目の前にいる
「お願い!中に入れて!話があるの!」
秀綾は更に目を赤くして、
蘭瑛は
「突然尋ねてごめんなさい。あなたにどうしても伝えたいことがあって…」
蘭瑛は秀綾を使っていた椅子に座らせ、六華鳳宗から持ってきた白茶を淹れた。秀綾は息を整え、話をする。
「あなたの命が危ないの。
眉間に皺を寄せた蘭瑛は「ズーリン?」と尋ねながら、白茶の入った茶杯を秀綾の前に置いた。
「そう、あなたがこないだ手首を捻ってたあの人。あ、ありがとう」
秀綾はそう言って、茶杯を手に取った。
一口口に含んだ後、秀綾はひと息ついて、また話し始める。
「梓林は、
「ちょ、ちょっと待って。光華妃って誰?」
蘭瑛は、手を前に出しながら秀綾の話を遮り、知らない宋長安の妃について尋ねた。
秀綾は、何も聞いてないの?と言わんばかりに、相関図のようなものを紙に書き始める。
「いい?この二人は服従関係にある。これまでも、たくさんの人を追放したり、消したりしている。今回の皇太子殿下の件も光華妃の謀反。皇太后の他にも妃は二人いて、
「はぁ…」
(色々と複雑そうだな…)
秀綾の説明を聞いた後、蘭瑛の頭の中にふと永憐と賢耀の二人の姿が浮かんだ。立場を超えて、互いの名を『
そのあとも、秀綾から光華妃の狡猾で尊大な醜悪を聞かされ、蘭瑛は複雑な宋長安の人間関係を少しだけ知った気がした。
蘭瑛は話を変え、毒薬について秀綾に聞く。
「その毒って、梓林っていう人が作ってるの?それとも、誰かから受け取ったもの?」
「恐らく、誰かがここにこっそり運んできている…。梓林は調薬できないの。経穴専門だから。でも、誰かは私も分からない…」
「…経穴専門?」と、蘭瑛は何かに思い至ったかのように呟く。そして、突然椅子から身を乗り出し、秀綾に顔を近づけて尋ねた。
「ねぇ!その女が毒薬を飲ませていた時、近くで見ていた?どこか押さえながら飲ませていたとか、何かをしながら飲ませていたとか知らない?」
蘭瑛に圧倒されるように、秀綾は思わず顔を後ろに引いて、顔を引き攣らせながら答える。
「え…っと、
「百会…。やっぱり…」
蘭瑛は元の位置に体を戻し、落ち着き払って白茶を啜った。
完全に盲点だった。蘭瑛は霊力を同時に奪う特殊な毒薬だと勘違いしていた。でないと、霊力のある修仙者には効果がないと思っていたからだ。しかし、百の経絡が会する場所として存在している百会を、全面的に封じて毒薬を飲ませれば、どんなに法力の入っていないただの毒薬でも、霊力を自然と弱めることができる。
通りで、解毒しても霊力の回復が悪いわけだ。
気の巡りと霊力の巡りは、修仙界では密接な関係を持つ。
蘭瑛は更に、秀綾に何の毒薬だったか尋ねてみた。
「詳しくは分からないけど、いつも甘い香りがしてた。私が思うに、
「鴆!?」
宋長安ではそんな奇毒が出回っているのか!
流医の中でも扱える者は限られている為、蘭瑛は酷く驚いた。
鴆というのは、猛毒を持つ鳥のことだ。羽毛一本を溶かした水を飲むだけで、どんな幼子でも人を殺せると言われている。
修仙者たちは術の効力がある為、どんな毒薬でも少量であれば問題ないが、毎日服用するとなると毒殺は可能になる。
かなり計画性のある毒殺未遂だ。
蘭瑛はあの日、毒薬を瓶に入れた際に、甘い香りがしたことを思い出した。鴆である可能性は高い。
秀綾は蘭瑛の顔を見て、もう少し話を付け足した。
「鴆は最近、閉山で獲れるみたいだよ」
「え?あの閉山で?!随分と詳しいんだね」
「あぁ…」と言って、秀綾は少し笑みを見せた。
笑うと八重歯が見え、何だかとても愛らしかった。
「実は、亡き父が
蘭瑛は自分の薄茶の瞳をパッと輝かせ、「私と朋友になって」と、花を優しく掴むように秀綾の手を取った。
秀綾も安堵の笑みを浮かべて、また小さな八重歯を見せる。
それから二人は意気投合し、しばらく互いの宗家の話をしたり、それぞれの地元の話をした。
帰り際、秀綾は扉の前に立ち、ゆっくり蘭瑛の方を向く。
「蘭瑛、今日はありがとう。私がここに来たことと、私の身分は絶対に内緒ね。それと、くれぐれも夜道は一人で歩かないように」
