「まるで、王妃にならなければマイア様に価値はない、というように聞こえたのですが」
公爵をじっと見据えて問いかけると、彼はさも当然かのようにこう答えた。
「我々アールリオン家は、ここ何代も大聖女を輩出してきた一族です。ですが、マイアは歴代と比べると明らかに力が劣る。大聖女としては落ちこぼれであり、我が一族の恥なのですよ」
(実の子供なのに……ひどすぎるわ……!)
リズベットはマイアのこれまでを思うと、心が傷んで仕方がなかった。しかし、相手は公爵だ。ここで突っかかって義両親に迷惑をかけるわけにはいかない。
そこでリズベットは、隣のレオナルドにひとつ頼み事をすることにした。
「少し、マイア様と二人だけにしていただけませんか?」
せめて、彼女に言葉をかけたい。そう思ってのお願いだった。
レオナルドは「わかった」と言って、すぐに公爵と侍女を部屋から連れ出してくれた。
応接室には、リズベットとマイアの二人きり。
リズベットは俯いて座っているマイアのそばに行くと、彼女の顔を覗き込むようにその場で屈んだ。
「マイア様」
優しく声をかけると、マイアはわずかに顔を上げてくれた。そんな彼女の瞳をしっかりと見つめながら、リズベットは伝える。
「あなたの価値は、誰と結婚するかで決まるものではありません。ましてや、王妃になれるかどうかで決まるものでもありません。あなたの価値は、あなた自身が形作っていくものなのですよ」
「え……?」
予想外の言葉だったのか、マイアは驚いたように目を丸くしていた。金の瞳を大きく見開いている可愛らしい彼女に、リズベットは微笑みかける。
「マイア様はきっと、幼い頃から厳しい妃教育を受けてこられたのでしょう。所作がとても美しいのでわかります」
初めてマイアを見た時から、リズベットはその立ち居振る舞いに感嘆していた。それは一朝一夕で身につけられるものではない。きっと、幼い頃から血の滲むような努力をしてきたはずだ。
「マイア様がこれまでに積み重ねてきたものは、しっかりとあなたに刻み込まれています。これまでの努力が、生き方が、あなたを形作っているのです。マイア様は落ちこぼれなんかじゃありません。一族の恥でもありません。マイア様は、とても素敵な女性だと、私は思います」
きっと、マイアは必死だったはずだ。
大聖女として王妃にならなければ、価値がないと蔑まれる。叱責される。
だから彼女は、どんな手を使ってでもレオナルドに気に入られるしかなかった。初対面のリズベットに敵意を剥き出しにしていたのも、自分の居場所を守るためだったのだ。
彼女は王妃になるためだけに生まれてきたのではない。彼女の価値を、そんなひとつの尺度で決めつけてはいけない。
リズベットは、マイアの心が少しでも軽くなることを願った。
すると、リズベットの言葉を聞き終えたマイアは、大粒の涙をポロポロとこぼしながら心の内を吐露し始めた。
「……幼い頃から、大聖女としては出来損ないだって、皆から言われてきたわ。だから、レオナルド殿下に気に入ってもらわなきゃって、必死だった。家では皆、わたくしに厳しく当たるの。お父様も、お母様も。味方なんて、一人もいなかったわ。妃教育で忙しくて、お友達もできなかった。ずっと、一人だったの」
そこまで言い切ると、マイアは嗚咽を漏らしながらしばらく泣いていた。
誰にも相談できず、一人でつらい思いを抱え続けていたのだろう。ようやく吐き出せて、少しは楽になれただろうか。
リズベットはマイアが落ち着くのを待ってから、彼女の手を優しく握った。
「マイア様。それでは、まずは私とお友達になっていただけませんか?」
「え……? わたくし、あなたにとても酷いことをしたのに……?」
「では、仲直り、ということで」
そう言ってにこりと笑いかけると、マイアの顔が次第に歪んでいく。
「どうして……どうしてそんなに優しいの……?」
彼女はそう言うと、またポロポロと涙を流していた。リズベットがそっと抱きしめると、彼女の体は思った以上にとても小さかった。まだ、ほんの十三歳の少女だ。もっと誰かに甘えてもいい歳頃だろう。
「取り乱してごめんなさい。もう大丈夫よ」
マイアがそう言ったので体を離すと、彼女はモジモジしながら遠慮がちに口を開いた。
「あの……あのね。リズお姉様って呼んでも……良いかしら……?」
(なんて可愛いの!!)
妹が生きていたら、こんな感じだったのだろうか。頭の片隅でそんなことを思いながら、リズベットは満面の笑みで了承した。
「もちろんです。マイア様!」
そうしてリズベットは、大聖女マイアと和解し友人となったのだった。
そして、公爵たちの帰り際、こんなやり取りがあった。
「それでは、リズベット嬢。またお会いしましょう」
公爵がにこやかにそう言うと、レオナルドはリズベットを庇うように一歩前に出た。
「アールリオン公。彼女は俺の庇護下にあることを忘れるな」
彼の表情はこちらからは見えなかったが、その声音はとても厳しいものだった。変な絡まれ方をした直後だったのもあり、第一王子からの牽制は非常にありがたい。
「肝に銘じておきますよ、レオナルド殿下」
公爵は微笑んでいたが、レオナルドとの間には火花が散っているように見えた。
(この二人、以前に何かあったのかしら?)
そんな疑問を抱きつつ、リズベットは公爵たち一行を見送った。
* * *
その日の晩。
自室の書斎机でカルテをまとめていたところ、突然コツリと靴音がした。顔だけで振り返ると、そこにはグレイの姿があった。
「グレ……むぐっ」
グレイが片手でぎゅっと頬を掴んできたので、それ以上言葉が出せなくなる。彼は眉間に深いシワを寄せながら、低い声で唸った。
「俺、大聖女には関わるなって言ったよな? なのになんで仲良くなってんだ、馬鹿」
(めちゃくちゃ怒ってる……)
リズベットは冷や汗をかきながらも、心の中で眉を下げた。
この屋敷に戻る際、どうせ言っても聞かないだろうから「来るな」とは言わなかったのだが、やはり今回もついて来てしまったようだ。
全く、この護衛は本当に心配性だ。近い内に、レオナルドにきちんと説明しておかなければ。
そんなことを思いつつ、リズベットは彼の手をどけると、素直に謝った。
「ごめんなさい。でも、見てられなくて……」
言いつけを破ったのは自分だ。なんとも気まずくて視線を逸らすと、グレイは盛大に溜息をついていた。
「まあ、とりあえず何もなくてよかった」
彼はそう言うと、椅子に座るリズベットを後ろから抱きしめてきた。
「グレイ? どうしたの?」
不思議に思ってそう尋ねると、彼の声が耳元で響く。
「あんま心臓に悪いことすんな」
グレイがそれほど心配していたことに、リズベットは少し驚く。
アールリオン公爵のことはさておき、マイアとは良好な関係を築けそうなのに、そこまで心配する理由はなんだろうか。何もなくてよかった、とは、一体何が起きると思っていたのだろうか。
(それになんだか、グレイの声、疲れているような……)
そもそもグレイは、この屋敷にいる時はどこで寝ているのだろうか。ちゃんと休めているのだろうか。
色々と尋ねたいことがあったのに、グレイは「じゃ、おやすみ」と言ってさっさとどこかに消えてしまった。