目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第八話 永冠


 「…し、知りません…」


 「そうか。ならば用はない」


 人影はまた剣光を放ち、男の喉を瞬く間に突き刺した。

 刃の先に注がれた剣気と鮮血が入り混じり、不気味な血腥さが漂う。

 人影の口元が僅かに動いた。


 「必ずや…この手で見つけ出し、遺恨を晴らす…」


 人影は、苛立ちを込めた表情で剣の柄を力強く握り締め、地鳴りを轟かせるように地面を穿った。



 ・

 ・

 ・



 翌日。

 蘭瑛ランイン賢耀シェンヤオがいる宮殿で、痙攣するかのように顔を引き攣らせていた。


 「ねぇ、お願い!一緒に永徳館よんとくかんへ来てよ。蘭瑛先生がいてくれたら、きっと永憐ヨンリェン兄様も許可してくれるから〜」


 どうしても永憐の稽古に参加したい賢耀は、蘭瑛同席なら、稽古に参加してもいいんじゃないかと、打診してきた。


 賢耀の身体はもうほぼ回復していた。

 しかし、異様な回復劇だったものの、まだ回復してから二日しか経っていない。

 蘭瑛は悩みながら梅林メイリンと顔を見合わせる。

 梅林は大きく息を吸いながら、頬に手を当てながら呟いた。


 「そうねぇ〜。とても元気そうだけれど…。永憐様が何ておっしゃるか…」


 「ん〜、ですよね…」


 蘭瑛は目尻を垂らし、困り顔で続ける。


 「それに…私のような部外者が永徳館へ行ったら、怒られませんか?」


 「それは問題ないと思うわよ。毎日、黄色い声が飛び交っているから」


 梅林はクスクスと笑っている。


 (黄色い声?虫か何かか?)


 女の熱烈な感情に疎い蘭瑛は、その声の主が何か分からず、首を傾げた。

 賢耀は吹き出すように高笑いし、「行ってみれば分かるよ」と言った。


 蘭瑛は賢耀に、半ば強引に連れて行かれ、仕方なくといった様子で永徳館へ向かうことになった。梅林は食材を取りに行くと言って、途中で別れた。

 宋長安の宮殿内はとてつもなく広大だ。少しでも迷ったら、客室どころか藍殿にすら戻れないだろう。蘭瑛はキョロキョロと辺りを見回しながら、進んだことのない道を、賢耀たちに続いて歩いていく。

 しばらく進むと、区切られた敷地内にある立派な木造の建物から、木刀のぶつかる音が何層にも連なって聞こえてきた。その奥では、物珍しそうな芸を見るかのように、宮殿内の女たちが、目を光らせて集まっている。

 蘭瑛はその光景に思わず目を瞠った。

 すると、突然。耳を劈くぐらいの拍手と歓声が沸き起こった。


 『キャア〜!永憐さまァ〜!』


 「……」


 (黄色い声というのはこれのことか…)


 蘭瑛は思わず、苦虫を噛み潰したような顔になる。

 永憐が袍や髪を揺らすたび、黄色の拍手喝采が起こり、中には興奮のあまり手拭で目元を抑える者もいるではないか!


 (立っているだけで女を泣かせてしまうなんて…。なんて罪深い男なんだ…)


 蘭瑛はやれやれといった様子で、賢耀の話に耳を傾ける。

 賢耀曰く、以前は立ち入りを制限していたが、何度対策を講じても、覗き見する女子たちが後を絶たない為、今は邪物の訓練も兼ねて解放しているらしい。


 「ね?凄いでしょ」


 賢耀は入り口の前で靴を脱ぎながら、蘭瑛に白い歯を見せた。

 すると、永憐が賢耀たちに気づいたようで、こちらに向かって歩いてくる。

 蘭瑛は賢耀の後ろで、永憐に向かって拱手をした。


 「耀ヤオ、もう大丈夫なのか?」


 「もう平気だよ!永憐兄様。今日は、蘭瑛先生も連れてきたからいいでしょ?」


 永憐は蘭瑛の顔をチラッと見た。

 そしてすぐに、賢耀に目線を戻し、続ける。


 「今日は剣の稽古だ。賢达シェンダーは握れるか?」


 「大丈夫だよ!ほら」


 賢耀は、自分の剣を横向きにして楽々と鞘から抜き出した。ふと蘭瑛の目に、剣の根本に何かが刻まれているのが見える。


 (『賢达シェンダー』というのは、皇太子殿下の剣の名前なのか〜)


 綺麗な篆書てんしょで彫られた文字を眺め、蘭瑛はまた目線を元に戻す。

 当然ながら剣に疎い蘭瑛は、今からどんな稽古が始まるかは全く見当もつかない。とりあえず「無理はしないように」とだけ、背後から賢耀に伝えた。


 ここにいる者が全員、襟元を正し始める。

 永憐と向かい合うように弟子たちが座り、挨拶を交わす。

 永徳館の中は厳格な空気が流れ始め、こうして厳しい稽古が始まった。


 蘭瑛は一番後ろの壁面の前で、賢耀の様子を観察することになった。永憐は、賢耀を気遣ってか身体を使った激しい稽古ではなく、術の霊力で剣を操れるかどうかの稽古を始めた。剣を浮かせたり、手の動きで剣を上に持ち上げたりと、皆がそれぞれ鍛錬している。しかし、賢耀の観察を続けていると、賢耀だけ剣を手元に引き寄せることができず、剣を何度も床に落としてしまっていた。賢耀の霊力が極端に弱っていることに気づいた蘭瑛は、目の前の様子を紙に綴った。


