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第九話 朋友


 目の前にいる秀綾シュウリンは、背が高く細身で、目と同じ淡い朱色の髪を乱していた。


 「お願い!中に入れて!話があるの!」


 秀綾は更に目を赤くして、蘭瑛ランインに尋ねる。

 蘭瑛は永憐ヨンリェンに言われた事を思い出すが、「ど、どうぞ…」と言って、秀綾を部屋の中に入れた。


 「突然尋ねてごめんなさい。あなたにどうしても伝えたいことがあって…」


 蘭瑛は秀綾を使っていた椅子に座らせ、六華鳳宗から持ってきた白茶を淹れた。秀綾は息を整え、話をする。


 「あなたの命が危ないの。梓林ズーリンがあなたを殺そうとしてる」


 眉間に皺を寄せた蘭瑛は「ズーリン?」と尋ねながら、白茶の入った茶杯を秀綾の前に置いた。


 「そう、あなたがこないだ手首を捻ってたあの人。あ、ありがとう」


 秀綾はそう言って、茶杯を手に取った。

 一口口に含んだ後、秀綾はひと息ついて、また話し始める。


 「梓林は、光華妃コウファヒと繋がっていて…」


 「ちょ、ちょっと待って。光華妃って誰?」


 蘭瑛は、手を前に出しながら秀綾の話を遮り、知らない宋長安の妃について尋ねた。

 秀綾は、何も聞いてないの?と言わんばかりに、相関図のようなものを紙に書き始める。


 「いい?この二人は服従関係にある。これまでも、たくさんの人を追放したり、消したりしている。今回の皇太子殿下の件も光華妃の謀反。皇太后の他にも妃は二人いて、朱源陽しゅうげんようから来た美朱妃ミンシュウヒと、青鸞州せいらんしゅうから来た雹華妃ヒョウカヒがいる。賢耀殿下の母君、元皇后の紫秞妃シユヒは三年前に亡くなっていて、今は光華妃とその息子の光明コウミン殿下が偉そうに立ち回ってる」


 「はぁ…」


 (色々と複雑そうだな…)



 秀綾の説明を聞いた後、蘭瑛の頭の中にふと永憐と賢耀の二人の姿が浮かんだ。立場を超えて、互いの名を『耀ヤオ』と『永憐ヨンリェン兄様』と呼び合うほど親しい仲なのは、ただ単に仲が良いからではなく、この宮殿に潜む蜘蛛の巣のように張り巡らされた無数の手から賢耀を守り、関係性を世間に知らしめる為なのだろう。時々、賢耀が幼さを見せるのも、母親の死が影響しているに違いないと蘭瑛は思った。


 そのあとも、秀綾から光華妃の狡猾で尊大な醜悪を聞かされ、蘭瑛は複雑な宋長安の人間関係を少しだけ知った気がした。


 蘭瑛は話を変え、毒薬について秀綾に聞く。


 「その毒って、梓林っていう人が作ってるの?それとも、誰かから受け取ったもの?」


 「恐らく、誰かがここにこっそり運んできている…。梓林は調薬できないの。経穴専門だから。でも、誰かは私も分からない…」


 「…経穴専門?」と、蘭瑛は何かに思い至ったかのように呟く。そして、突然椅子から身を乗り出し、秀綾に顔を近づけて尋ねた。


 「ねぇ!その女が毒薬を飲ませていた時、近くで見ていた?どこか押さえながら飲ませていたとか、何かをしながら飲ませていたとか知らない?」


 蘭瑛に圧倒されるように、秀綾は思わず顔を後ろに引いて、顔を引き攣らせながら答える。


 「え…っと、百会びゃくえをいつも抑えていた…」


 「百会…。やっぱり…」


 蘭瑛は元の位置に体を戻し、落ち着き払って白茶を啜った。

 完全に盲点だった。蘭瑛は霊力を同時に奪う特殊な毒薬だと勘違いしていた。でないと、霊力のある修仙者には効果がないと思っていたからだ。しかし、百の経絡が会する場所として存在している百会を、全面的に封じて毒薬を飲ませれば、どんなに法力の入っていないただの毒薬でも、霊力を自然と弱めることができる。

