諸君、正義とはなにか、ご存知であろうか。
よく、正義とは模範だ、正義とは絶対だ、正義とは勝利だ。などと言われるが、おれはそう思わない。思ってやらない。
いやしかし、簡単に教えてしまうのも、成長の機会を奪う愚か者のすることだな。よし、おまえは正義とはなにかを、ぞんぶんに考えるがよい。これから五行、待ってやろう。
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おまえがほんとうに考えているのならば、まだ日が落ちていないのはおかしい。顔を上げてカーテンを開けてみたまえ、すると、おまえは誰よりも鬱陶しいような青空を見るだろう。
まったく、おまえのような奴らはみな同じ反応をする。このおれが正義を説いてやろうとしているのに、ハナグソをほじるような顔をする。どうやら悪についての教育は済んでいるらしい。
ほら、早く正義とはなにかを考えるのだ。たらたらするな。
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ここまで読むのに、五分もかからんのか。仕方ない、おれが、正義とはなにかを教えてやろう。
――いいか、正義とは……
「あそこだ!」
追え! と叫んだのは、司法を思わせる真黒の学ランを着た男たちだった。彼らは、セイギセイギと鳴き声を発する細身の男をめがけて走り出す。その細身の男は、スタコラ逃げる。
――ふん、忌々しい生徒会の奴らめ、むさ苦しい生徒会のオスどもめ、折れそうでかわいい腕を懸命に振るこのおれを捕まえようとするとは、憐れみの心のカケラもないな。今の日本が小泉内閣であることを幸運に思うがよい。もしも徳川綱吉であったら、生徒会の貴様らはすでに犬死にに終わっていたところであっただろう。
たくみに曲がり角を使って、細身の男は体格のよい生徒会を寄せつけない。
生徒会の中でも一際恰幅のよい野郎が、怒号に似た声で細身の男に叫ぶ。
「やい、おまえ、悪あがきはもうやめたらどうだ。ここ数日、我ら生徒会はおまえに悩まされて業務が滞っている。おまえのせいでこの学校が被害を被っていることを自覚したまえ」
はたから見れば、細いゴキブリを強靭なゴキブリの軍団が追いかけ回しているような図である。やがて彼らは校舎を飛び出し、校門を飛び越え、暗く細い路地を縫う。余談ではあるが、ゴキブリも追いつめられると飛ぶらしい。
個人経営の飯店から漏れる炒飯の香りを手で押し退けながら、細身の男は走る。
薄青いゴミ箱を蹴散らしながら、人気になり損ねたドブのマウスを投げつけながら、細身の男は走る。
恰幅のよい生徒会長は、路地を抜け青空を浴びたことを認識してから、肺いっぱいに息を吸う。そのまま通行人をすべて過ぎるまで止めたのち、再び大声を発する。
「どうして何も言わない。一つ涙を流し、土下座をすれば済むことなのだぞ。私たちが初めに注意をしたとき、おまえは詭弁を弄し、今は芸なく逃げ回る。なんて性根の曲がったもやし人間だ」
そのもやしは、乾燥してねちりとした唾が塞ぐ唇を勢いよく開く。
「ケホッ、ゴホッガアッ」
その声のようなものは、生徒会の耳まで届かなかった。
「まさか、おまえのしたことを忘れたとは言わせない。忘れたのなら、今一度思い出させてやろう。そう、あれは――」
「あれは、人間犇めく荒野の時代、勝者になるためには、勝つという結果のみが求められる闘者の時代の出来事だった。おれは、母親にぶたれぬように考査の結果を欲していた」
もやし男は生徒会の声を奪って優雅に語り始めた。走る息はとうに絶え絶えであったというのに、一つ語らせるとこれである。なんと非有意義的なことであろうか。
もやし男の雄弁はとどまるところを知らない。
「いいか諸君、カンニングは、される方が悪いのだ!」
空想の喝采が静まるのを悦の表情で待つ。その顔をむし暑い向かい風が覆う。
「おれの計画は完璧であった」
