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第3話


 警視庁宛に手首を届けたのは清水というホームレスだった。

 清水曰く、ホームレスの多い公園でうろついていた男に金を渡されたという。「荷物を決まった日時に警視庁の玄関へ置くように指示された」らしい。


 清水が逃走の際に持っていたボストンバックには、配達員の衣装と現金で五万円の紙幣、そして例の梱包された荷物が入っていた。

 当然ボストンバックも押収され、そのまま鑑識に回されるものの、清水にそれ以上の情報がないことがわかれば、すぐに解放された。

 一連の出来事は宮川単体で行われ、問題なくすべての報告がなされるものの、残された腕の持ち主は不明のままである。



 宮川は報告書を手に、捜査一課長である新井へ一連の出来事を報告するも、威圧的な言葉が返ってくる。


「それで、これからの動向は?」


 これから先の動向について尋ねられた宮川であるが、至って冷静に続ける。


「実際に何者かの手首が発見されている以上、行動しない選択肢はありません。しかしながら、この事件に対して十全な人員を投入できない状況についても理解しています。そのため、僭越ながら一課長のお考えについてもご教示いただきたい」


 新井は再び報告書に視線を落とす。

 ひとしきり一瞥していたためか、一分も待たずに顔を上げた新井は、静かにため息を付いて語りだす。


「……一日足らずで実行犯を挙げるのは流石だな。人員の投入については、現在進行系で起きているヤマから人材を分配して来なきゃいけんわけだが、そうなると所轄から人を引っ張る形になるだろう。どっちにしても、例の手首についての調べがついてからだ。それまで、独断で行動して構わない」


 その言葉に、宮川は態度には出さずとも内心で笑みを浮かべた。

 本来であれば正式に複数名で動くレベルの事件。

 それをある程度自由に行動する事ができるというのは、それだけ自分のやりたいように進める事ができる。

 確かに大勢の手数が必要になってくる場面は多い。

 しかし手数が多くなるということは、それだけ情報共有の時間が多くなり、円滑な作業の流動が保ちづらくなる。

 新井もまたそれを理解して、ある程度手数が必要になるまでの間、捜査を任せる腹積もりであろう。


「承知しました。手首についてわかったことがありましたら、すぐにお伝えします」

「……宮川、お前の見立ては? この事件について、どう思っている?」

「と、言いますと?」

「顔に出ているぞ、このヤマは独りでやりたいってな。お前が飼い殺しになったあれが、もう二年も前の話だ。そこから久方ぶりに、お前の目が猟犬のそれになっているように思うのは、俺の勘違いか?」


 猟犬という馴染みのない言葉を、宮川は久しぶりに耳にいれる事となる。

 かつて宮川は、慇懃無礼な態度ながら淡々と、確実に相手を追い詰めて確保まで貢献していた。そこから裏で、畏怖の念を込めて「猟犬」と呼ばれていたことがあったという。

 宮川本人がそれを直接言われたことはないものの、風の噂で自分がそう言われていると聞いた時には、一笑に付したことは未だ記憶に残っている。


 宮川としては、自分が「猟犬」などという大層な渾名がついていることに寒気を覚えていた。

 自分はそんな立派な力があれば、今の自分はこうなっていることはないだろうし、そもそもこの社会に貢献できたことなど、どこまであるだろうか。

 そんな葛藤を常に抱きながら、宮川はついに刑事という仕事の無力さに打ちひしがれる。

 それが二年も前の出来事ということに驚かされつつも、そんな事がありながら未だ宮川のことを「猟犬」と嘯く新井に、失笑してしまいそうになった。


「どうでしょうね。考えは変わってはいませんよ。いえむしろ、自分の中にある、カビまみれの矜持を確かめたいのかもしれませんね。警察という組織で経験を積んだ、法治国家の正義ってものを、信じたいだけでしょう」

「感傷的だな。俺たち警察ができるのは、あらゆるものに公正で厳格な審判をするテミス像の前に、ろくでなし共を引きずり出すってことだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。いわば、それだけだ」

「そうでしょうね。しかしながら、人類はテミス像と同じ叡智を得ているわけではない。だからこそ、末端の人間は正義なんて言葉に悶えるんですよ」


 新井はその言葉を聞き、「そうかもな」と自嘲気味木に答え、視線をテーブルの上の書類に落としていく。

 その時点で、「この話はここで終わりである」という段落が設けらる。

 宮川は頭を下げて捜査一課長室の重厚な扉を閉めた。


 そそくさと捜査一課に戻る道中、宮川は背後から「やっと見つけた」と声をかけられた。

 その正体は鑑識で手首を調べるように依頼した大江である。

 大江は額に少々の汗をにじませており、息を切らして、手に持っている書類一式で宮川の背中を叩く。


「全くどこにいたんだよ。お前のためになる早で、手首のことを調べてもらったってのに」

「あぁ、これは失礼なことをしたな。それで、どうだった?」

「幸いなことに手の持ち主は警視庁のデーターベースにあったらしくてな。森嶋悠人という男のものらしい」

「森嶋……聞き覚えがないな」

「お前が知らないなんて意外だな。この男、当時一七歳で死傷事件を起こしていたらしい。何年かの不定期の懲役刑を執行されている。もうシャバに出てるだろうが、どうしてそんなヤツの手首なんて持ち出したのか」


 宮川は早速大江から受け取った資料を受け取り、すぐ近くの休憩スペースに大江を連れてベンチに腰を下ろす。

 ぺらぺらと内容をめくっていると、一瞥しただけではわからなかった、手首に関する詳細な情報が垣間見えた。


「あの手首、人差し指と中指、親指が切り落とされていたが、分かったのは順番だけか」

「傷口からわかることなんざそんなもんさ。人差し指、親指、中指の順番だったらしいが、どうして残りの二つ無視して腕を切り落としたのかが納得いかねぇ。拷問でもしたかったんなら、尚の事な」


