「私はレオ様のことを好いておりませんので、そんなことを言われても……」
一気に言ってしまいたかったのに、途中で言葉に詰まってしまった。喉の奥がひどく苦しい。
レオナルドと視線を合わせていられず、宙に漂わせる。
「そ、んなことを、言われても……困るの、です」
声の震えを抑えることが出来なかった。それどころか、最後にポロリと一粒の涙がこぼれ落ちてしまった。
胸が苦しい。息が苦しい。
これ以上涙がこぼれないように、眉根を寄せ唇を噛み締めていると、レオナルドは困ったように眉を下げ、リズベットの頭を優しく撫でた。
「そんな顔で言われてもな」
酷いことを言ったのに、それでも彼は優しかった。
それがなおさら胸を締め付け、我慢していた涙が決壊する。ポロポロと溢れて止まらなくなった。
「う……ううっ……好きじゃ、ないですから……全然、好きじゃ、ない……」
リズベットは手の甲で涙を拭いながら、尚も自分の気持ちを否定した。もうバレバレかもしれないけれど、肯定するわけにはいかなかった。
彼がいくら自分を求めてくれても、それに応じることは出来ない。応じてはいけない。
「リズが本心を言えないのは、君の過去に関係している?」
その言葉に、リズベットはハッと目を見開いた。
レオナルドの瞳は確信に満ちていている。どうやら彼は、全てお見通しらしい。
この状況で隠し切ることも難しいと思い、リズベットは正直に話した。
「……私のせいで、家族も、使用人も、みな殺されました。もう大丈夫だと思ってたのに、今日また狙われて……。だから私は、隠れて生きないといけないのです。そうしないと、また私のせいで、誰かが傷つくから」
十三年前のあの事件から一度も命を狙われることなどなかったのに、今日になって突然襲われた。
いや、今日に始まったことではないのかもしれない。
リズベットが彼の専属医をクビになった際、帰宅途中に絡んできた男たちも、実はこちらの命を狙っていた可能性がある。
そんな危うい状況の中で、彼の想いを受け入れるわけにはいかないのだ。
「今まで、よく耐えた。よく頑張ったな」
レオナルドの声音はとても優しかった。こちらを労るような、大切に包み込むような、そんな声だった。
(レオ様に好きって言ってもらえただけで十分。頑張ったねって言ってもらえただけで十分)
リズベットは自分のこの気持ちを諦めるつもりだった。幸福を諦めることには慣れている。
しかし、レオナルドはリズベットの手を取ると、こう言ったのだ。
「俺が君の問題を解決する」
「え……?」
「だから、少しだけ待っていて欲しい。全ての問題を片付けてから、必ず君を迎えに行く」
彼の瞳は力強く、まさに昼間に見た英雄の輝きだった。絶対にその約束を守ってくれる。そう思わせる何かがあった。
そしてレオナルドは最後にこう言って、リズベットに微笑みかけたのだ。
「その時にもう一度、リズの気持ちを聞かせて」
* * *
自室に戻ったリズベットは、再び報告書の作成に取り掛かっていた。しかし、先ほどまでのレオナルドとのやり取りが何度も脳内で再生され、一向に筆が進まない。
レオナルドは問題を解決すると言っていた。そんな危険なこと、彼に任せていいのだろうか。止めるべきだとは思うが、あの瞳の彼を止められるとも思えなかった。
「……ダメだ。一旦気持ちを切り替えよう」
ちょうど小腹が空いてきたのもあり、リズベットは気分転換を兼ねてお菓子をつまむことにした。今日の昼間に快活な菓子屋の店員にもらった紙袋を取り出す。
(美味しかったら、レオ様にもお渡ししようかしら)
彼が気に入ったら、この店を訪ねてみてもいいかもしれない。しかし、肝心の店の名前を教えてもらっていなかったなと思いながら、リズベットは袋から焼き菓子をひとつ取り、ぱくりと頬張る。
(ん? なんか……)
甘くて美味しい、普通の焼き菓子だ。だが、段々と舌がピリピリしてきた。そう感じた時にはもう遅く、視界がぐにゃりと歪む。
「う……ぐ……」
リズベットは座っていられなくなり、そのまま床に転げ落ちる。倒れる時に腕が机の上の物をさらっていったせいで、書類が床に散らばり、グラスが落ちてパリンと割れた。
(これ……毒……)
思考がひどく鈍りながらも、自分の症状から何の毒かを判断する。そして、何とか両腕で体を起こし、這いつくばりながら薬箱が置いてある棚へと向かう。
「……解毒、剤……を……」
伸ばした手が運良く薬箱をかすめ、棚からゴトリと落ちてきた。しかし、薬箱を開け目当ての瓶を取り出したまでは良かったものの、蓋をうまく開けることが出来ない。
(まずい……体が思うように動かせない……)
この毒は、摂取後すぐに解毒剤を飲まなければ命を落とす、即効性のものだ。逆に、いち早く解毒剤を服用すれば、後遺症も残らない。
体の感覚が麻痺し、視界がぐらぐらと揺れる。
解毒剤の瓶を何度も取り落としてしまい、焦りが募った。
そうこうしているうちに、とうとう意識が遠のいていく。
(あ……無理だ……もう……)
自分の終わりを悟ったその時、先ほどまで星空の下で聞いていた、愛しい人の声が耳に届いた。
「すまない。許せ」
唇に柔らかなものが触れた途端、口の中に液体が流れ込んでくる。反射でゴクリと飲み込んだ時、それが解毒剤であることを頭の片隅で理解した。
体の感覚はとうに失われたかと思ったが、唇に触れたその柔らかな感触だけは、確かにはっきりと感じ取れた。