「分かってる〜任せて!むしろ、秀綾の方こそ気をつけて。私と居るところを見られたら、それこそ秀綾が危ない」
秀綾は小さく微笑み「また話そ」と言って、扉の外へ出て行った。
蘭瑛は静まり返った部屋の中で一人佇む。秀綾が飲んでいた茶杯を片付けながら、ほんの少し寂しさを覚えた。
大人になって自分と共通する人と繋がれるのは稀だ。ましてや、この宋長安という場所で偶然出会うなんて、奇跡と呼ぶ他ない。
蘭瑛は小窓を開け、いつものように庭を眺める。
秀綾ともっと色んな話をしたいと思ったが、賢耀の件がこれで解決すれば、直ぐにここを出ることになるだろう。
今日が最初で最後の対話だったかもしれない。
そう思うと、蘭瑛はまた寂しい気持ちを澱ませた。
眺めている空が段々と薄暗くなっていく。
六華術を持つ
そんな淡い妄想は、美しい夕日と共に夜の向こう側へと沈んでいった。
・
・
・
それから、一週間が経過した。
この一週間の間に、蘭瑛は賢耀の封印されていた経脈を解き、賢耀の霊力を回復させた。
賢耀も無事に、
蘭瑛は永憐から、二日後に華山へ送り届けると言われ、いつでも出られるように部屋の荷物をまとめていた。
(なんだかんだ、あっという間だったな〜。秀綾は元気かな。手紙だけでも渡せたらいいんだけど…)
蘭瑛は一縷の望みをかけて、筆を取った。
今日は何だか少し暑い…。初夏の陽気が部屋まで差し込んでいる。
手巾で額を拭いながら、秀綾と初めて会ったあの日のことを振り返り、『また会いたい』という気持ちを綴った。
想い人に手紙を差し出すかのように、気恥ずかしく━︎━︎━︎。
もうすぐ、浴堂が開く
酉の刻から酉の刻が終わるまでの間は、湯の温度が熱い為、人があまりいない。蘭瑛は熱い湯が好きだった為、毎回酉の刻に合わせて浴堂へ行っていた。
今日もそうする予定だったのだが、酉の刻が始まるまで寝台の上で横になっていたら、いつの間にかうたた寝してしまっていた。
目覚めると、ちょうど
蘭瑛は飛び起き、すぐに浴堂へ向かった。
今日は珍しく数名の女子たちがいる。物珍しそうな視線を向けられていたが、蘭瑛は気にする様子を出さず、髪と身体を洗い、隅っこの方で温い湯に浸かった。
女子たちの興奮したような会話が耳に入ってくる。
しばらく耳を傾けていると、どうやら、女子たちはあの冷たく麗しい堅物国師の話をしているようだ。
「今日の国師さま、一つに髪を結われていて本当にかっこよかったよね〜。動じないあの佇まい。凛とした横顔。もう、全てが完璧」
「本当、眼福よね〜。永憐様が婚約なんてした日には、私死んじゃうかも〜」
「死ぬだけならいいわよ。私なんて、相手を呪い殺しちゃうかもしれなぁ〜い、あははははは」
(こ、怖っ…)
蘭瑛は身を縮こませて、肩まで深く潜った。
「永憐様って想い人とかいるのかな?やっぱり女には興味ないのかな?もしかして男色とか?」
「え〜、それはないでしょ。でも、あんな美男子から攻められたら、男もさすがに反応しちゃうわよね。逆も然りだけど…」
「あの、強靭な身体で上から甘く襲われたら…あはンッ」
「何ぃ、その気持ち悪い声〜!さぁ、のぼせる前に出るわよ〜」
肩をぺちんと叩く音が響いた。
蘭瑛は、永憐の妖艶な蜜を垂らした姿を想像してみたが、声どころか酷い鳥肌しか立たなかった。
久しぶりにゆっくり湯に浸かった蘭瑛は、夜の涼しい空気を心地よく感じながら、客室の殿に向かって歩き始めた。
しばらく歩くと突然、前方から複数の人影が現れた。
蘭瑛は身の危険を感じ、逃げる隙を伺う…。
急いで踵を返し、逆方向にある藍殿に向かって走ったが、男の足には敵わず、すぐに追いつかれてしまった。
いくら護身術を身につけているとはいえ、複数の男に囲まれたら、それは何の意味も為さない。
蘭瑛は必死で抵抗したが、背後から白い布を口元に当てられ、段々と意識が朦朧とし始めた。自身の身体に、六華術の寛解の術を施すが、効果はほんの一瞬だけで、蘭瑛は気が抜けたかのように倒れ込んだ。
視界が徐々に歪んでいく。
(あぁ…、ダメだ…)
おぼつかない瞬きをした刹那。
脇にある大木の木陰から、秀綾の顔が見えた気がした…。