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第4話



 切断された腕の持ち主である、森嶋悠人という男は、約十年ほど前に無免許での車の運転中、死傷事故を引き起こしていた。

 当時の年齢は十七歳であり、いわば犯罪少年に該当し、刑事法にて裁かれることとなった。無免許での死傷事故の場合、犯人がたとえ未成年であっても刑事法が適用される。

 それに則って、森嶋は刑事裁判によって六年の懲役刑に処された。


 森嶋は名家の子息であったが、中学校時代から「札付き」と言われるような触法行動が目立っていた。そのことも加味して、執行猶予なしの懲役刑に処されたそうだ。

 森嶋はその後、少年刑務所に収監され、刑期を終えて社会復帰したという。

 それが現在から四年前のことであり、現在どのような生活しているのかは、宮川の知識では追うことができなかった。


 少年刑務所にツテのなかった宮川は、資料のなかであった、「森嶋の社会復帰に寄与した保護司」に注目する。

 保護司とは、刑に服して社会復帰をする人間に対しての支援者であり、国家公務員でありながらボランティアでもあるという特別な役職だ。

 主となるのは保護観察官と共に、保護観察を行うなど、地域の更生保護の担い手となる役割を持っている。

 森嶋もまた、六年の刑期を終えて社会復帰をする際に、働く場や住む場所の整備などの支援を受けていた。

 その際に森嶋を担当した保護司が、清島誠一郎という男だ。


 清島は嘱託医をしながら、保護司活動にも力を入れている献身的な人間であり、森嶋以外にも多くの服役者への社会的な支援を行っているという。

 まさに清廉潔白という言葉がお似合いの経歴に、宮川は若干の薄ら寒さと同時に、「森嶋のことをよく知っているであろう」という推測を持って電話を鳴らした。

 「突然のお電話すみません」お決まりのフレーズとともに宮川は自身の素性について語る。

 「警視庁に届けられた手首が森嶋悠人である可能性がある」ということについて説明すると、清島は息を巻いて反応した。


「一体、どういうことなんですか? 手首なんて……」

「こちらも現状は何も……。そもそも、手首の持ち主が現在どんな状態であるかすらわかりません。清島さんは、保護司として彼の社会復帰の支援をされていましたよね? 今現在、森嶋さんがどこで生活をされているのか、ご存知ありませんか?」


 電話でありながら、宮川の丁寧な言葉遣いが、尖っていた清島の言葉の角を取っていく。

 だからこそ理解できる。電話越しでも伝わってくるほど、彼の熱意というか、晴れ渡るほどの潔白さがこちらにも届いてくるようだった。

 だからか、清島は知っている情報を整理するために、「少々お待ちください」と一度保留をかけた。


 保護司としての仕事で携わった人間は、恐らく一人や二人ではないのだろう。

 その膨大な経験のなかで、森嶋の名前だけで人物像を想起するのは流石としか言いようがない。

 一分も満たない時間、保留の音楽が聞こえてきたところで、保留が途切れ、清島の声は戻って来る。


「森嶋君は、判決通り六年の刑期を終えた後に少年刑務所を出所しています。その後は溶接などを中心とした作業をする工場に勤めているようで、都内のアパートに住んでいるはずです」

「最近になって、森嶋さんとお会いしたことや、お話することなどはありましたか?」

「彼の出所以降はあまり交流はありませんが、忘れたことはありません。何分、彼は判決を受けたときと出所したときでは、見違えるようでしたから」

「元々は、かなりの非行少年だったと聞いているのですが、それについてはいかがですか?」

「えぇ。手のつけられないほどの問題児、というのが私の印象でした。恐らく、他の方もさほど変わらない印象を抱くでしょう。ですが、まだ彼は子どもでしたから……それに彼は、家庭が比較的名家でして、他の兄弟と比較されながら育ってきた背景も、非行の原因だと思います」


