。

 その原因と思しき仮説に行き着いたとき、宮川は自らの体に負担をかけるような俊敏さで、木の根本へと歩を進めた。


 そして、枝の周りを注意深く観察すると、枝が折れた先は地面がえぐれるように段差になっていた。

 これでは周囲から視認することが困難だろう。恐らくそこに、折れた枝があると踏み、注意深く段差となった部分を降りる。


 そこには、宮川が無意識に弄った仮説が、腐敗が進んだ男の死体となり実体をもつ。


 その死体は、顔だけでは身元がわからないほど腐敗が進行しており、身元を調べるためにはそれなりの時間を要するだろう。


 ただ一つその場でも確認できるのは、死体から右手が切り取られていることだけである。


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