――まず、テストの一週間前から、授業をしている外でカラスに餌付けを行う。毎日毎日、決まった時間に必ずだ。すると、カラスはおれが楽な餌場であると学習し、日毎に仲間を連れてくるようになる。その数は雪だるま式に増え、テスト前日には太陽の黒点ほどの広さをカラスが埋め尽くすようになる。
――そして当日、おれがテストを教室の中で受けていると、腹をすかせたカラスどもがこのおれのいる教室に乱入してくる。そうして教室が阿鼻叫喚の地獄絵図になっている隙に堂々と他の者の答案を見ることができるという算段だ。
――しかし誤算だったのは、授業をうけずにカラスに餌付けをするという姿は、とても注目を受けるということだった。まったく、餌付けをするとい
う行為は、食品の無駄な廃棄を阻止している極めて社会貢献的なものであるのに、生徒会のやつらは邪魔をしようとするのだ。そのせいで計画は餌付け段階から頓挫してしまった。挙げ句追いかけ回してくる。
もやし男は走るギアを一つ上げる。ぐんぐん速度を増し、もはや皮膚が火を吹く寸前――男は急ブレーキを踏んだ。質量の大きい生徒会の男たちは慣性のままもやし男に被り倒れる。彼らの耳には、快晴を蓄えた河の流れる音が響いていた。
「ええい暑苦しい。離れろ。おれに男の色はない」
生徒会の男のほとんどは、この言葉で立ち上がった。
生徒会たちは学ランに付いた土を払い、真黒を取り戻す。ズボンから胴、腕、最後は入念に校章バッジというふうに。
「得意の詭弁も底をつき、逃走に逃げるもこの様だ。今、泣きわめいて鼻水を撒き散らしながら謝罪をすれば、我が生徒会室のクーラーに当たらせてやろう」
「おれは人工的な涼しさが大の嫌いだ。貴様らには河の水を浴びてもらおう」
両者は火花を散らす。夏の風物詩は花火だが、青春のそれは火花なのである。もっとも、今はまだ夏の始まりであるが。
一歩ずつ、両者は距離を詰める。巨漢の生徒会長は、指をボキボキと鳴らし、こう思う。
――こいつ……もしかしてほんとうに喧嘩をするつもりなのか?
もやしは言わずもがな、尿意がうずいていた。
互いの歩みがどんどん小幅になっていったその時。
声は轟いた。
「善のヒーロー、ミステリアス・マスクマン、ここに見参!」
「やった、マスクマンだ!」
という歓喜の声は、生徒会長一人だけのものだった。他の者は皆、憮然としていた。
マスクマンの格好は変態そのものである。
頭部全体を覆うマスクは、口もとが開き、目の部分がメッシュ構造になっているプロレスマスクだ。
首から下はというと、学ランである。学校指定のものではあるが、非力な男が頑張ってちぎったような第二ボタン跡は印象的だ。
「もっと称えよ! ボクはヒーロー、マスクマンだぞ」
もやし男は、状況を飲み込むために推察を行う。
なるほど、マスクマンが乱入してきたとき、生徒会長は歓喜していた。
「マスクマン、おまえは、生徒会とグルだな?」
生徒会のほとんどは目を見張って首をふる。
「グルで何が悪い」
生徒会のほとんどは目の玉が飛び出し腰から首をふる。
その中で一人、生徒会長だけはマスクマンの方へ近づいた。彼らは何やら小さく話し合い、頷いた。
「望むなら、ボクの正体を見せてやろう」
神妙な宣言の後、しばらく河の流れのみが聞こえて、次に言葉を発したのは再びマスクマンだった。
「では目を見開くがよい。マスクマンの素顔を見られることを、末代まで誇りに思え!」
そう言って、マスクマンは頭部の覆いを外した――。
なんと、彼は癖毛であった。それもかなり硬質で頑固そうな癖毛だ。それがあのピチピチのマスクに入っていたとは、にわかには信じがたい。毛量だってそうだ。きっと、長く伸びてもすぐに丸まるために目にかからないのだろう。
素顔にはピンとこなかった。
より誰なのか謎が深まったマスクマンの語りは、まだ続いていた。
「このボクこそが、この学校の真の生徒会長なのだ!」
えーっ! と驚いたのは、誰でもなく生徒会の人間たちだった。もちろん、生徒会長だけはどや顔をしていた。