 ここで、宮川はファイルを捲る手を止める。

 確かに森嶋の実家は名家という記載があり、兄弟も三人いるなかで、森嶋は中間子だ。もし仮に、長子と末子が優秀であり、比較され続けていたのであれば攻撃的な性格になるのも頷ける。

 そんなことを推し量りながら、宮川は更に森嶋のことについて尋ねた。


「彼の家庭環境や両親とも、お会いしたことがありますか?」

「勿論です。ですが、彼にとってあの家は決して良い環境であるとは言えないでしょう。私から見てもそう感じていますし、そもそもあの家は、悠人君のことをもう家族だとは思っていないとハッキリ断言していましたから」

「それはまた剣呑ですね」

「えぇ。刑事さんにお話するのは釈迦に説法でしょうが、あのような名家は、とにかく失敗を嫌う傾向にあります。ですから、犯罪者を家族とは到底認めません。被害者の受けた傷も大きいでしょうが、幼い彼らの行動は、古傷ゆえの行動なのかもしれません」


 清島は印象通り、明らかに森嶋に寄った考え方をしていた。

 態度には出さずとも、宮川はというと「同情すること」は真っ向から否定派であった。犯罪者である以上、どんな同情的な事情があったとしても断罪されるべきだし、肯定されるべきではない。

