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清葬員の挽歌
清葬員の挽歌
創也慎介
ホラー都市伝説
2025年03月18日
公開日
2.6万字
連載中
大都会・東京でうだつの上がらない毎日を送っていた早乙女純悟は、ある夜、この世の“影”に潜む怪異に襲われてしまう。
一時は死をも覚悟した純悟だったが、偶然その場に駆け付けた一人の女性によって、九死に一生を得る。
彼を救った若く凛とした女性・遊子屋結子は圧倒的な力によって怪異を退け、自らを“祓い屋”と称した。
偶然の出会いによって世界の“裏側”を覗き込んだ純悟は、己を救ってくれた結子に強く惹きつけられ、どこか浮世離れした彼女と共に人ならざる存在たちへと向き合っていく。
洗い流すべき“穢れ”を求め、二人はこの世とあの世の“狭間”を覗き込む。

プロローグ

 夜の裏路地に立ったまま空を見上げたが、あいにく、星は見えなかった。重々しい雲が頭上を覆い、夜空を隠してしまっている。


 傘を持ってくるべきだったか、と後悔しながらも、“彼女”は懐から愛用のアロマパイプを取り出し、咥えた。火をつけると濃厚なラベンダーの香りがたちこめ、肉体を覚醒させてくれる。


 その芳しい香りは人が立ち寄らぬ路地裏の陰険な空気までをも、ほんのわずかに浄化してくれたかのようだった。


 だが、その爽やかな香りが、目の前のそれにとっては随分と不快でならなかったらしい。彼女に対峙する刺々しい気配はさらに圧を増し、こちらを威嚇してくる。


 常人には決して見えないもの。特異な才を持ち、生まれ持った因果に縛られたもの以外は、触れることもできない存在。


 それが今、彼女の目の前にいる。定まった形を持たず、闇そのものが意志を持ったかのようなおぞましい存在は、ぽっかりと空いた口から唸り声を上げた。


 その声はやはり、対峙する彼女にしか感知できない。ビリビリと大気がざわめいたが、彼女はいたって変わらずリラックスした体勢で前を向く。


 赤く染め上げたポニーテールに、ワインレッドのレディーススーツ、赤いヒール。


 一切合切が真紅に包まれた女性は、自身よりはるかに巨大な怪異を前に、くすりと笑ってみせた。


 嘲笑だと思われたのか、あるいは挑発ととらえられたのか。その一笑がきっかけとなり、対峙する闇が抱いた敵意は臨界点を超えてしまう。


 目の前の黒が、女性目掛けて一斉に襲いかかってくる。対し、向かってくる脅威に臆することなく、赤が一歩を踏み出した。


 叩きつけられるありったけの殺意を、彼女は真正面から堂々と切り伏せる。


 軽やかに、素早く、女性の右手が奔った。瞬間、目の前を覆っていた漆黒が、深々と穿たれる。


 一撃によって開けられた大穴が勝敗を決した。怪異は目と口を見開いたまま、断末魔すら上げることなく崩れ去ってしまう。


 闇が散り散りに消え、路地裏には紅に身を包んだ彼女だけが取り残された。


 その表情に緊張や恐れの色はない。彼女は深々とアロマを吸い、爽やかな香りを吐息に混ぜて宙に放った。


 消えかけていた町の喧騒が戻ってくる。異形によって退けられていた日常の感覚が、ようやく女性の五感を刺激し始めていた。


 一仕事を終え、踵を返しながらも彼女は再度、空を見上げる。なおも淀んだままの夜空に、ほうと熱いため息が漏れた。


 どうやら、一雨来そうだね――アロマの煙を燻らせながら、彼女は颯爽と歩き出す。


 ヒールの音を軽快に弾ませながら、彼女は労いの一杯を求め、夜の街へと消えていった。

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