 永憐は賢耀に向かって声を張り上げる。


 「耀!賢达をこちらに飛ばしてみろ!」


 「うん!行くよ!永憐兄様」


 賢耀は剣を浮かせ、利き手を伸ばして「飛べ!」と言うが、飛ばす力も弱く、永憐の手元に届く前に落ちてしまった。


 「…霊力が弱っている。まずは、霊力を回復させてからだ。今日は瞑想し、全身の経脈を整えろ」


 永憐はそう言って、落ちた賢达を拾い、賢耀に渡した。

 賢耀は、自分の霊力が低下していることに酷く落胆し、最初の意気込みは全く消え失せてしまった。

 肩を落とした賢耀は賢达を持って、蘭瑛の横に腰を下ろす。


 「ねぇ蘭瑛先生…。霊力はどうしたら戻る?」


 「…ん〜、そうですね…。まずは、永憐様の仰るように経脈を整えましょう。手首を一度、お借りしてもいいですか?」


 「うん、いいよ」と言って賢耀は、袖を捲って蘭瑛に右手を差し出した。

 蘭瑛は、賢耀の右手首に自分の人差し指と中指を当て、経脈に触れようとするが、やはり経脈の流れを感じられない。


 「どう?」


 賢耀の言葉に、蘭瑛は首を横に振った。


 「そっか。じゃ、瞑想を頑張るしかないね」


 賢耀は袖を元に戻し、遠いものでも見るかのように、永憐の姿を眺め始めた。

 目の前で繰り広げられている激しい稽古を見ながら、賢耀は続ける。


 「瞑想も大事なんだけどさ〜、今は永憐兄様の動きを観察していたいんだよね〜。ほら見てよ。あの俊敏さと鮮明さ。どうやったらあんな風になれるのかなぁ〜」


 賢耀の言葉に促された蘭瑛は、目線を永憐の方に向ける。

 先の先まで動きが読めているのか、永憐は俊敏に降りかかってくる弟子たちの剣先を、何度も飛ぶように躱し、「遅い」「まだまだだ」「ぶれている」「弱い」と、冷たい一言を次々と放つ。

 誰一人と、剣先を永憐に掠めることすらできないでいると、永憐は穏やに弟子たちを見守っていた宇辰ウーチェンを、前に呼び出した。


 「しっかり見ていろ」と弟子たちに言い残し、永憐は宇辰の前で、持っていた自分の剣を鞘から引き抜いた。


 「お!永冠ヨングァンだ!」


 隣にいる賢耀が、目を光らせて言い放った。


 「ヨングァン?」と蘭瑛が言い返したあと、目線は永憐に釘付けのまま、賢耀は口だけを動かす。


 「うん。あの永冠ヨングァンっていう剣はね、かつて剣豪と呼ばれていた冠月グァンユエという人が使っていた剣で、あの最凶の玄天遊鬼げんてんゆうきを滅多刺しにして、封印したと言われているんだよ。特殊な剣で、剣が認めた者しか鞘から抜けないんだって。ようは鍵付きの剣ってやつさ」


 「へぇ〜…」


 「あれで斬られたら、普通の人間なら即死だよ」


 その一言に、何故か蘭瑛は両親のことを思い出した。両親を斬った剣も、永憐の持っている永冠のように鋭く光っていた。

 瞼を閉じれば、今も鮮明に思い出せるあの光景━︎━︎━︎━︎。


 (両親を斬った人は、今も宋長安のどこかにいるのだろうか…)


 ふと、蘭瑛は永憐を見る。

 一枚の花弁が儚げにふわりと舞うように、永憐は袍をはためかせ、宇辰の一撃を躱した。その姿は四大美人の一人と言われた西施さいしのように、とても美しかった。




 永憐の稽古が事なく終わり、蘭瑛は永徳館から自分の部屋に戻ってきた。賢耀の弱くなった霊力を補えるように、何か手立てが無いか、蘭瑛は出発前に借りた遠志の小さな本を捲り始めた。


 (何の薬を飲まされていたんだろう…。毒の種類まで判明できたら良かったんだけどなぁ〜。それにしても、霊力と体力を同時に失くさせる毒なんて、よほど医術に精通する者じゃないと作れないと思うんだけど…。三家以外にも、特殊な医術を持った者がいるんだろうか?もしかして、玄天遊鬼がどこかで作ってるとか?)


 「んなわけないか…」


 思わず独り言が漏れる。

 それもそのはず。玄天遊鬼は、六華鳳宗を追放された際、開祖・六華鳳凰から全ての六華術を剥奪されたと聞いている。医術を使えるはずがないのだ。

 蘭瑛は紙を捲るように次々と思考を巡らせていると、ある頁に書き記された言葉が、目に留まった。


 『物事は常に大きく捉えよ。目の前にある小さなものが全てではない。迷いが生じたのならば、根本を見直すべし』


 「根本が分かれば苦労しないって…」


 蘭瑛は、大きく溜め息を吐きながら、本を閉じた。

 すると、部屋の出入口の扉からコンコンと音が鳴った気がした。何か物が当たったのか自分の聞き間違えか、蘭瑛はしばらく扉の方を見る。しばらくすると、またコンコンと次は少し大きな音が鳴った。蘭瑛は扉の前に移動し、閂をゆっくり引き抜く。そして、恐る恐る扉を開けると蘭瑛は思わず目を見開いた。


 そこには、以前賢耀の宮殿前で梓林ズーリンの横にいた女が、焦ったように息を切らした様子で立っていた。


 その女の名は、秀綾シュウリンと言った。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?