夜を共に過ごしたあの日から、レオナルドの心の不調は次第に改善していった。
魔法の訓練をしても、不眠や食欲不振になる頻度が随分と減ったのだ。
しかし、その後も訓練を重ねてはいるものの、未だ大技は使えない。もしまた魔力暴走を起こしたらと思うと、どうしてもブレーキが掛かってしまうのだ。
実力の半分も出せていない様子で、本人ももどかしそうにしていた。
そんな今日、リズベットはレオナルドと共に、丘を下りた街で開催されている収穫祭に訪れていた。なかなか訓練が進展しない日々が続いていたので、気分転換にとリズベットが誘ったのだ。
英雄レオナルドが普通に街を出歩くと流石に騒ぎになる。そして、リズベットも空色の髪が珍しいので、二人とも目立たないようローブを身につけ、フードを被って散策していた。
「うわあ! すごく賑わってますね!」
この街の収穫祭に来るのは初めてだが、かなり規模が大きいようで、多くの露店が軒を連ねていた。たくさんの人の往来があり、皆それぞれ思い思いに祭りを楽しんでいる。
「リズ、手を」
「え?」
差し出された手に困惑していると、レオナルドが優しく微笑みかけてくる。
「この人混みでは、はぐれてしまいそうだから」
「わ、わかりました……」
そうしてリズベットはレオナルドと手を繋ぎ、街を歩くことになった。
(ダメ……緊張する……)
最近、どうもレオナルドを意識してしまって良くない。彼の顔を見るとドキドキするし、彼の声を聞くとソワソワした気持ちになる。
その上、あの夜以来、レオナルドは何かにつけて甘い言葉を囁いてきたり、さり気なく触れてきたりするのだ。彼の真意が全くわからない。
(婚約者から開放されたから、少し羽目を外して遊びたい気分なのかしら? でも、もしそうだとしたら、ちょっと複雑ね)
レオナルドの方をちらりと見遣ると、視線に気づいた彼が微笑みかけてくる。その青の瞳が、まるで愛しい人を見るような温度を持っていて、リズベットの心臓はまたうるさく鳴り出すのだ。
顔に熱が上ったリズベットは、彼の顔をまともに見られなくなり、露店を眺めるふりをして視線を逸らしながら歩いた。
そして、しばらく進んだ頃、レオナルドが尋ねてくる。
「リズ、欲しいものはないか? 日頃の礼に、何か贈りたい」
「そんな、いいですよ。私はただ、自分の仕事を全うしているだけなので」
「では、俺に選ばせてくれ」
彼はにこりと笑うと、リズベットの手を引き、ひとつの装飾店の前で立ち止まった。そしていくつか商品を手に取り、リズベットの髪に充てがっていく。
露店とはいえ、その品々はどれもこれも一級品だ。普段宝石商をしている店主が、今日は特別に露店を出しているらしい。窃盗防止のためか、屈強なボディガードたちが店主の後ろに控えていた。
「これなんかどうだろうか」
レオナルドが選んでくれたのは、見事な紫水晶が付いた髪飾りだった。
「よろしいのですか……?」
「俺が贈りたいんだ。よければ受け取ってほしい」
レオナルドはそう言いながら、また愛おしげにこちらを見つめてくる。
照れたリズベットが顔を赤くして少し俯くと、二人の様子を見ていた店主が上機嫌に声をかけてきた。
「お熱いですねえ! 新婚ですか?」
とんでもない勘違いをされてしまい、リズベットは慌てて否定する。
「ち、違います! レオ様も、笑ってないで否定してください!!」
隣のレオナルドは、何がそんなに面白いのか、声を漏らしながら楽しそうに笑っていた。
そして彼は支払いを済ませると、リズベットのフードを一度外し、早速髪飾りを付けてくれた。
「うん、よく似合う。可愛い」
満足気な表情のレオナルドが急にそんなことを言ってきたので、リズベットは思わず肩を跳ね上げた。
「そっ、そういう事は、人を選んで仰ってください! 私のような者に掛ける言葉ではございません!」
「選んで言っているつもりだが?」
レオナルドは目を眇めてニヤリと笑った。完全にからかわれている。
これ以上反発しても自分が不利になるだけだと思い、リズベットは素直に贈り物の礼を言うことにした。
「ありがとうございます。大切にします」
「こちらこそ、贈らせてくれてありがとう」
そう言ってレオナルドは、リズベットに再びフードを被せてくれた。
その後は、噴水広場のベンチに並んで座り、露店で買った料理を味わった。ちょうどお昼時ということもあり、祭りはますますの賑わいを見せている。
「どれも美味しいですね」
「ああ。だが、もう少し欲しいところだな」
「それなら私が買ってきます。私ももう少し食べたいと思っていたので」
「いや、俺が行こう。リズはここで待っていてくれ。すぐ戻る」
レオナルドの背中を見送り、リズベットはしばらく人の往来を眺めていた。
(ちゃんとレオ様の気分転換になっているかしら)
魔法の訓練を開始して、そろそろ二ヶ月が経とうとしていた。ここ最近は進展がなく、リズベットとしても、どういうサポートをしてあげればいいのかわからないでいる。一歩前進するには、何かきっかけが必要なのかもしれない。
そんなことを考えていると、突然快活な男性に声をかけられた。
「そこの可愛らしいお嬢さん!」
前掛けを身に着けているので、どこかの店員だろうか。リズベットが驚いてその男性を見上げると、彼はひとつの紙袋を差し出してきた。
「これ、うちの新作なんだ。今みんなに配っててな。良かったらもらってくれ!」
紙袋からは、甘くて良い香りが漂ってきている。香りに釣られ思わず袋を開けると、中には美味しそうな焼き菓子が入っていた。
「いいんですか? ありがとうございます」
「ああ! 二人がうまくいくこと、俺は祈ってるぜっ!」
(……どうして連れがいるってわかったのかしら)
男性が去った後、一瞬そんな疑問が頭をよぎったが、リズベットはすぐにそんなことを考えている余裕がなくなってしまった。嫌な視線がこちらに向けられていたからだ。ほのかに殺気も感じる。
視線を辿ると、人混みに紛れて一人の男がいた。目が合った途端、その男は仲間を呼び、こちらを指さしてくる。
(……逃げなければ。レオ様を危険にさらすわけにはいかないわ)
恐らく男たちの狙いは自分だ。
そう判断したリズベットは、すぐさまその場を離れることにした。人混みをかき分けながら走っていると、リズベットの逃亡に気づいた男たちが声を上げながら追いかけてくる。
一番賑わう時間なのか、人が多すぎてなかなか思うように逃げられない。
リズベットは、行き交う人々とぶつかりながら走った。
「おい! 気をつけろ!」
「ごめんなさいっ!」
(ここでは他の人を巻き込んでしまう。もっと人通りの少ないところに行かないと)