 指を切り落とすということは、拷問では比較的使われるポピュラーな手段である。

 現に宮川も、遺体から指が切り落とされているものを何度か体験していた。

 それは大抵ヤクザ同士の抗争による落とし前か、拷問の場合が多い。それ以外の猟奇犯罪でも時折このような場面が見られるが、この手首に関しては引っ掛かりが多いのも事実である。


「切り落とした腕をどうして、リスクのある警視庁前においたのか。劇場型であり、猟奇的でもある。この腕の持ち主が死んでいる可能性は?」

「今のところ生死不明ってのは変わらないが、手首には生活反応があった。つまり、生きた状態から切断されている。もしその状態で放置されているのなら、確実に死ぬだろうな」


 大江のやけに婉曲的な言い方が可能性の幅を広げているが、宮川はそれに対して「十中八九死んでいる」という意図を察した。

 これだけの拷問的な行動をしておきながら、その後手首を切り落として治療をするなど本末転倒も良いところである。

 あくまでも大江が述べているのは可能性の話であるが、宮川も概ね同じ考えであった。


「どちらにしても、この手首のことについて調べるにはまず森嶋悠人、本人を見つける他ないな」

 話の区切りにおいて大江がそう尋ねると、宮川は唸りつつも別の問いかけを行う。


「指は何で切断されたか、傷口から推測は?」

「断面はかなり綺麗でまっすぐだ。日常的な道具じゃない、医療的なもので切断されたか、もしくは相当な腕前の人間が切り落としたか、もしくは両方だろう」

「現状だと断定はできないか。それ以外に分かることは?」

「こっちもまだ断定できないんだが、切り落とされた時期は比較的古い時期と考えられる。手首からはホルマリンの成分が検出されていた。長期的な保存がされた状態で、送られてきたものだと考えるほうが無難だろう」

「ホルマリンか……つまりこれを行ったのは医療関係者ってところか?」

「そこから先は、鑑識の仕事じゃないな。情報をどう整理するのは、お宅の仕事だ。こっちは別の仕事に戻るが、これからどうするつもりだ? いくら叩き上げとはいえ、たった一人で捜査するなんて聞いたことないぞ」


 大江は宮川のことを気にかけるようにそう尋ねる。

 どうやら宮川の動きから、この事件に対して単独で行動していることを察しているのだろう。

 確かに長い警察人生の中でも、単独での行動というのはほとんどありえない。警察は常に二人一組が基礎であり、危険性の高い職務であればなおさらだ。


 だからこそ宮川は、そんなことを命じた新井捜査一課長の腹の底が見えてくる。これは体の良い「リハビリ」という認識なのだろう。

 いつかの事件から擦れてやる気を失ったベテラン刑事が、単身で行動するという自由性によって、再び組織に戻ってくるように仕向ける。

 それこそが、新井の目的なのだ。


「俺も最後まで一人でやるとは思っていないさ。とりあえずは、森嶋のことを調べるところくらいまでだ。手首の礼はこの件が終わった後にでもするさ」

「あぁ、その頃にはこんな傍迷惑なことにならないようになっていれば良いんだがな。ちゃんと正式な手順でよろしく頼むぜ、ベテラン」


 嫌味な言い方をした大江に対して、宮川は全く気にかけることなく「こっちも期待しておくさ」と笑って鑑識を後にする。


 警視庁の通路を抜けていく途中、宮川の頭の中は先程までの情報に満ちていた。

 これは、叩き上げの経験を持っている宮川であってもあまり経験したことのない事件。


 警視庁の眼の前に、人体の一部を起き捨てるという行動は、明確に警察組織に対しての挑発である。

 大きく発展した現代技術を持つ警察に対して、それがどれくらい無謀なことであるか、この犯人は恐らく理解しているのだろう。その程度の頭脳は併せ持っていると考えて良いはずだ。


 にも関わらずそんなことをしたというのは、「相当な自信家」だからではないか。

 宮川はとっさにそんな人物像を思い浮かべた。

 それであれば、「切り落とされた手首」と、同じく「切り落とされていた親指、人差し指、中指」には一体どんな意味があるのか。

 ほとんどの刑事の得意技は「状況から犯人像を逆算すること」である。状況、手口、被害者の状況、あらゆる出来事が犯人像を物語る。

 警察組織に対して宣戦布告じみたことを行う自信家な側面と、それでいて驕ることのない計画性。宮川は起こった大胆な手口に対して、「犯人が一筋縄ではいかない相手」と直感した。


「まずは外堀からだな」


 誰に当てるわけでもない言葉がぽつりとこぼれる。

 事件の解決に至るためには、まず必要な情報の整理から。長年のセオリーは衰えることなく、次にこなすべきことを宮川に示していた。


 ふと、宮川はどうしてこんなにも捜査に意欲的なのかと、自問自答する。あれほどまでに仕事に打ち込むことができず、ただ茫漠とした感覚があったというのに、なぜか。

 その答えはただ一つだろう。


 妙に骨のある新人に煽られたからだった。センチメンタルな気持ちを吹き飛ばすのは、カビの生えたプライドに燻る刑事としての矜持。

 何もかも無駄、そんなことは百も承知、その上でもがき、足掻くのが刑事というものだった。

 あの新人は、その齢にしてそれを理解しているようだった。「大物になる」宮川はどこから湧いたのか分からない直感に身を震わせていた。しかしながら、それと同時に突きつけられる。


 自身が刑事である、という自覚を。



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