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19.英雄の帰還


 リズベットは祭りの会場から抜け出すと、街の裏通りへと入っていった。この街の裏路地は入り組んでいるので、どうにかして巻けないかと考えたのだ。


 しかし、そう甘くはなかった。


 男たちは思った以上に人数が多く、かつ綿密な連携が取れていて、気づかないうちに行き止まりへと追い込まれてしまっていたのだ。


「ようやく追い詰めたか。手間かけさせやがって」 

「本当にその女で合ってるのか?」

「ああ。空色の髪の女。間違いない」


 男たちは、こちらをジロジロと見ながら近寄ってきた。


 リーダーらしき人物と、その取り巻きが二人。下っ端が十人以上。いくらグレイに護身術を叩き込まれているとはいえ、この人数を掻い潜って逃げるのは難しそうだ。


「グレイ! グレイ! いないの!?」


 一縷いちるの望みにかけ虚空に向かって叫ぶも、返事はない。


「残念だったな、嬢ちゃん」


 そう言って、取り巻きの一人がリズベットの腕を掴んでくる。力加減を知らないのか、リズベットの細腕がミシミシと軋んだ。


「痛っ! 離して!」

「なあ。殺す前に、ちょっとくらい楽しんでもいいんじゃねえか?」


 取り巻きは下卑た視線を向けてくる。頭の先から爪先まで、ジロジロといやらしい目で見られ、背中にゾワリと悪寒が走った。


「いや、すぐに殺す。こいつには番犬が付いている。そいつに見つかったら厄介だ。そのまま掴んでおけ」


 リーダーらしき男の目は本気だった。彼は短刀を取り出すと、ゆっくりこちらに近づいてくる。


「……グレイ、助けて。グレイ! グレイ!!」


 リズベットが泣き叫ぶも、助けは来ない。彼に頼ることしか出来ない自分が情けない。


(嫌だ、怖い、死にたくない……)


 リズベットは己の運命を嘆いた。


 自分が一体何をしたというのか。どうして命を狙われなければならないのか。


 どうして。どうして。


 しかし、いくら心の中で嘆いても、状況は好転するはずもなく。とうとう男がリズベットの元にたどり着き、手に持っている短刀を振り上げた。


 リズベットが死を覚悟し、目を閉じたその時――。


 身の毛もよだつような殺気が、この場を支配した。


「おい」


 地を這うような、低く鋭い声が響く。


「今すぐその汚い手をどけろ……!」


 リズベットが目を開けると、男たちの後ろに、鮮明な青が見えた。


「レオ、さま……」


 助けに来てくれたことがこの上なく嬉しくて、でも彼を巻き込みたくなくて。複雑な感情が、リズベットの心に渦巻いた。


「ああ? なんだ、てめえは」


 取り巻きの男は現れた人物が誰だかわかっていない様子だったが、リーダーの男はすぐに状況を理解し、焦ったように大声を出した。


「そいつも殺せ! 今すぐに!!」


 レオナルドの殺気に怯んでいた下っ端たちは、リーダーの一声で勢いを取り戻し、一斉に剣を抜いて彼に襲いかかった。


「レオ様! お逃げください!」


 十三年前、自分のせいで家族が殺された。それ以来、リズベットは同じようなことが再び起きるのではないかと恐れてきた。また自分のせいで誰かが傷つく日が来るのではないか、と。そんなの、絶対に嫌だった。


 早く逃げて欲しいのに、レオナルドはその場から一歩も動かず、そしてなぜか剣を抜くことさえしなかった。


 しかし彼の瞳は、諦めも恐怖も映していない。その鋭く力強い瞳は、まるで――。


(……英雄の、青)


 下っ端たちの刃がレオナルドに届くまさにその時、彼は短く言葉を発した。


「全員、沈め」


 青の瞳が怪しく輝いたと同時に、リズベット以外の全員がその場にバタバタと倒れ込んだ。見えない強大な力に上から押さえつけられているかのようだ。男たちは皆どうすることも出来ず、苦しげにもがいていた。


 リズベットも一体何が起きたのか理解できず、ただ呆然と立ち尽くしていた。すると、険しい顔のレオナルドが駆け寄って来る。


「リズ!」


 彼はそのまま、リズベットをぎゅっと抱きしめた。慌てて駆けつけて来てくれたのか、少し息が上がっている。心臓の音もいつもより速かった。


 そして、耳元で彼の掠れた声がする。


「すまない。一人にさせるべきではなかった」


 その声には、強い後悔が滲んでいた。


 彼は何も悪くない。謝るのは自分の方だ。


「いえ、レオ様が謝られるようなことではありません。勝手にあの場から離れたのは私なのですから。私こそ、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」


 リズベットは謝罪をしつつ、レオナルドが無事で心から安堵していた。これでもし彼が凶刃に倒れていたらと思うとゾッとする。


 すると、レオナルドはリズベットを離し、こちらの様子を伺ってきた。


「怪我はないか?」

「はい、大丈夫です」


 彼から離れたことで、視界の端に男たちが映った。彼らはいつの間にか気絶していて、泡を吹いている者さえいる。


 それを見てリズベットは、ようやくそれが魔法の効果であることを理解した。


「レオ様……魔法! これ、かなり強力な重力魔法ですよね!?」


 興奮気味に伝えると、レオナルドはハッと目を見開いた。


「……本当だ。リズを助けようと、無我夢中で……。難しいことばかり考えていたら、使えるものも使えなくなるものだな」


 この威力の魔法をこれだけの人数相手に発動できるなら、きっともう大丈夫だろう。他の大技も使えるはずだ。


 彼の今までの努力と葛藤を見守ってきたリズベットとしては、この状況を喜ばずにはいられなかった。


「よかったですね、レオ様! 本当に……本当に、よかった……!」


 思わず涙ぐんでしまったリズベットに、レオナルドは優しく微笑みかける。


「全てはリズ、君のおかげだ」


 彼の言葉に、リズベットは首を横に振る。


 自分がサポートしたのは、ほんの一部に過ぎない。彼が復活出来たのは、彼本人がずっと努力し続けてきたからだ。大きすぎるトラウマを抱えながらも、それに立ち向かい、戦い続けたからだ。


 本当に、強い人だ。


 リズベットは目から溢れた涙をグイッと拭うと、満面の笑みを浮かべた。


「今日はお祝い、ですね!」

「ああ。帰ろう、リズ」


 レオナルドの表情は晴れやかで、青の瞳は美しく澄んでいた。


 その後、衛兵に男たちを任せ、リズベットたちは屋敷へと戻るのだった。


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