 宮川は態度を腹の底に納めたうえで、更に確認するように電話口へ語る。


「清島さんが、彼の近況を知らないということは、彼が勤め先を辞めた可能性もあるのでしょうか?」

「そこまでは私もなんとも……、よろしければ、彼の勤め先をお教えしましょうか? こんな状況ですし、捜査の一環でしょう?」


 清島は宮川にとって願ってもない話を持ち出して、電話越しに紙面を捲る音が聞こえてくる。

 当然宮川は、最初から森嶋の勤め先を確認するために連絡する腹づもりもあり、丁寧な対応で勤務先のメモを走らせる。


「高橋製鉄所……森嶋さんは出所後、ずっとここにお勤めということですね」

「私の把握している限りは、ですが。それ以降、彼とは付き合いがないものでして……。便りがないのは元気の証拠と思っていたのですが」


 清島の言葉の行間にはいくつもの感情が含まれている。

 それは言葉にならずにそのまま見送られ、宮川は「お忙しいところありがとうございます」と変わらず丁寧な挨拶をもって電話を切った。

 保護司と話す機会というのは、中々ない機会であるが、宮川はこんな短い時間でさえ、自分のなかで燻っている感情を動かしていた。

 当然というべきか、清島は明らかに加害者側の人間である。

 罪は罪、人は人という絶対的な考えを持っており、更生について真剣に捉えている。

 だからこその態度は、まさに人間として手本とするべき姿であろう。


 しかしながら、凶悪事件の最前線に立っている宮川にとってそれは随分と眩しすぎた。

 人間が持つ業の深さは、正義の天秤にかけるには、暗澹が過ぎると常々宮川は感じていた。

 そんなことを思っている時点で、自分も既に、薄暗い暴虐の世界に足を踏み込んでいると理解させられてしまう。

 そんな傍ら、自らができる唯一のことが、ただ捜査に打ち込むことだと言い聞かせる。

 眩しすぎる模範例を見せられたからか、宮川は頭の記憶を弄られた感覚を覚えたものの、すぐに情報を整理して、次なる目的地を明確にした。



 手首の持ち主である森嶋悠人は、名家の子息ながら家族仲が悪く、十七歳の時に無免許での死傷事故を起こして少年刑務所に七年服役。

 その後「高橋製鉄所」に勤務しているとのことであるが、現状は不明である。

 そうなれば次に尋ねるべき場所は、森嶋悠人の生家であろう、「森嶋家」である。

 ファイリングされた資料のなかで、緊急連絡先である森嶋家直通の電話番号を一瞥し、その電話番号をプッシュすると、すぐに電話は繋がれた。


 電話に出たのは女性であり、こちらを伺うような態度だった。単純に考えれば、森嶋悠人の母親だろうか。名家のことを考えれば使用人という可能性もあるだろう。

 宮川はお決まりの自己紹介を行って、「森嶋悠人さんが事件に巻き込まれた可能性がある」という口火を切ると、電話の向こうにいる女性は露骨に狼狽する。

「悠人に、なにかあったんですか?」

「捜査段階のためまだ詳しいことはお話できないのですが、悠人さんの消息が現在掴めていないんです。最近で、彼と連絡を取ったことはありませんか?」


 女性は宮川の問いかけに対して一瞬沈黙をおいて答える。

 電話口のため細かな動作はわからないものの、自分の記憶や思考を整理している間ではない。

 時間的に、周囲を伺うような間ではないだろうか。宮川は電話越しで森嶋家のなんとなくのパワーバランスを想像するが、その想像に違うことなく、女性は話し始める。


「ご存知でしょうけれど、悠人は交通事故で逮捕されてから、森嶋家とは絶縁状態です。主人は何があっても金輪際、悠人と付き合うな、と家族全員に話しています。たとえそれが、悠人の死に関わることであっても」

「……もし仮に、森嶋悠人さんが、既に亡くなっている状態であれば、警察としては身元の引受人が必要になりますが、そうであっても、ということですか?」

「はい……。主人は、あの子のことに対してはもう、手のつけようがないくらい怒るので」


 宮川は電話口で話す女性に対して、異様な雰囲気を感じていた。

 名家として、一般的な家族とは異なるということは想像していたが、生死に関わることであっても、そんな対応をするのだろうか。

 確かに、すっかり崩壊した家庭であれば、そうなることは珍しくないし、宮川にも何度か経験がある。けれど、如何に名家と言っても、こんな対応を家族揃って言いなりになっているのは異常の一言である。


 同時に、森嶋を歪ませたのが間違いなくこの家にあることも理解させられた。

 結果重視の名家の主人と、最低限の愛情こそあれど、主人に平伏している母親。

 資料通りある程度の兄弟もいて競い合わせていたのなら、悠人が「札付き」と呼ばれるようになるのはある意味必然かもしれない。


 奇怪な雰囲気を纏う電話口で宮川は「それでは、今現在、悠人さんがどのような状況であっても、連絡をするなということでしょうか?」とハッキリと尋ねる。

 するとそれに対して女性は「違います」と性急に答えた。


「……もし仮に、あの子になにかあった時には、連絡をいただきたい。でも、捜査の協力なんかは、一切できません。主人はそういうところ敏感ですし、家に尋ねられるのも困ります」

「現状、捜査としてどこまでのことをするかということは分かっていませんし、お話することもできません。ですが、悠人さんのことについて、死ぬまで一切のことはどうでも良い、ということでしょうか?」

「そうではありませんが、私共としても、あの子のことで積極的に動くことはできませんから……」


 宮川はそこで、「森嶋家」に対して嫌悪感を抱いていた。

 悪人は悪人、裁かれて当然。

 その信条はそのままに、宮川は「森嶋家」全体に対して同じような感情を突きつけられる。

 この家の人間は、間違いなく裁かれる側にいる。噴出するマイナスな感情をいなしながら、「進展があれば、また連絡させていただきます」と最低限の対応をしつつ、宮川は電話を叩きつけるように切った。

 こんな人間が、未だ当然のような顔で生活している事自体、胸糞悪い。

 清廉潔白の過ぎる清島と、自己保身ばかりを考えて独善的な振る舞いをする森嶋家。両極端なふたりを目の当たりにして、宮川は久々に感情を揺さぶられるような感覚があった。


 愚かしい。


 腹のなかで囁かれた言葉は妙に耳に残ったが、それでも宮川は手を止めずにメモに情報をまとめた。

 最初から当てにはしていなかったが、森嶋の実家がこれほどまでに役に立たないのであれば、次に当たるべきは「高橋製鉄所」の方である。

 彼の勤め先であるというそこであれば、森嶋悠人の足跡を辿ることができるかもしれない。


 宮川は目的地が決まり次第、即行動に移し始めた。


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