レオナルドが自分の気持ちを吐き出してくれたあの日から、彼はみるみるうちに元気になっていった。
回復食も自ら進んで食べるようになり、今ではすっかり普通の食事を取れるようになっている。おかげで髪や肌の艶も随分と良くなった。顔色や瞳にも生気が戻ってきている。
しかし、不眠はまだ続いているため、寝る前にはリラックス効果のあるお茶を飲ませたり、症状が酷い時は薬を処方したりしている。
レオナルドはしきりに執務をしたがったが、リズベットが一日にやっていい時間を厳しく制限していた。ここで無理をして、また調子が悪くなっては元も子もないからだ。これまで寝込んでいた分を取り戻したい気持ちもわかるが、そこはリズベットが譲らなかった。
そして、体力が戻ってからは、日中に少しずつ外に出るようになった。そこからより一層回復していき、今では剣の素振りができるほど元気になっている。
彼が剣を握るのは終戦以来だ。体が相当鈍ってしまっているのか、最初の方はうまく剣が振れず、もどかしそうにしていた。しかし、毎日のように剣を振るううちに、勘を取り戻している様子だった。
今日も今日とて、レオナルドは屋敷の庭で素振りをしていた。彼が外に出る時、リズベットは決まって付き添っている。
レオナルドの剣さばきは美しく、堂々とした姿はまさに英雄そのものだった。ここに魔法が加われば、彼に勝てる者などそうそういないだろう。
(でも、魔法が使えるようになるのは、まだまだ先になりそうね……)
レオナルドは、魔力暴走を起こしたあの一件以来、一度も魔法を使えていない。再び魔力暴走を起こしてしまうのではと恐れているせいだ。
いずれは魔法を使う訓練もしていく必要があるのだが、今はまだその段階にないとリズベットは判断している。
彼にとって魔法はトラウマそのものだ。
無理に訓練を進めれば、再び心が壊れてしまう可能性もある。こればかりは慎重に進めていく必要があるだろう。
「殿下、そろそろ中に入りましょう。風が冷たくなってきました。お体に障ります」
リズベットが声をかけると、レオナルドは汗を
「どうかされましたか? 殿下」
不思議に思いリズベットが尋ねると、レオナルドはすぐにこちらに視線を戻してくる。この時すでに、瞳の鋭さは消えていた。
「……いや、なんでもない。それより、リズベット。前々から言おうと思っていたんだが、殿下はやめてくれ。俺のような人間に、そんな敬称は不要だ」
(うーん、拗らせてるわね……)
彼は時々こうして、自分を卑下するようなことを言う。多くの人々を殺めてしまった責任を重く受け止めているからなのだろうが、もう少し自信を取り戻してくれたらと思うときが多々あるのだ。
でもこれは、信頼関係を深めるチャンスかもしれない。リズベットはそう捉え直し、こんな提案をしてみた。
「そうですね……では、親しみを込めて、レオ様とお呼びしてもよろしいですか?」
「…………」
返ってきたのは見事な沈黙だった。レオナルドは唖然とした様子でこちらを見ている。
(しまった……! 調子に乗りすぎた!?)
ここ数ヶ月でだいぶ打ち解けたので忘れかけていたが、相手はこの国の王太子だ。これは完全に距離の詰め方を間違えてしまった。
リズベットは心の中で冷や汗をダラダラ流しながら、慌てて謝罪した。
「申し訳ございません、流石に失礼が過ぎました。今のは忘れてください!」
勢いに任せて一気にそう言うと、レオナルドは何がおかしかったのか楽しそうにクスクスと笑い出した。
最近、彼の笑顔をよく見るようになったが、流石は王族。笑い方ひとつとっても気品に溢れ、絵画のように美しいといつも思っている。
「いや、構わない。様も付けなくていい」
「それは流石に、周囲の目がありますので」
「わかった。では俺も、リズと呼んでいいか?」
「ええっ!?」
レオナルドのまさかの言葉に、リズベットは変な声を上げてしまった。いま自分の顔を鏡で見たら、相当な間抜け面をしていることだろう。
「だめか?」
「い、いえ! 滅相もございません」
そう言って懸命に首を横に振ると、レオナルドはまたクスクスと笑っていた。そして、程なくして笑いを収めると、彼はそのスラリと伸びた美しい指でリズベットの乱れた髪を掬い、耳にかけてくれた。
「ではリズ。部屋へ戻ろう」
彼の穏やかな声からも、その柔らかい表情からも、こちらを気に入ってくれていることが伝わってくる。
(これは……間違えたかしら……)
リズベットがこの屋敷にいるのは、あくまでレオナルドが「生きる気力を取り戻し、魔法を再び使えるようになるまで」だ。いずれいなくなる身で、あまり距離を縮めすぎるのも良くない気がしてきた。
(適切な距離感……うん、医者と患者の適切な距離感を保ちましょう)
リズベットは、心の中で自分にそう言い聞かせるのだった。