「ご機嫌いかがですか?」
「見ての通りだよ!
一晩、付きっきりで賢耀の側にいた護衛の
周りの驚愕な様子に見向きもせず、賢耀は続ける。
「いやぁ〜ほんと、僕はいつも
(永憐兄様?そんなに慕っているのか…)
蘭瑛はふ〜ん、と思いながら黙って耳を傾ける。
「永憐兄様が蘭瑛先生を連れてきてくれなかったら、俺は間違いなく死んでたよ」
蘭瑛は作り笑みを見せた。
本当にその通りだ。あと三日遅かったら、賢耀は間違いなく、ここにはいないだろう。先ほど中に入ろうとしてた医局長の女は、賢耀の様子をひどく知りたがっていた。毒殺に深く関わっていることは間違いない。
しかし、皇太子殿下という天下人を殺めるなど、代償があまりにも大き過ぎる。余程憎く、殺意があるのか…。若しくは、誰かへの当てつけか?剣で一突きすれば早いが、毒殺にすれば自然死に見せかけられる。不特定多数の人間を使って、毒薬を紛れ込ませれば、犯人は特定されにくい。計画性は十分にある。
蘭瑛は頭の中で、ぐるぐると考えを巡らせた。
それにしても、やはり術を持つ者は回復が早い。処方したのは、術者専用の強い解毒剤だったということもあるが、蘭瑛は賢耀の異様な回復力を見て、胸を撫で下ろした。
「ねぇ、蘭瑛先生!いつから、外に出ていい?」
賢耀は早く外に出たくて、堪らないらしい。
どうやら、永憐が師範となって毎日行っている稽古に、一刻も早く出たいようだ。蘭瑛は「三日後の体調を見てから」という判断を下すと、賢耀は「え〜、そんなに?」と子どものように駄々をこねた。
こういう人懐っこい所といい、少年のような無邪気さが否めない賢耀を、永憐も可愛がっているのだろう。だから、宋長安にいる数多の流医ではなく、わざわざ治る確率の高い、医家の
それから、蘭瑛と梅林は賢耀の『永憐愛』を、しばらく聞かされることとなり、蘭瑛の目が段々と萎んでいったのは言うまでもない。
・
・
・
一方。
永憐の後ろには
「
宋武帝が茶杯の中で浮かぶ茶柱を眺めながら、永憐に話す。
永憐は相変わらず冷静沈着な様子だ。
「はい。何とか一命を取り留めました」
「まさか、毒に侵されていたとはな。さすが、六華鳳宗だ。礼をせねば」
永憐は静かに頷く。
「ん?浮かない顔だな、永憐」
「…いえ、そんなことは」
茶の表面に映る自分の顔を見つめた後、永憐は静かに茶を啜った。
話題は、賢耀に飲ませていた毒の話になる。
「どこから入り込んだものなんだ?」
「それを聞き出そうと捕らえたのですが…、あと一歩及ばず」
あれから
それを聞いた宋武帝は、大きな溜め息を漏らす。
「そうか。もろとも地獄に持って行ったか。まぁ、死んでしまったものは仕方がない。事は小さい内にだ。引き続き水面下で調べ、必ず見つけろ」
「はい」
永憐の返事の後に、宇辰も静かに頭を下げた。
すると、そこに大きく床石を鳴らしながら、頭に鳥の派手な装飾品を付けた
宋武帝は呆れた様子で、光華妃に向かって言葉を投げる。
「まだ話し中だぞ」
「いいじゃない、別に。そこにいるのは、客人でも何でもないんだから」
光華妃は自分に拱手している永憐を一瞥する。宇辰には目もくれない様子だ。
光華妃は永憐の向かいに座り、傲慢な態度で脚を組む。
勢いよく扇子を開いて、鬱憤を晴らすかのように仰ぎ始めた。こちらはこちらで、永憐とは違う威圧感を漂わせている。
「紫の息子は相変わらず贔屓にされて、先日の四国会には私の息子・
永憐が何かを言おうとしたが、先に宋武帝が口火を切った。
「賢耀を贔屓にしているだと?何か一つでも術を身につけ、鍛錬する努力をするのなら、光明を連れて行くと言ったはずだ。それをしない奴をどうして連れてかねばならない?」
宋武帝は怪訝な顔をして続ける。
「あいつは永憐の稽古に、一度でも参加したことがあるか?術を持てぬのなら、なぜ剣を握ろうとしない?ここに剣豪の師範がいるというのに、なぜ教え一つ乞うてこないのか?怠けている者を、なぜ統治事に参加させる必要がある?」
「……」
光華妃は何も言い返せず、口篭っている。
それもそのはず。光華妃の息子・
光華妃は扇子を勢いよく閉じて鼻を鳴らす。
「もういい。話を変えるわ」
永憐の方に顔を向けて、光華妃は続ける。
「私の専属の流医を、私の許可なく閉じ込めていたそうね?あなたが殺したの?それにあなた、華山の医家を連れてきたそうじゃない。しかも、過去に因縁のあるあの六華鳳宗だなんて、何を考えているのよ?」
「随分とお詳しいのですね」
永憐は氷瀑の先のような刺々しい目をして、光華妃を見やる。宋武帝と宇辰しか知らないはずの事柄を、光華妃が知っているという事は、他に通じている者がいるということだ。
永憐はそのまま続ける。
「そちらの流医が毒薬を持っていた為、捕らえた次第です。今朝、宇辰と一緒にこの流医の元へ行くと、自害されていました。六華鳳宗の医家については…」
永憐がそう言いかけると、宋武帝が被せるように言葉を繋いだ。
