ナイトレイ子爵家に帰ってきたリズベットは、普段の生活に戻り、日々の病院勤務に励んでいた。
幸いにも収穫祭の日以来、刺客に襲われるようなことはなく、平穏な日常を送れていた。
そして仕事の傍ら、リズベットは魔力暴走の原因究明のための研究を進めている。
レオナルドからは首を突っ込むなと止められていたが、やはり第二王子ミケルの言葉が気がかりだったのだ。
『君はずっと、無知のままでいてね』
あの言葉がどういう意味を持つのか、今でもよくわからない。しかし、ミケルが何かしらを知っているのは間違いないだろう。彼が黒幕である可能性も十分にあり得る。
レオナルドのそばに危険人物が潜んでいるかもしれないのに、それを放置しておくことはできなかった。
もちろん、危なくなる前に身を引くつもりだ。犯人を特定するまでの深入りはしない。やるのはあくまで、魔力暴走を人為的に引き起こす方法の解明まで。
子爵家に戻ってからというもの、リズベットは毎日のように、仕事終わりに研究室にこもっていた。
神経作用や魔力増強作用のある薬品を、比率を変えながら何種類も調合し、マウスに投与する。その後、マウスが魔力暴走を起こすか観察する。そんな実験を、何日も繰り返していた。
マウスは元々の魔力量が微量なため、仮に魔力暴走を起こしたとしても何ら被害は出ない。マウスへの負荷自体も少なく、命に関わる心配もないのだ。
そして、研究を開始して一ヶ月が経った頃。
「……嘘……できちゃった」
なんと、魔力暴走を引き起こす薬が本当に出来てしまった。まさかこんな短期間で実験に成功するとは思っておらず、リズベット自身も驚いているところだ。
薬に必要な材料の種類は二十を超える。それらを絶妙な比率で調合すれば、薬の完成だ。
(でも、この材料は……)
問題は、薬の材料が全て「アールリオン製薬でしか取り扱いがない」ということだ。大聖女マイアの生家、アールリオン公爵家が経営する製薬会社である。
可能性として考えられるのは二つ。
一つ目は、リズベットのように、アールリオン製薬から材料を買い集めて薬を開発した人物がいる、ということ。この場合は、材料の購入履歴を調べればすぐに分かりそうだ。
そして二つ目は、アールリオン製薬自体が薬の開発をした、ということ。その場合にはもちろん、裏にアールリオン公爵家の存在があるだろう。
(アールリオン家が、レオ様を陥れた黒幕……?)
リズベットは、アールリオン公爵がマイアとともに屋敷へ訪れた日のことを思い出す。
あの時、レオナルドはあからさまにアールリオン公爵を敵視していた。もしかしたら、あの二人には何か因縁があるのかもしれない。
(でも、自分の娘の婚約者だったレオ様を貶めても、アールリオン家側には何のメリットもない気がするわ)
誰が薬を開発したにせよ、それを購入した者が別にいる可能性も十分考えられる。第二王子ミケルの怪しい発言も気になっていた。
そこまで考えて、リズベットは頭をふるふると振った。
これ以上の深入りは危険だろう。自分の仕事はここまでとし、ここから先はレオナルドに託すことにした。
リズベットは急いで家に帰ると、レオナルド宛に手紙を書いた。
魔力暴走を引き起こす薬に必要な材料の種類と、その調合比率、そして、その全ての材料がアールリオン製薬でしか取り扱いがない旨を書き記す。
手紙の最後に「勝手に調べてごめんなさい」と書いて、便箋を封筒に入れた。
「そこは『あなたの迎えを待っています』だろ」
グレイが後ろから覗き込むようにヌッと現れ、リズベットは思わず声を上げた。
「きゃっ! 人の手紙、勝手に見ないでよ……!」
抗議しながらグレイを睨みつけるが、彼は全く気にする様子もなく、心底感心したように言った。
