「私がレオナルド殿下の専属医、ですか? 何かの間違いでは?」
珍しい空色の髪に、大きな丸い瞳を持つ少女――ナイトレイ子爵家の養女リズベットは、養父からのあり得ない話に自分の耳を疑った。
――レオナルド・ウィンスレイド。
ここレイド王国の第一王子であり現王太子。この国で知らない者はいない、英雄
彼はこの国随一の魔法の使い手で、治癒魔法以外の全属性を扱えるただ一人の人物だ。
その実力故に、幼い頃から戦場に赴き、数々の敵国を撃ち落としてきた。レイド王国がここ数年で領土を倍にまで増やしたのは、ほとんど彼の功績だと言っていいだろう。
その上、政治手腕も見事なもので、彼が国王になる限りレイド王国は安泰だと評されていた。
それ故の、英雄。
しかし、半年前まで続いていた連合国軍との戦いで、その名は地に落ちることになる。
発端は、急成長を遂げたレイド王国を危険視した周辺諸国が手を組み、連合国軍を興したことから始まる。連合国軍はレイド王国軍の五倍以上の兵力を誇っていたが、レオナルド率いる軍勢を攻略することができず、戦争は三年ほど続いた末に泥沼化した。
両軍共に疲弊しきっていたところ、連合国軍は残る兵力をすべて注ぎ込み、最終決戦に打って出た。
事件が起きたのは、その時だった。
連合国軍を迎え撃ったレオナルドは、戦の
魔力暴走を起こした張本人である、レオナルド以外は。
彼以外のすべての命、何万もの命が一気に消し飛んだのだ。
皮肉にもそのおかげで戦争はレイド王国の勝利で終結したが、魔力暴走を起こしたレオナルドを王太子から降ろすべきだという世論が優勢になっている。
戦争終結後、レオナルドは心を壊し、今は王家の別邸で療養しているそうだ。
(私が英雄の専属医? そんな話、あり得ないでしょう。まあ医者ではあるけど、まだ半人前だし……)
リズベットは若干十八歳ながら、養父――ナイトレイ子爵家当主、ジェームズ・ナイトレイが経営する病院で医師として務めている。
幼い頃に家族を亡くしたリズベットは、父の知人だったナイトレイ子爵に拾われた。その恩を返すために、幼少期から猛勉強してようやく最近、医者の卵になれたのだ。リズベットは史上最年少で医者になった秀才として、界隈ではほんの少し有名だった。
(でも王太子の面倒を見るなら、普通もっとベテランの医師を付けるでしょうに)
リズベットが困惑していると、養父は頭を抱えて言った。
「残念ながら間違いではないんだ。絶対に死なせるな、との王命でね」
養父の話によると、今までに国中の名医という名医がレオナルドの治療にあたったが、その全員が一週間も保たずに逃げ出したという。
理由は単純。レオナルドが治療を拒否し、殺さんばかりの勢いで医者を追い出したからだ。
患者は魔力暴走を起こし、山ひとつ消し飛ばした人物だ。治療にあたった医者たちも、いつ自分が消し炭にされるかと怯えていたのだろう。逃げ出したくなる気持ちもわからなくはない。
「ですが、お義父さま。レオナルド殿下の婚約者は大聖女様のはずですよね? 大聖女様でも治せないのに、私にどうこうできるとは思えないのですが」
この国では、治癒魔法を扱える人間を聖女と呼ぶ。特別な名称が付けられるほど、治癒魔法を使える人物は貴重な存在なのだ。
力の弱い聖女は街の病院などで勤務することもあるが、大抵は王城や騎士団で治療師として働いているので、一般市民が聖女の治癒魔法を受けられる事は稀だ。それ故に、医者の存在が無くなることはない。
そして、聖女の中で最も魔力量が多い人物を、大聖女と呼ぶ。大聖女は王太子、つまり次期国王と婚姻するのが習わしだ。そのため、レオナルドのそばには大聖女がいるはずなのだ。
(大聖女様で無理なのに、私にどうしろと……)
リズベットも
リズベットが腑に落ちない表情をしていると、養父は眉を下げながら説明を始めた。
