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3.帰れと言われても帰りません


「帰れ。そして二度とこの屋敷に立ち入るな。死にたくなければな」


 再び殺気とともに放たれた言葉は、こちらを切り刻むような鋭さがあった。


 思わず後退りしたくなるほどの殺気だが、ここで引いたら恐らく負けだ。


(大丈夫。こんな殺気、慣れてる。怖がるな)


 リズベットは拳を強く握り込むと、一歩踏み出しながら言葉を返した。


「帰りません。私は、レオナルド殿下を治すためにここに参りました。殿下が回復されるまで、私に帰る場所などございません」


 こちらの反応が予想外だったのか、レオナルドは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。しかし、すぐにまた睨みつけてくる。


「治療は受けない。出ていけ」


 完全なる拒絶。これまでに逃げ出した医者たちは、彼の殺気と拒絶の言葉にやられたのだろう。


(ここで負けるわけにはいかないわ……!)


 リズベットはあえてニコリと笑顔を浮かべて言ってやった。


「殿下を治療せよと、王命が下っております。殿下が私を追い出せるのは、あなた様が王になった時ですね」

「…………」


 レオナルドは意表を突かれたのか、目を丸くして固まっていた。あれだけ強烈な殺気を放ってもなお、こんなことを言ってくる人間など今までいなかったのだろう。


 すると、後ろで見守っていたキーツが耐えかねたように「ブフッ」と吹き出した。


「一本取られたな、レオ坊!」


 笑いながらそう言うキーツに、エイデンが肘鉄を入れて黙らせていた。とても痛そうだ。


 リズベットは釣られて笑いそうになるのを堪え、レオナルドの元にゆっくりと近づいた。すでに彼の瞳は鋭さを取り戻し、再びこちらを睨みつけている。


「寄るな」

「失礼します。ひとまず健康状態だけ見させていただけましたら、一旦は退室いたしますので」


 リズベットはレオナルドの拒絶を無視し、淡々と彼の体をチェックしていく。


 頬は痩せこけ、顔色は生気がなく真っ白だ。本来は美しかったであろうプラチナブロンドの髪も、栄養不足のためか艶が失われている。皮膚は乾燥して弾力がなく、形の良い唇は荒れており、ところどころ切れて血が出ていた。爪もぼろぼろだ。


(典型的な栄養失調ね。目の下にはくっきりとしたクマ……不眠もありそう)


 そして脈を測ろうとレオナルドの腕に手を伸ばすと、逆にその手を掴まれてしまった。驚いて顔を上げると、再び青の瞳と目が合う。彼はとても機嫌が悪そうに眉を顰めていた。


「……何なんだ君は。言葉が通じないのか?」

「最後に脈だけ測らせてください。すぐに終わりますので」


 リズベットは構わずレオナルドの手を払い除け、そのまま彼の腕を掴んだ。そして、手首に指先を当て、そこに意識を集中させる。


(脈が速い……極度のストレスと不眠のせいかしら)


 ちょうど脈を測り終わったタイミングで、レオナルドがリズベットの手を振りほどいた。


「もういいだろう」


 彼はそう言うと、寝台に横たわりそっぽを向いて目を閉じてしまった。


 本当は問診もしたかったが、これ以上は彼の負担になりそうだ。そこは前任たちが残したカルテを見ることにして、リズベットは一度退室することにした。


「お邪魔いたしました、殿下。後ほど昼食をお持ちいたしますね。一旦失礼いたします」


 そう言ってから、リズベットは使用人二人と共に再び居間へと戻った。


 部屋に入った途端、キーツが満面の笑みで感嘆の言葉をかけてくる。


「いやあ、たまげた! レオ坊の殺気を食らってもビビらない奴がいるとは!!」

「さ、流石に怖かったですけどね……ハハハ……」


(言えない……殺気を浴び慣れているなんて言えない……)


 リズベットは、万が一誰かに襲われた時に対処できるようにと、護衛のグレイに護身術を叩き込まれている。


 訓練の時のグレイは本当に容赦がなく、本気で殺しにかかろうとしてくるので、先ほど浴びた殺気なんてまだ可愛いくらいなのだ。グレイが放つ殺気のほうが余程怖い。


 追求されても面倒なので、リズベットは早速本題に入ることにした。


「あの、レオナルド殿下のカルテを見せていただきたいのですが」

「申し訳ありません、リズベット様。これまでの医師たちは一週間も保たず、ろくに治療もできなかったため、カルテが一切残されていないのです」

「そうですか……」


 これまでの症状や食事の状況について知りたかったのだが、ないものは仕方ない。


 リズベットは気を取り直し、エイデンとキーツに知りたいことを事細かに尋ねた。


 身体的な症状は、食欲不振や不眠、頭痛や目眩など、典型的な抑うつ症状と一致していた。しかし幸いにも、これまで自ら命を絶とうとしたことはないらしい。


 そして、食事はまともに食べられる日の方が珍しいとのことだった。調子がいいと会話もできるが、調子が悪い日はまともな返事もなく、ただぼんやりと過ごしていることが多いという。