 通りで、解毒しても霊力の回復が悪いわけだ。

 気の巡りと霊力の巡りは、修仙界では密接な関係を持つ。

 蘭瑛は更に、秀綾に何の毒薬だったか尋ねてみた。


 「詳しくは分からないけど、いつも甘い香りがしてた。私が思うに、ちんの毒を薄めたものだと思う。それを、少しずつ百会を押さえて服用させれば、自然死に見せかけられる」


 「鴆!?」


 宋長安ではそんな奇毒が出回っているのか!

 流医の中でも扱える者は限られている為、蘭瑛は酷く驚いた。

 鴆というのは、猛毒を持つ鳥のことだ。羽毛一本を溶かした水を飲むだけで、どんな幼子でも人を殺せると言われている。

 修仙者たちは術の効力がある為、どんな毒薬でも少量であれば問題ないが、毎日服用するとなると毒殺は可能になる。

 かなり計画性のある毒殺未遂だ。


 蘭瑛はあの日、毒薬を瓶に入れた際に、甘い香りがしたことを思い出した。鴆である可能性は高い。

 秀綾は蘭瑛の顔を見て、もう少し話を付け足した。


 「鴆は最近、閉山で獲れるみたいだよ」


 「え?あの閉山で?!随分と詳しいんだね」


 「あぁ…」と言って、秀綾は少し笑みを見せた。

 笑うと八重歯が見え、何だかとても愛らしかった。


 「実は、亡き父が清雲セイウン先生の直系の弟子だったから、私は元々清命長宗せいめいちょうしゅうに所属していた市医だったの。それもあって、鴆のことをこっそり先生に聞いたりしていた。身分を公にしていないから皆んな知らないけど、私も一応、三宗名家の一人。あなたが六華鳳宗の人だと聞いて、とても嬉しかった。あなたなら、色々と通じるものがあるんじゃないかと思って…」


 蘭瑛は自分の薄茶の瞳をパッと輝かせ、「私と朋友になって」と、花を優しく掴むように秀綾の手を取った。

 秀綾も安堵の笑みを浮かべて、また小さな八重歯を見せる。

 それから二人は意気投合し、しばらく互いの宗家の話をしたり、それぞれの地元の話をした。


 帰り際、秀綾は扉の前に立ち、ゆっくり蘭瑛の方を向く。


 「蘭瑛、今日はありがとう。私がここに来たことと、私の身分は絶対に内緒ね。それと、くれぐれも夜道は一人で歩かないように」


 「分かってる〜任せて!むしろ、秀綾の方こそ気をつけて。私と居るところを見られたら、それこそ秀綾が危ない」


 秀綾は小さく微笑み「また話そ」と言って、扉の外へ出て行った。


 蘭瑛は静まり返った部屋の中で一人佇む。秀綾が飲んでいた茶杯を片付けながら、ほんの少し寂しさを覚えた。

 大人になって自分と共通する人と繋がれるのは稀だ。ましてや、この宋長安という場所で偶然出会うなんて、奇跡と呼ぶ他ない。

 蘭瑛は小窓を開け、いつものように庭を眺める。

 秀綾ともっと色んな話をしたいと思ったが、賢耀の件がこれで解決すれば、直ぐにここを出ることになるだろう。

 今日が最初で最後の対話だったかもしれない。

 そう思うと、蘭瑛はまた寂しい気持ちを澱ませた。


 眺めている空が段々と薄暗くなっていく。

 六華術を持つ六華鳳宗ろっかほうしゅう清命長宗せいめいちょうしゅうそれぞれの医術を重ねたら…どんな病も治せるかもしれないのになぁ…。赤潰疫だってもしかしたら…。

 そんな淡い妄想は、美しい夕日と共に夜の向こう側へと沈んでいった。


 ・

 ・

 ・


 それから、一週間が経過した。

 この一週間の間に、蘭瑛は賢耀の封印されていた経脈を解き、賢耀の霊力を回復させた。

 賢耀も無事に、賢达シェンダーを自由自在に操れるようになり、武力も術も完全に元に戻ったようだ。

 蘭瑛は永憐から、二日後に華山へ送り届けると言われ、いつでも出られるように部屋の荷物をまとめていた。


 (なんだかんだ、あっという間だったな〜。秀綾は元気かな。手紙だけでも渡せたらいいんだけど…)