「私が永憐に頼んだのだ。何か異論はあるか?」
「……」
光華妃はまたもや、何も言えなくなった。
宋武帝に異論をぶつけるなどという不躾なことは、いくら皇后であってもできやしない。光華妃は諦めたかのように立ち上がり、不機嫌なまま紫王殿を出ていった。
宋武帝は眉間を揉みながら、溜め息を吐く。
「すまないな、毎度…」
「いえ。お気になさらず」
「最近、頭を抱えることばかりが続いておるのか…」
永憐は宋武帝に向かって首を傾げる。
宋武帝は頭を揉みながら「頭痛が酷いんだ」と言った。
「診てもらいますか?蘭瑛に」
「ランイン?」
「あ…。六華鳳宗の者に…」
宋武帝は思わずハハッと笑った。
「お前が女子の名を呼ぶとはなぁ〜」
「……」
永憐はすぐに「別に私は何も…」と挽回するが、宋武帝は「よいよい」と言って口角を上げた。
「では、その者から薬を貰いたい。すぐ呼んでもらえるか?」
永憐は宋武帝の申し出に、近くにいた宇辰へすぐ蘭瑛を連れて来るように申し付ける。「承知しました」と言って、宇辰はすぐに走っていった。
宋武帝は椅子の肘掛けに腕を乗せて、項垂れた頭を支えながら、また永憐に尋ねた。
「六華鳳宗の者は年若いのだろう?お前は、その者を信用できるのか?」
「まぁ、ここにいる流医よりは」
永憐のぶっきらぼうな反応に、宋武帝はまた吹き出して笑ってしまった。
「はははっ。思慮深いお前が言うのなら、間違いなさそうだ」
しばらく二人で話していると、葯箱を抱えた蘭瑛がやってきた。「堅苦しい挨拶はいらんいらん」と宋武帝は柔らかい笑みを浮かべながら手を振る。
蘭瑛はすぐに薬を処方し、宋武帝の額に寛解の術を施す。
「ほ〜う。噂通り、すぐに効くのだな」
蘭瑛は最大限の作り笑みを見せて、頭痛の効くという生薬を混ぜた薬を差し出した。
「今日はゆっくりお休みくださいませ。三日分の薬をお渡ししますので、毎食後に必ずお飲みください」
それを受け取った宋武帝は、自分しか開けられない箱に薬をしまい、鍵をかけた。この宮殿内に信用できる者は限られていると言わんばかりの、用心深い行動だ。
それから宋武帝と二言三言交わした後、蘭瑛は永憐たちと一緒に紫王殿を後にした。
「永憐様、お一人でも大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。この者を送ってから戻る」
宇辰は「分かりました」と言って、永憐と蘭瑛に拱手をし、先に藍殿の門を潜っていった。
蘭瑛と永憐の間に、気まずい空気が流れる。
何かを話すべきか、蘭瑛は考えるが全く思いつかない。
正面を向いたままの永憐からは、当然話す素振りはない。
こうして頭を悩ませている内に、あっという間に客室の殿に到着してしまった。「ここでいいですよ」と言っても、永憐は無言のまま蘭瑛を部屋の入り口の前まで、しっかり送ろうとしているようだ。
部屋の扉を開け、蘭瑛は中に入る。
部屋の中に誰もいないことを確認して、永憐に礼を伝えた。
「送っていただき、ありがとうございました」
すると永憐は、周りに誰もいないと確認して、蘭瑛の客室に入り、扉を閉めた。
「…永憐様?」
蘭瑛は目を丸くして首を傾げる。
すると、永憐は蘭瑛の耳元で囁くように、小さな声で話し始めた。
「今日、あの流医が死んだ。お前が来ていることも、賢耀が回復してきたことも、恐らく黒幕たちの耳に入っているだろう。賢耀の件は間違いなく毒殺未遂だ。私は水面下で調べる。お前に何か尋ねて来る者がいるかもしれないが、何も話すな。私と宇辰、梅林以外は決して信用してはならない。いいな」
蘭瑛は大きく頷き、今日梅林と賢耀の所へ行った時の出来事を永憐に話した。
「そうか。私の不在の時はくれぐれも気をつけてくれ」
「はい…」
永憐は白檀の香りを残して、風の如く去っていった。
(気をつけてくれと言われても、どうすればいいんだよ…)
蘭瑛は、厄介ごとに巻き込まれてしまったと嘆きながら、寝台に横たわった。
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・
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夜半の風が吹く頃。
宋長安と新安を結ぶ山の麓で、大量の屍の山が発見された。
どの遺体も顔を赤く染め、顔中に切り刻まれた痕がある。
「これは、赤潰疫だろうか」
「違うだろう。妖魔か何かの仕業だろう」
屍の遺体を発見した、宋長安の見張り役の男たちが話す。
「至急、
一人の男がそう話したその時、草むらから勢いよく一筋の剣光が飛び出した。その瞬間、男は勢いよく血飛沫をあげ、その場に倒れた。もう一人の男はすぐにでも駆け寄ろうとするが、目の前に現れたあまりに狂気じみた人影に気づき、怖気付いてしまう。
人影は男に近づき、低く掠れた声でこう言った。
「