「もう出来たのか、薬。やっぱお前めちゃくちゃ頭いいな。天才か?」
「それはどうも。でも、グレイには止められるかと思っていたわ。余計なことに首を突っ込むなって」
「今回はお前がわきまえてたからな。犯人捕まえるって言ってたら、流石に止めてたよ」
そう言う彼は、やはり本調子ではなさそうだ。顔色が青白く、目の下のクマも前よりひどくなっている。
「ねえ、グレイ。やっぱりこの前から具合悪いでしょ。ろくに寝てないわね?」
「だから、元気だって言ってんだろ」
グレイは面倒くさそうに答えると、リズベットから逃げるように寝台に向かい、ごろりと寝転んだ。
「いいから、診せなさい。熱でもあるんじゃないの?」
意地っ張りなグレイに半ば呆れながら、リズベットも寝台の方へと向かっていった。そして、彼の額に手を当てようとした時、急に手首を掴まれ、そのまま引っ張られてしまった。
「ひゃっ!」
視界がぐるりと回転したかと思うと、気づけば寝台に押し倒されていた。グレイは片手でリズベットの両手首を掴み、寝台に縫い付けている。
「お前を片手で押さえられるくらいには元気だ」
「ちょっと、離して! 誤魔化さないの!」
キッと睨みつけると、グレイは素直に手を離し、こちらに背を向けるようにして寝台に腰掛けた。そして、予想外のことを言ってきたのだ。
「じゃ、頭撫でて」
「は?」
「それで元気出るから」
グレイがこんな甘えるようなことを言ってくるなんて初めてだったので、リズベットは驚いて固まってしまった。そしてじわじわと、漠然とした不安が胸の中に広がっていく。
「やっぱり変よ……」
リズベットは彼のお願いを聞き入れ、後ろから優しく頭を撫でた。同時に、治癒魔法も施していく。といっても力は微々たるものなので、体調を整えるくらいしか出来ない。
手に当たる柔らかい黒髪はふわふわしていて、まるで黒犬のようだ。彼はじっと動かず、ただ黙って撫でられていた。
「ねえ、グレイ。もしかして、また刺客が襲ってきてるの?」
「いや、違う」
「ほんとに? 裏で無茶してるんじゃない? 私のせいで、何か危険な目に遭ってるんじゃない?」
「ないない。それはない。最近、女と遊びすぎてな。それでちょっと疲れてるだけだ」
それは、明らかな嘘だった。
グレイには女っ気などひとつもない。
これだけ顔が整っていれば遊び放題だろうに、彼はこれまで女遊びが酷かったことも、特定の女性と懇意にしていたことも一度もないのだ。
そんなあからさまな嘘に、リズベットの不安は余計に膨らんでいった。丸まった背中が、いつもより弱々しく見えて仕方がない。
「……嘘ばっかり」
「嘘じゃねえよ」
彼は一体、いつも何をしているんだろう。何か危険なことに首を突っ込んではいないだろうか。
しかし、グレイはこちらがいくら聞いても、絶対に答えてくれない。体調が悪くたって、診せてくれさえしない。
だからリズベットには、ちょっとした治癒魔法をかけるくらいしか、彼にできることがないのだ。そんな自分が、酷く情けない。
「リズ」
不意に呼びかけられ、リズベットは何か教えてもらえるのではと期待した。思わず声が上ずる。
「何?」
「……ごめんな」
そのつぶやきは小さすぎて、リズベットの耳には届かなかった。
「なんて? 聞こえなかった。もう一回言って」
「もう大丈夫って言ったんだ」
グレイはそう言って立ち上がると、こちらを振り返った。そして、リズベットの頭を撫でながら、不器用に笑う。
「ありがとな。おやすみ」
いつもよりぎこちない笑顔のせいで、リズベットの不安は募り、胸が苦しく締め付けられるばかりだった。
このまま行かせないほうが良い。
そう思いグレイを引き留めようと口を開くも、それより早く彼はどこかに消えてしまった。