「伏せろ!!」
レオナルドの声が聞こえたと同時に、リズベットは彼に押し倒された。そして、窓ガラスが一斉に割れる音が耳をつんざく。何本もの魔法の矢が、外からこの部屋に向かって放たれたのだ。
幸い、すぐに攻撃は止んだ。レオナルドが防御魔法を展開してくれたおかげで、リズベットもミケルも無事だ。
しかし、最初の一手が防げなかったようで、レオナルドの腕から真っ赤な鮮血が滴り落ちていた。どうやら矢がかすってしまったらしい。
レオナルドはリズベットの上から何とか体をどけるも、立ち上がることはできず、そのまま床に手をつき苦しそうに顔を歪めている。
彼の苦しみ方は普通ではなかった。ただ矢がかすっただけには到底思えない。
するとその時、騒ぎに気づいた衛兵たちが部屋へと駆けつけた。負傷したレオナルドの代わりに、ミケルが指示を出す。
「外から魔法の攻撃を受けた。すぐさま城門を封鎖し、犯人を捕らえよ。そして兄さんが負傷した。すぐにマイアを呼べ!」
「あと、桶いっぱいの水と、清潔な布もお願いします!」
「「は!」」
リズベットも便乗して衛兵に頼むと、彼らは急いで自分の仕事をこなしに散り散りになっていった。
「レオ様、失礼します。傷を見せてください」
一言断りを入れてから彼の上着を脱がせ、シャツの袖を上までまくった。傷の状態を見て、リズベットは青ざめる。
「これは……!」
矢傷を中心として、皮膚が青黒く変色していた。傷を確認している今この時も、その変色がジワジワと腕全体に広がろうとしている。
「兄さんの容態は? どうしてこんなに腕が……」
「毒魔法の影響です。それも、最上位レベルの、とても強力な。早く治癒魔法を施さないと、命に関わります」
毒魔法は薬では治せず、治癒魔法を施すしかない。
しかし、最上位レベルの毒魔法となれば、治癒には相当な魔力量が必要だ。大聖女であるマイアとて、治せるか
「リズベット嬢では無理なのかい?」
「私の魔力では到底治せません。マイア様でもできるかどうか怪しいところです」
しかし、今はマイアの力を信じるしかない。
リズベットは衛兵が持ってきた水で傷口を洗い、清潔な布で止血の処置を行うと、なけなしの魔力で治癒魔法を施した。
毒の進行をなんとか食い止めながら、部屋に残っていた衛兵たちに尋ねる。
「マイア様はまだですか!?」
「あいにく、本日はご実家に帰られていて……すぐには……」
「そんな……!」
(マイア様の到着を待っていては、間に合わない……)
リズベットの頭からサーッと血の気が引いていく。レオナルドの傷にかざしている手も、指先から氷のように冷たくなっていった。
(私をかばったせいで……レオ様に矢が当たってしまった……)
この襲撃の狙いは、果たしてレオナルドなのだろうか。もしかしたら、自分だったかもしれない。
(また、自分のせいで、誰かが、死ぬ――?)
そんなのは絶対に嫌だ!
「考えろ、考えろ……! 何か他に方法は……」
王城には何人かの聖女が常駐しているはずだが、大聖女でも難しい治療を彼女らに頼んでも無駄に終わるだろう。他の聖女を頼るのは現実的ではなかった。
なかなか打開策が思いつかないまま、レオナルドを蝕む毒はジワリジワリと広がっていく。腕の変色は、今や首や胸の方にまで差し掛かろうとしていた。流石にリズベットのひ弱な治癒魔法では抑えきれない。
レオナルドは顔面蒼白になりながら、激痛を堪えるように奥歯を噛み締めている。息をするのも苦しそうだ。
(まずい……このままでは……)
焦りだけが募る中、リズベットの視界の端にキラリと光るものがあった。
グレイが渡してくれた、金色のブレスレットだ。
紫の魔石が、その存在を主張するようにキラキラと輝いている。あれからずっと、肌身離さず身につけているのだ。
『今後もし危険な状況に陥ったら、それに魔力を込めろ。そうすればきっと、お前を助けてくれる』
グレイの言葉が脳内に蘇った。
今のこの状況を救うものではないかもしれない。魔力を込めても何も起きないかもしれない。でも――。
「ええい、思いついたらすぐ行動! 試せるものは全て試せ!!」
リズベットは一度治癒魔法を止めると、自分の魔力を紫の魔石に流し込んだ。
――はずだったのだが、不思議なことに、膨大な量の魔力がリズベットの中に満ち溢れていったのだ。
「こんなにたくさんの魔力が……! これなら……!」
何が起きたのかさっぱりわからないが、色々考えるのは後だ。
リズベットは再度レオナルドの傷口に手をかざし、治癒魔法を施した。
(治れ……治れ、治れ、治れ、治れ、治れ!!)