(精神疾患は専門外なのよね……こんなことなら、そっち方面もちゃんと勉強しておけばよかったわ)


 とはいえ、今は後悔していても仕方ない。自分なりに患者と真摯に向き合うほかないだろう。


「まずはご自分で食事を取れるようになるところからですね。昼食は私がお運びしてもよろしいですか?」

「ああ、もちろん。もうほとんどできてるから、すぐに持ってくるわ。ちょっと待っててくれ」


 キーツはそう言うと、ものの数分でトレイに乗ったスープを持ってきてくれた。リズベットはそれを受け取ると、早速レオナルドの元へ向かう。


「レオナルド殿下、失礼いたします」


 部屋に入ると、彼はまた虚ろな目に戻っていた。寝台に座りながら、ぼんやりと虚空を眺めている。


「殿下、昼食のお時間です」

「…………」

「まずはスープから始めてみましょう」

「…………」


 返事はなし。聞こえているか不安になるほどだ。


(とうとう無視か……)


 どうしたものかと、リズベットは思考を巡らせる。ついさっきは言葉を交わしてくれたのだ。拒絶の言葉ばかりだったけれど。


(そうか、拒絶……)


 ひとつ案を思いついたリズベットは、おずおずと申し出た。


「あの……私も一応聖女ですので、治癒魔法で体調を整えるくらいのことはできるのですが……食事よりも治癒魔法の方がよろしいですか? 私、この通り茶色目で魔力があまりないので、頻繁に治癒魔法を施しにこの部屋へ伺うことになりますが……それでもよろしければ」


 レオナルドは明らかにリズベットを鬱陶しがっている。今もすぐにでも部屋から出ていって欲しいのだろう。


 だったら、それを逆手に取ったらどうだろうか。リズベットがこの部屋に極力来ない方を、選択してはくれないだろうか。


 リズベットは祈るような思いでレオナルドの反応を待った。


 すると程なくして、レオナルドが緩慢な動きではあるが、リズベットが持っていたトレイを奪い取った。そしてゆっくりと、スプーンでスープを掬い、口に運ぶ。


(食べた……!)


 ゆっくり、ゆっくり。だが確実にスープを平らげていく。その光景に、リズベットは心の中で喜びが止まらなかった。


 全てのスープを飲み干したレオナルドは、無言でトレイをこちらに押し返してきた。リズベットはそれを受け取り、満面の笑みで礼を言う。


「食べてくださってありがとうございます、殿下」

「…………」


 返事はなかったが、それでもいい。まずは、一歩前進だ。


 そして、リズベットはトレイを一度寝台の袖机に置くと、窓際に行き、締め切られていたカーテンを全て開けていった。今日は快晴で、気持ちの良い陽光が窓から差し込んでくる。


「……閉めろ」


 レオナルドが力なくボソリと言った。その瞳はやはり虚ろなままだ。


 リズベットは再び寝台の近くに戻ると、穏やかな声で言葉を返した。


「少しずつでいいので、日の光を浴びていきましょう。良い効果がたくさんあるんですよ。睡眠の質が良くなったり、リラックス効果があったり、あとは不安な気持ちを和らげてくれたり。こんな暗い部屋にこもりきりでは、余計に気が滅入ってしまいます」

「…………」


 レオナルドは返事が億劫になったのか、それ以上言葉を返してくれることはなかった。


(でも、まずは上々の滑り出しね)


 リズベットは空になった器を見てニコリと笑うと、トレイを持って部屋を後にした。


 そのまま器を返しに厨房に行くと、夕飯の仕込みをしていたキーツが目を丸くして驚きの声を上げた。


「食ったのか!? 全部!?」

「はい。全てご自分で召し上がられましたよ」


 リズベットが笑顔でそう答えると、キーツは感極まったように目に涙を浮かべていた。


「そうか……そうかあ……よかった……よかった……」


 キーツはこれまで、主人が一切口を付けないとわかっていても、たった一口食べてくれることを願って、毎日ひたすら食事の用意をし続けていたのだろう。その日々を思うと、こちらまで胸が熱くなってくる。


「嬢ちゃんは、本物の聖女様だな……ありがとう」

「いえ、まだ始まったばかりです。これから頑張りますね」


 そんなことを言いつつ、この時はリズベットも「思ったより早く回復されるかもしれない」なんて甘いことを考えていた。


 しかし、事はそう簡単ではなかった。


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