蘭瑛は一縷の望みをかけて、筆を取った。

 今日は何だか少し暑い…。初夏の陽気が部屋まで差し込んでいる。

 手巾で額を拭いながら、秀綾と初めて会ったあの日のことを振り返り、『また会いたい』という気持ちを綴った。

 想い人に手紙を差し出すかのように、気恥ずかしく━︎━︎━︎。


 もうすぐ、浴堂が開くとりの刻だ。

 酉の刻から酉の刻が終わるまでの間は、湯の温度が熱い為、人があまりいない。蘭瑛は熱い湯が好きだった為、毎回酉の刻に合わせて浴堂へ行っていた。

 今日もそうする予定だったのだが、酉の刻が始まるまで寝台の上で横になっていたら、いつの間にかうたた寝してしまっていた。

 目覚めると、ちょうどいぬの刻を知らせる鐘が鳴る。

 蘭瑛は飛び起き、すぐに浴堂へ向かった。

 今日は珍しく数名の女子たちがいる。物珍しそうな視線を向けられていたが、蘭瑛は気にする様子を出さず、髪と身体を洗い、隅っこの方で温い湯に浸かった。


 女子たちの興奮したような会話が耳に入ってくる。

 しばらく耳を傾けていると、どうやら、女子たちはあの冷たく麗しい堅物国師の話をしているようだ。


 「今日の国師さま、一つに髪を結われていて本当にかっこよかったよね〜。動じないあの佇まい。凛とした横顔。もう、全てが完璧」


 「本当、眼福よね〜。永憐様が婚約なんてした日には、私死んじゃうかも〜」


 「死ぬだけならいいわよ。私なんて、相手を呪い殺しちゃうかもしれなぁ〜い、あははははは」


 (こ、怖っ…)


 蘭瑛は身を縮こませて、肩まで深く潜った。


 「永憐様って想い人とかいるのかな?やっぱり女には興味ないのかな?もしかして男色とか?」


 「え〜、それはないでしょ。でも、あんな美男子から攻められたら、男もさすがに反応しちゃうわよね。逆も然りだけど…」


 「あの、強靭な身体で上から甘く襲われたら…あはンッ」


 「何ぃ、その気持ち悪い声〜!さぁ、のぼせる前に出るわよ〜」


 肩をぺちんと叩く音が響いた。

 蘭瑛は、永憐の妖艶な蜜を垂らした姿を想像してみたが、声どころか酷い鳥肌しか立たなかった。


 久しぶりにゆっくり湯に浸かった蘭瑛は、夜の涼しい空気を心地よく感じながら、客室の殿に向かって歩き始めた。

 しばらく歩くと突然、前方から複数の人影が現れた。

 蘭瑛は身の危険を感じ、逃げる隙を伺う…。

 急いで踵を返し、逆方向にある藍殿に向かって走ったが、男の足には敵わず、すぐに追いつかれてしまった。

 いくら護身術を身につけているとはいえ、複数の男に囲まれたら、それは何の意味も為さない。

 蘭瑛は必死で抵抗したが、背後から白い布を口元に当てられ、段々と意識が朦朧とし始めた。自身の身体に、六華術の寛解の術を施すが、効果はほんの一瞬だけで、蘭瑛は気が抜けたかのように倒れ込んだ。


 視界が徐々に歪んでいく。


 (あぁ…、ダメだ…)


 おぼつかない瞬きをした刹那。

 脇にある大木の木陰から、秀綾の顔が見えた気がした…。


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