第一王子レオナルドが療養している王家の別邸は、ナイトレイ子爵家から馬車で四時間ほどかかる場所にある。
まずは三時間かけて二つ隣の街まで行き、そこから一時間かけて進んだところの、小高い丘の上にその屋敷はあった。
着いた頃には、すでに昼も近い時間になっていた。長時間馬車に揺られ続けたせいで身体はバキバキだ。
(王家の別邸というだけあって、かなり大きなお屋敷だわ。使用人も多そう)
リズベットはそんな感想を抱きながら、屋敷の扉についたドアノッカーをコンコンと叩く。
すると程なくして、白髪の老人が中から姿を現した。髪はピシッと整えられており、執事服を見事に着こなしている紳士然とした人物だ。
「ごめんください。レオナルド殿下の専属医として参りました、ナイトレイ子爵家のリズベットと申します」
「お待ちしておりました、リズベット様。私はこの屋敷の家令を務めております、オーランド・エイデンと申します。長旅でお疲れでしょう。さあ、どうぞ中へ」
エイデンと名乗った家令は、とても感じの良い人物だった。ひとまず歓迎されている様子で、少し安心する。
屋敷の中は手入れが行き届いており、清潔感に溢れていた。この大きな屋敷を管理するには、それ相応の使用人がいて然るべきだろうが、その割に人の気配がない。
不思議に思いながら、エイデンに連れられ居間に通されると、すぐにバタバタと慌ただしい足音が近づいてきた。そして、リズベットがソファに腰掛けるより前に、居間の扉がバタンと開く。
「おお、来たか! 随分と可愛らしい嬢ちゃんだな! 俺はこの屋敷の料理長、マルコム・キーツだ。よろしく!」
「よ、よろしくお願いいたします。ナイトレイ子爵家のリズベットと申します」
あまりにも勢いの良い挨拶だったので、リズベットは反射的に返事をしていた。
落ち着いて相手をよく見ると、彼は無精髭を生やした人懐っこそうな見た目の男性だ。長い茶髪は後ろで一つにくくられている。年齢は三十代後半くらいだろうか。
すると、家令のエイデンがやれやれというように大きな溜息をついた。
「キーツ……もう少し言葉遣いを何とかしなさいと、いつも言っているでしょう」
「固いこと言うなよ。フランクな方が親しみやすくていいだろ?」
キーツはエイデンの注意を微塵も聞く様子はなく、ニカッと笑っていた。
その後リズベットは、二人の使用人とともにソファに座り、歓談をしながら一息ついていた。
「まだお若いのに、お医者様になられるとは素晴らしい。たくさん努力なさったのでしょうね」
「それに加え聖女とはな! その珍しい空色の髪も、聖女様って感じする、うん」
二人がこれでもかと言うほど褒めてくるので、リズベットは少々恥ずかしくなり、誤魔化すように苦笑した。
「聖女と言っても、
魔力量は瞳の色を見ればわかる。茶色が最も少なく、金、青、紫の順で多くなるのだ。
紫は、一世代に一人いるかいないか。
青は、一世代に数人から数十人。
金は、一世代に数百から数千人。
茶は、その他大勢。
そして
リズベットは話題を変えるべく、エイデンに気になっていたことを質問をした。
「あの、他の使用人の方にもご挨拶したいのですが、今は外出なさっているのでしょうか?」
「この屋敷の使用人は、私とキーツの二人だけでございます」
「お二人だけ!?」
衝撃の事実に、リズベットは思わず大声を上げていた。こんな広い屋敷をたった二人で管理しているなんて、とても信じられない。
話を聞くと、エイデンが家のこと全般を、キーツが食事全般の準備と、空いた時間で掃除や洗濯などエイデンの手伝いをしているという。
「そりゃ、びっくりするよなあ。でもまあ仕方ねえんだ。レオ坊は今、絶賛人間不信中なんだよ。信頼できる最小限の人間しか周りに置きたがらねえの」
(人間不信……まあ、そうなるわよね)
レオナルドの魔力暴走は、一部の間では「仕組まれたもの」だったのではないかと噂されている。
基本的に魔力暴走は、魔力操作が未発達な乳幼児にしか発症しないと言われている。そのため、二十歳のレオナルドが魔力暴走を起こすなんて普通はあり得ないのだ。
悪意のある第三者が、人為的に魔力暴走を起こさせたとしたら。レオナルドが人間不信になるのも無理はない。
そして、そんなレオナルドが選んだということは、彼のこの二人への信頼は相当厚いのだろう。
話を聞くと、エイデンは元々レオナルドの側近をしていたのだという。レオナルドが王家の別邸に移るにあたって、家令として付いてきたそうだ。
そしてキーツは、レオナルドが幼い頃から仕えている料理人らしい。レオナルドのことをレオ坊と呼んでいたので、かなり砕けた関係なのだろう。
リズベットはそんなことを思いながら、ふと、あることが不安になった。
「あの……信頼できる人間しか周りに置きたがらないのに、専属医が私で大丈夫なんでしょうか……?」
リズベットの言葉に、使用人の二人はしばらく固まって沈黙した。
(せめて嘘でも大丈夫って言って……! 不安すぎるわ……!)
