「私は、殿下に生きていて欲しいです。生き恥なんて、いくらでもさらせばいいんです。恥のない人生を送れる人間なんて、この世に一人として存在しないのですから」
リズベットは優しく微笑んでそう言った後、ほんの数ヶ月前の出来事を思い出しながら話を続ける。
「先の大戦で、多くの兵士や民が傷つきました。私が勤めていた病院には、毎日たくさんの患者が訪れます。戦争で負傷した人々、働き手である父親を亡くし痩せ細った母と子。そんな患者を診るたびに、復興の道はまだまだこれからだと感じていました」
連合国軍との戦いは、各国に甚大な被害をもたらした。それは、ここレイド王国も同様だ。
レイド王国の勝利で終結したとは言え、戦争による爪痕はまだそこかしこに残っている。
そこでリズベットは、ひとつの提案を持ちかけた。
「こう考えてみるのはいかがでしょうか。殿下は、残された人々を導くために、生き残ったのだと。この国を復興させるために、今ここにいるのだと」
「…………」
レオナルドはただ黙ってこちらの話に耳を傾けていた。今は虚ろさが薄れ、瞳に光が宿りかけている。何かを必死に考えているような表情だ。
「もちろん、私の言葉に縛られる必要は全くありません。殿下は、殿下のお心のままに、自由に生きればよいのです」
「俺の、心のままに……自由に……」
レオナルドは噛みしめるように、リズベットの言葉をつぶやいていた。
(言葉、ちゃんと届いてる)
リズベットは、それが言い表しようもないほど嬉しかった。これまでは、一方的に話していることのほうが多かったから。
だから、思わず心からの笑みがこぼれてしまう。
「はい。どう生きればいいかわからなくなった時は、そのたびに一緒に考えましょう。殿下には、私がついております。一人じゃありません」
リズベットの言葉を聞き終えたレオナルドは、目を伏せ、しばらく黙って考え込んでいた。
そして、再び視線がこちらに向いた時、その青の瞳はしっかりと光を映していた。
「ありがとう、リズベット」
それは、とても優しい微笑みだった。
(笑顔、初めて見た……こんな風に笑うのね……)
レオナルドは元々非常に整った顔立ちをしている。
これまでは治療に必死でそんなこと全く意識していなかったのだが、不意に見せられたこの笑顔はなんとも心臓に悪かった。自然と顔に熱が上ってしまう。
リズベットはそれを誤魔化すように、パッと手を離し立ち上がった。
「あの、代わりのスープをお持ちしますね! 割れた食器の片付けは後でやりますので!!」
今は一旦レオナルドと離れたかったのだが、彼がそれを許してくれなかった。
「いや、自分で取りに行く。片付けも自分で。今までひどい態度を取って悪かった。あいつらにも謝りに行く」
結局リズベットは、レオナルドと共に厨房へ向かうことになった。
レオナルドは普段、ほとんどの時間を寝台の上で過ごしていたので、足元が少々ふらつくようだった。厨房に着くまでの間、リズベットは彼が倒れないように体を支えていたが、この頃には先程までの恥ずかしさは消えていた。
厨房にいたキーツとエイデンは、レオナルドの蘇った瞳を見て、まるで奇跡を見たかのように目を丸くした。
「今まで迷惑をかけた。料理も散々無駄にして悪かった。ひとまず、自分にやれることをやろうと思う」
「レオナルド様……」
「レオ坊……」
復活したレオナルドの言葉を聞いた使用人二人は、ボロボロと涙を流していた。その様子を見て、リズベットの目にも熱いものが込み上げてくる。
レオナルドは、生きることを選択してくれた。そして今は、自分の足でしっかりと立っている。
まだまだ本調子になるには時間がかかるだろうが、起き上がれないほど衰弱していた頃と比べれば、大きすぎる前進だ。
(よしっ! この調子で、殿下の治療を続けていきましょう!)
リズベットはこぼれ落ちた涙をぐいっと拭い、自分に気合を入れたのだった。
* * *
翌朝、リズベットが身支度をしていると、慌てた様子のエイデンに大声で呼び出された。
「リズベット様! 大変です! 殿下が!!」
いつも落ち着きのあるエイデンがここまで取り乱している姿は初めて見た。ただ事ではなさそうだ。
「どうしたんですか!?」
「早く、殿下の部屋へ!!」
最悪な予感が脳裏をよぎりつつ、リズベットは身支度を放りだして大急ぎで隣の部屋へと向かった。
「レオナルド殿下! どうなさいましたか!?」
勢いよく扉を開けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。
なんとレオナルドが執務机に向かって、黙々と書類作業をしていたのだ。
流石のリズベットもわけがわからず、しばらく口を開けたまま呆けて固まってしまった。そして脳がこの光景を理解してようやく、リズベットは彼に尋ねることができた。
「ええと、殿下……何をしていらっしゃるのですか……?」
依然として目を丸くしているリズベットに、レオナルドはなんてことないように答える。
「見ての通り、執務をこなしている。かなりの期間、穴を開けてしまったからな。やることは山積みだ。リズベットのおかげで目が覚めた。ありがとう」
「…………」
リズベットはまたもや口を開けたまま固まった。英雄が復活するとこうなるのか、なんてどうでもいい考えが頭の隅に浮かんでいる。
そしてリズベットは、一度大きく息を吸い込んだ後、力の限り叫んだ。
「昨日まで栄養失調で倒れていた人が何やってるんですか! さっさと寝台にお戻りください!!」
患者に本気で怒鳴ったのは、これが初めてだった。