心の中で叫ぶように祈り、リズベットは必死に治癒魔法をかけ続けた。
すると、どうだろう。驚くべきことに、青黒く変色していた腕はみるみるうちに肌の色を取り戻し、矢傷も綺麗さっぱり跡形もなく消え去ったのだ。
その様子を見ていた衛兵たちが、感嘆の声を上げた。
「すごい……あれほどの毒魔法を……」
「これは、マイア様よりも上なのでは……」
実際、リズベットも驚いていた。これだけの治癒魔法を使ったというのに、体にはまだまだ魔力が有り余って仕方がない。あの魔石が一体何だったのか気になるところだが、今は後回しだ。
毒の反応が完全に消え去ったことを確認したリズベットは、レオナルドに呼びかけた。
「レオ様! 痛みはありませんか? どこか調子がおかしいところは!?」
「大丈夫だ、どこにも不調はない。ありがとう、リズ」
そう答えるレオナルドの顔色はすっかり戻っていて、呼吸も正常だ。何なら、今日屋敷に迎えに来てくれた時よりも元気になっている。
すると彼は、こちらの瞳を覗き込んで微笑みながら、良くわからないことをつぶやいた。
「君の瞳は、そういう色をしていたんだな。何と美しい輝きだろう」
「瞳? 色?」
何を言われているのか理解できず、怪訝そうに首を傾げていると、近くにいたミケルが素っ頓狂な声を上げて腰を抜かした。
「リ、リ、リズベット嬢! 君……! 瞳の色が紫色になってる!!」
「ええっ!?」
わけがわからないまま急いで部屋に掛けられていた鏡を見に行くと、ミケルの指摘通り、本当に瞳の色が変わっていた。至って普通の茶色の瞳だったのが、まるでアメジストのように輝く薄紫色の瞳になっている。
「え、どういうこと? 嘘!? どうして!?」
リズベットはこの現実が信じられず、ひたすら両手で頬をペタペタと触った。夢でも見ているようだが、頬の感触がこれは現実であると主張している。
混乱しきったリズベットに、レオナルドは優しい声で諭すように言葉をかけた。
「リズ。君は大聖女だ。君こそが、大聖女なんだ」
「でも私、小さい頃から、目、茶色で、そんなはずは、あり得ません」
リズベットは動揺のあまりカタコトになってしまった。
動揺して当然だ。物心ついた時から、自分の瞳の色は茶色だったのだから。
しかし、彼の言葉を否定する一方で、今なお体中にみなぎっている魔力を説明できないでいる。
(魔石から魔力を受け取ったにしてはおかしい。さっき、あんなに治癒魔法を使ったのに)
頭の整理ができないでいると、部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてきた、そして一人の衛兵が血相を変えて部屋に入ってくる。
「大変です、殿下! アールリオン公爵家の屋敷が何者かに襲撃されていると、たった今連絡が! マイア様も巻き込まれている可能性が……!」
「まさか、あいつ……!」
途端にレオナルドの表情が険しくなる。ミケルも婚約者のマイアを心配してか、眉根を強く寄せていた。
そしてレオナルドは、すぐに衛兵に指示を出す。
「俺が行く。急いで馬車の用意を」
「兄さん、体は大丈夫なの!? 兄さんが行かずとも、騎士団を動かせばいいだけの話でしょう?」
「問題ない。お前はこの城の襲撃犯の方を頼む」
レオナルドはかなり焦っているのか、止めようとするミケルを端的な言葉で制した。そしてすぐさまリズベットの手を取り、真剣な眼差しを向けてくる。
「リズ。共に来てくれ。君の力が必要だ」
「私の力? ええと、何が、どうなって……」
「説明は道中で。早くしなければ、君の護衛が危ない」
「グレイが!?」
ドクン、と心臓が飛び跳ねる。
昨日からグレイの姿が見えず不安に思っていたが、嫌な予感が的中してしまった。
一体どうしてグレイがアールリオン家なんかにいるのだろう。
グレイはアールリオン家を守る立場? それとも襲撃している立場?
そもそもレオナルドはなぜ、グレイがアールリオン家にいるとわかったのだろう。
様々な疑問が一気に頭をよぎったが、今はこの場でそんなことを悠長に考えている暇はない。
グレイに危険が迫っているなら、取るべき行動はひとつだ。
「わかりました。行きましょう!」
そうしてリズベットとレオナルドは、アールリオン家へと急行するのだった。