心の中で冷や汗を流していると、キーツが引きつった笑みを浮かべながら無理やり言葉を並べ立てた。
「歳も近いし、今までの医者連中よりはきっとマシ……なはず! ……多分」
最後に付けられた「多分」という言葉が、余計にリズベットの不安を煽る。どうやらレオナルドには気に入られない可能性のほうが高いようだ。
すると、エイデンが悲しげな表情でこう言ってきた。
「恐らくきついことを仰られると思いますが、本当はとてもお優しい方なのです。ですからどうか、最初の印象だけで全てを決めつけないでいただけると、非常に嬉しく思います」
話しぶりから、エイデンが心からレオナルドを慕っていることが伝わってくる。部下からこんなに思われているなら、レオナルドも悪い人ではないのだろう。なにせ英雄とまで言われた人だ。
「わかりました。できる限りのことはやってみます」
リズベットが力強くそう返すと、エイデンはホッとした様子を見せた。
「ありがとうございます。ではそろそろ、我らが主人の元へ案内いたしましょうか」
そうしてリズベットは、エイデンに連れられレオナルドのいる部屋へと向かった。屋敷の二階の、一番奥の部屋だ。様子が気になるのか、キーツも後ろからひょこひょこついて来ている。
「レオナルド様。事前にお伝えしておりました、新しい医師の方をお連れいたしました」
エイデンは中の人物にそう告げてから、ゆっくりと扉を開いた。
エイデンに続き部屋に入ると、寝台の枕元には一人の青年が力なくだらりと座っている。顔は窓の方を向いていてよく見えない。
そして日中だというのに、部屋中のカーテンが締め切られている。明かりも灯されておらず、カーテンから漏れ出る日の光だけが部屋を照らしていた。
「お初にお目にかかります、レオナルド殿下。本日から殿下の専属医を務めさせていただきます、ナイトレイ子爵家のリズベットと申します」
挨拶の口上を述べると、青年がゆっくりとこちらを向いた。
切れ長で整った形の、まるで夜空のような深い青の瞳と、視線が重なる。
青の瞳。膨大な魔力の証。
リズベットは過去に一度だけ、その青を見たことがあった。数年前、レオナルドの凱旋パレードで、一瞬だけ彼の姿を垣間見たことがあったのだ。
当時は自信に満ちあふれ煌々と輝いていたその瞳は、今は光を失い、何も映していないように見えた。
(……生きることを諦めた人間の目だわ)
ここ半年で、同じような目をした患者にたくさん出会った。そのほとんどが戦争の被害者か、その遺族。
彼もまた、先の大戦の被害者のひとりなのだろう。
信頼する部下を自らの手で消し炭にしてしまった
英雄をここまで貶めた人物がいると思うと、ふつふつと怒りが湧いてくる。
リズベットが彼から視線を逸らせないでいると、レオナルドは先程までの虚ろさが嘘のように、こちらを鋭く睨みつけてきた。
「帰れ」
低く唸るような言葉とともに向けられたのは、足がすくみそうになるほどの強烈な殺気だった。