「レオナルド殿下は心の病を患っておられる。治癒魔法ではどうにもならんのだよ。殿下が食事を拒否して栄養失調になるたびに、大聖女様が時々治癒魔法を施されていると聞いている」
治癒魔法はあくまで身体の損傷を回復させるものだ。確かに心の病であれば、いくら大聖女とはいえどうすることもできないだろう。
今回リズベットに白羽の矢が立ったのは、どうやら医学知識のある聖女だからのようだ。そういった人材はかなり珍しい。殿下に身体不調が現れればすぐに聖女の力で回復させることができる便利な医者、そう判断されたのだろう。
そして、養父が難しい顔で説明を続けた。
「殿下は今、食事もろくに召し上がっておられないようだ。まず第一にメンタルケアをすること。そしてもし可能なら、魔力暴走の原因究明を、とのご命令だ」
「私……精神科は専門外ですよ?」
「ああ、わかってる。私もそう言ったんだが……断りきれなかった。本当にすまない」
養父はそう言って、申し訳無さそうに眉を下げていた。
これ以上の反論は養父を困らせてしまう。彼は自分を拾ってくれた命の恩人だ。自分のことで煩わせるようなことはしたくなかった。
リズベットは覚悟を決めて、ニコリと笑ってみせる。
「いえ、お義父さまのせいでは。王命とあらば仕方ありません。荷物をまとめて、明日にでも出立いたします」
そこまで言ったとき、ふと疑問が生じた。肝心なことを聞くのを忘れている。
「ちなみに、いつまで……でしょうか」
リズベットが恐る恐る問うと、養父は下がりきった眉をさらに下げて答えた。
「殿下が生きる気力を取り戻し、魔法を再び使えるようになるまで、だそうだ」
「それは……長い戦いになりそうですね」
リズベットは苦笑するしかなかった。
経緯からして、レオナルドの心の傷は相当なものだと思われる。場合によっては、かなりの年数を要するだろう。
だが、自分に拒否権はない。これは王命だ。できれば王族などと関わりたくはなかったが、こうなっては仕方ない。
リズベットは覚悟を決めて、早々に荷造りを始めるのだった。
* * *
翌日、早朝。
「お義父さま、お義母さま。今までお世話になりました」
見送りに来てくれた義両親に、リズベットは深々と頭を下げた。
「そんな……最後みたいな言い方しないでおくれ……」
そう言う養父は、ボロボロと大粒の涙を流している。別れを悲しんでくれているのが、素直に嬉しかった。
そして対する養母は、リズベットの両肩を掴むと、こちらの瞳をじっと見つめてくる。
「いい? リズ。絶対に生きて帰って来るのよ。もし逃げ出したくなったら、すぐに言いなさい。どんな手を使ってでも、逃がしてあげるから」
「そんなことしたら、王命に背いた罪で捕まるかもしれませんよ?」
「そうなったら、こんな国捨てて逃げるまでです」
養母は養父よりもずっと
リズベットは相変わらずな養母に苦笑するも、二人が自分を案じてくれていることが嬉しくてたまらなかった。本当に、大好きな人達だ。
(流石に寂しいわね……)
これからしばらく会えなくなると思うと、心に冷たい風が吹いた。
少し気弱になっていると、ようやく泣き止んだ養父が尋ねてくる。
「リズ。グレイは連れて行かないのかい?」
グレイ・ギルフォード。
リズベットがナイトレイ子爵家に来る前から共に暮らしている、七つ上の従者。生まれた時から共に育ってきたので、リズベットにとっては兄のような存在だ。彼は訳あって、昔からリズベットの護衛をしてくれている。
「まさか。ただの子爵令嬢に護衛が付いていたら、おかしいと思われるでしょう?」
苦笑してそう答えると、養父はとても不安そうな表情をしていた。
(大丈夫。一人でも、大丈夫)
リズベットは自分に発破をかけて、とうとう別れの挨拶を告げた。
「では、行って参ります。お義父さま、お義母さま」
「いってらっしゃい、リズ。いつでも帰ってきていいからね」
「どうか、どうか気を付けて」
大好きな二人に見送られ、リズベットは第一王子レオナルドのいる屋敷へと向かうのだった。