もやし男は頭を抱える。こちらがなにもしなくても、勝手に謎が増えていくのだから、仕方のないことである。
しかし、マスクマンと恰幅のよい生徒会長はシルエットから声まで似ても似つかない。いったいどうやって入れ替わったというのだろう。
「入れ替わるタイミングが分からないか……至極まっとうな疑問だ。しかしまだまだだな。入れ替わりが問題なのなら、入れ替わらなければよいだけの話なのだ」
謎が増えすぎると、人はもうどうでもよくなってくる。もやし男はすでに、足もとの雑草を眺める方がずっと楽しく感じるようになっていた。
「つまり、初めから逆だったのだよ。生徒会選挙のときから、ずっとね」
謎による算術オーバーフローも一周したのだろうか。もやし男は問う。
「結局のところ、生徒会選挙の時に前で演説したのは誰だったのだ」
恰幅のよい生徒会長が胸をはる。
「話をちゃんと聴きたまえ。選挙の前から入れ替わっていたのだから、この私が演説をしたに決まっているだろう」
「選挙の時の名前は、どっちのものなんだ」
「私が演説をするのだぞ? 私の名前でなくてどうする」
爽やかなはずの初夏の空気は、どんどんと滞っていった。今すぐにでも換気をしたいが、開ける窓がない。
もやし男は、耳から蒸気が吹き出しそうなのをこらえて、声を絞り出す。
「えーと、つまり、マスクマン、おまえは生徒会長に選ばれていないただの一般生徒なのではないだろうか。選挙で生徒が選んだのは、あくまでそこの生徒会長だ」
どす、と土に膝をつく音が鳴った。マスクマンである。髪の毛をぐしゃぐしゃにかきむしろうとするが、その硬質さでうまく行かない。
「そんな、気がつかなかった。生徒会長じゃない一般生徒がこんなマスクを被って叫んでいるなんて、そんなの、ただの変態じゃないか。ボクは変態じゃないか」
恰幅のよい生徒会長は、少ししゃがんでマスクマンの肩に手を置く。私がマスクを被るべきでしたね、と優しさに満ちた声で言う。しかし、マスクマンはあなたでなければいけません。マスクが本体なわけではないのですから、と微笑む。
――まったく、いつまで頭のおかしい茶番を見せられるのだ。あろうことか感情移入がこのおれに向かおうとしているではないか。
瞳の終わりの方にきらりと涙を見せ、マスクマンは立ち上がった。その凛々しい顔は、生まれかわったようであった。
もやし男はもう帰ろうと考えはじめた。しかし、生徒会長が引き留める。
「お前の裁判は終わっていない。マスクマン、あなたはどのような罰がよいと思いますか」
マスクマンは小石を投げて遊んでいた。
「そんなことより、生徒会とはつまらぬ組織だな。みな変わらぬ学ランで、もはや見分けがつかない。味方をしろというのなら、ボクはこのヒョロガリの味方をしよう」
ヒョロガリもやし男は、なんだか追及を逃れそうで安堵する。
生徒会長は、心の征服者が離れてしまい、声が震える。
「そんな……我ら生徒会は、これからどうすればよいのですか」
「ふん、同じ学ランを外に着ていても、中身はそうではないだろう。服を脱ぐがよい!」
「分かりました!」
そうして、生徒会長の男はブリーフ一丁の姿になった。
他の生徒会の男たちはそれを見て逃げ惑うが、二分もしないうちに全員の身ぐるみが剥がされた。
マスクマンは腕を組みながら、しきりに頷く。
「恥ずかしいか、ならば踊るがよい!」
マスクマンも爽やかなミント色ブリーフになり、サンバをバカにしたような踊りを踊る。
生徒会の者たちはボクサー、トランクスと多種多様な装いに変化して、泣きわめきながら踊る。法律に唾を吐いて踊る。
生徒会長も、無駄な動きをなくして洗練されたサンバを踊る。
もやし男は一部始終を、黙って見ていた。
――目の前でこのような祭りが行われていて、参加しない阿呆がいるだろうか?
彼はすぐに桃色ブリーフに衣替えをし、日が沈みきるまで踊り狂った。
そうして青春を彩ったおれたちの、テストが壊滅的であることは言うまでもなかった。
しかし、大人にぶたれたのがおれだけであったことは、特筆しておきたい。