「最終決戦が始まった頃、アールリオン製薬の人間が、強力な魔力増強剤を開発したと売り込みに来たんだ。実演でも見せてもらってね。すごい効果だった。戦況を変える一手になると思ったよ。ここで負けたら、この国は終わる。僕は……あの戦いを負け戦にするわけにはいかなかった」
一国の軍師としてのプレッシャーは相当なものだっただろう。
アールリオン製薬から薬を買ったミケルは、部下を使ってレオナルドに薬を盛った。レオナルドに相談もせずこっそりと薬を飲ませたのは、「英雄の力を信用していないと知られたら軍の士気に関わる」と考えたからだそうだ。
しかし、売り込みの実演で見せられた薬と、ミケルの手に渡った薬は別物だった。
結果は皆が知る通り。レオナルドは魔力暴走を起こし、国境沿いの山もろとも、自国軍と連合国軍を消し飛ばした。
皮肉にも、ミケルの望み通り、連合国軍との戦争は自国の勝利で終わったのだ。しかしその代償として、レオナルドは王太子の座を降ろされてしまった。
「こんなことになるなら、あんなもの使わなかった……! 兄さんは王になるべき人間だ。それなのに僕は、兄さんの未来を奪った。だから僕が裁かれることで、兄さんを再び王太子の座に戻そうとしたんだ」
ミケルは両手で顔を覆い、力なくうなだれていた。
魔力暴走を起こしたレオナルドを王にすべきではない、という世論を変えることは、ミケルでも難しかったのだろう。兄が王太子の座を追われると悟ったミケルは、自分が悪役になることで、自らの過ちを清算しようとしたのだ。
すると、レオナルドが呆れ顔で溜息をついた。
「だからといって、わざわざアールリオンの罪を被る必要はないだろう。お前もリズの指摘で気づいたはずだ。自分は騙されていただけだと。それなのになお、自分に罪を着せようとするとは」
レオナルドの言う通り、ミケルは会話の途中で自分が騙されていたことに気づいたはずだ。
しかし、アールリオンを裁くことになれば、現王太子である自分は罪に問われず、失脚する可能性は低くなる。つまり、兄を王太子に戻す機会を失う。彼は会話の最中で瞬時にそう考えたのかもしれない。
レオナルドの言葉に、ミケルは首を横に振った。
「違うんだ、兄さん。アールリオン製薬からは、確率は極めて低いけど、魔力暴走が起きる副作用もあるって聞かされていたんだ。だから、可能性として起こりうることは知ってたんだよ。アールリオンに騙さて偽の薬を掴まされたのかもしれないけれど、それを使ったのは僕だ。僕に罪があることに変わりはない」
(なるほど……だからレオ様がアールリオン製薬を問い詰めた時、魔力暴走を引き起こす薬を売った、と言えたのね)
ミケルに対しては魔力増強剤だと説明し、レオナルドに対しては魔力暴走の誘発薬だと説明した。その矛盾が気になっていたが、魔力暴走を副作用として説明しておけば、その回答は嘘にはならない。
そして何より、その説明をしておけば、何が起きても薬を使った側の責任にできる。魔力暴走のリスクを知っていて使ったのなら、それは使用者の自己責任ということになるだろう。
アールリオン製薬は、当然のように無罪を主張してくるはずだ。自分たちは薬を作ってそれを売っただけだ、と。
売られた薬の中身が異なっていたという証明は、なかなかに難しそうだ。何しろ、証拠品が残っていないのだから。ミケルの証言だけでは、アールリオンの罪を問いきれるかわからない。
(全く、ずる賢くて嫌になるわね)
医者としてお世話になっていた製薬企業が裏でとんでもない悪行を働いていたことに、強い怒りが込み上げてくる。レオナルドの苦しみや葛藤を見てきたリズベットにとって、それは到底許せることではなかった。
すると、レオナルドが再び呆れ顔でミケルを見遣る。
「馬鹿だな、お前は。お前を騙し偽の薬を売りつけたのはアールリオンだ。ただ国を思って行動しただけのお前に、一体何の罪がある」
「兄さん! 兄さんは王になるべき人だ。だから僕を罰してくれ。頼むよ……」
ミケルは顔を歪ませながら懇願した。レオナルドはそんな彼に、フッと笑みをこぼす。
「言われなくても、王になってやるさ。王になるべき理由ができたからな」
(王になるべき、理由……?)
以前、王太子の座を降ろされた時、彼はその立場に全く執着していない様子だった。しかし今は、何か事情が変わったようだ。
そして、レオナルドは続ける。
「だが、お前を罰することはない」
「どうして!? そうでもしないと、国民が納得しない!」
今でも国民からのレオナルドへの風当たりは強い。大勢の自国兵の命を奪ってしまったからだ。
アールリオンの罪を問いきれるか疑問が残る中、現王太子の失脚という形が、レオナルドが返り咲くのに最も現実的かと思われた。
しかし、レオナルドはミケルを切り捨てるつもりはないようだ。
「お前にそんな手段を取らせたのは、全て俺の弱さのせいだ。俺がもっと強ければ、お前が戦況を過度に不安視することもなかった」
「兄さん……」
「全ての責任は、アールリオンに取らせる」
レオナルドの瞳は、強い怒りに燃えていた。弟を騙し、自らを貶めたのだ。許せるはずないだろう。
すると彼は、怒りとともにフッと息を吐き、表情を和らげた。そして、リズベットに柔らかな視線を向ける。
「リズ、ありがとう。君のおかげで、弟の口を割ることができた」
「お役に立てたなら何よりです」
「こいつはかなりの頑固者でな。困ったものだ」
レオナルドが肩をすくめてそう言うと、ミケルは深く頭を下げた。自らの行動を、深く悔いているようだ。
「本当に……本当にごめんなさい、兄さん。謝って済むようなことではないけれど、僕ができることなら何だってするよ。リズベット嬢も、巻き込んですまなかった」
ひとまずこの場での目的は果たされたようだ。ミケルの証言だけでどこまでアールリオンと戦えるかはわからないが、少なくとも彼を思い直させることはできた。
すると、ミケルが怪訝そうな表情でもっともな疑問を投げかける。
「でも、どうして兄さんはアールリオンに狙われたの? 公爵と反りが合わないのは知ってたけど、だからってここまでする?」
レオナルドとアールリオン公爵の因縁。それはリズベットも気になっているところだった。
そもそも、自分の娘の婚約者だったレオナルドを貶める理由がわからない。アールリオン公爵にとって、何のメリットもないはずだ。
二人から視線を向けられたレオナルドは、公爵のことを思い出してか、忌々しそうに口を開いた。
「ああ、それは――」
その瞬間、レオナルドはハッと目を見開き、窓の方へ視線を向けた。