「君は泣かないね」
そう言って蒼子の頭を撫でる。
その声は優しく、憐みを含んでいた。
「泣いたら私を返してくれる訳でもないでしょ」
移動最中に桂月の問い掛けに蒼子は答えた。
運び方は至って丁寧で壊れ物を扱うような優しい手つきなので快適だ。
舞優のように帯を掴んで腹部を圧迫されるようなこともない。
移動中も舞優という男の視線は常に蒼子に付きまとっている。
桂月一人なら騙せそうだがあの男はそうはいかない。
「それよりも話が聞きたい」
蒼子を連れ去る目的はいくつか想像できる。
「私をどこに連れて行くつもり?」
「候凜抄様が……君に会いたいという人がいるんだ。だから一緒に行こう」
桂月は子供に言い聞かせるように優しい口調で答えた。
蒼子は一先ず胸を撫で下ろした。
人売りや見世物小屋、妓楼じゃなくて良かった。
行き場所は候家の邸であることに安堵する。
「貴方はもともと天功殿に仕えていたと聞いたけど。何故今は候家に仕えているの?」
「……」
「やりたくもない人攫いなんてさせられて。候家にそこまでして仕えたい何かがあるの?」
桂月は表情を硬くして小刻みに震えている。
「人の道を外してまで候家に仕える理由は何?」
「……大事な人がいるんだ……だから離れられない」
「それはもしかして詠貴殿のこと?」
「詠貴……彼女を知っているのかい?」
蒼子は頷く。
「一回だけ会ったことがある。美しい人ね」
その言葉に桂月は少しだけ表情を和らげた。
「そうだね……昔からお転婆で気が強くて……」
桂月は懐かしむように目を細める。
「我儘でそれなのに信仰深くて……美しくて神秘的な人だった」
そう言う桂月の頬が微かに紅く染まる。
「それに弱い者には優しいんだ」
蒼子は頷く。
凜抄が店を訪れた時に蒼子が傷付かないように、凜抄に近づけるなと忠告してくれた。
しかし詠貴に対して邸の者達の当たりはキツイと桂月は言う。
「苛められてるんだね?」
苛められてるなんて可愛いものじゃないのかもしれない。
桂月の瞳から感じる憤りを蒼子は見逃さない。
「彼女はお父様のために候家の邸に残ったんだよね?」
桂月はぎょっとして辺りを警戒する。
他の人に聞かれたら詠貴の身も危険に晒されるかもしれないからだ。
「他の人には言っちゃ駄目だよ」
桂月は子供を諌めるように蒼子に言った。
「貴方は優しいのね」
詠貴のことが大好きで、自分の信条を曲げても彼女の側にいて彼なりに彼女を守ろうとしている。
悪事に手を染めるのは許されることではないがそこは後で悔い改めてもらうとしよう。
憂いが晴れれば、彼はきちんと自分の犯した罪を悔いることが出来る人だ。
「優しいわけないだろう……でなければ君みたいな子を……」
その表情や言葉に彼が今の状況を悔やんでいることが覗える。
やはり、この人は優しい人なのだ。
天功も詠貴も桂月も心優しく、温かい人達だ。
そんな人達が理不尽に苦しむのはいただけない。
蒼子の心は決まっていたが桂月の話でその想いは強まる。
「貴方は詠貴殿を守ることだけ考えなさい」
蒼子の言葉に桂月は俯いていた顔を上げた。
王宮神女たるこの私が。
「貴方達の憂いを雪(そそ)ぎ、癒しの雨を約束しよう」
凜として自信に満ちた表情はどこか幼い頃の詠貴に似ていると桂月は思った。
神秘的とも言える美しさを纏い、無敵な笑みを浮かべる蒼子をただの子供
だとは思えなかった。