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第五話 毒薬


 馬に揺れること一炷香いっちゅうこう

 新安しんあんをあっという間に通り抜け、威風堂々とした宋長安そんちょうあんの町に辿り着いた。


 華山かざんの麓より、初夏の陽気を感じる。

 軒先一つ一つに竹簾がかかり、連なる日陰の下を通るように、人々が行き交っている。この果てしない町並みは一体、どこまで続いているのだろう。蘭瑛は不覚にも好奇心をくすぐられた。

 宋長安の二人は馬の手綱を緩め、宮廷へと繋がる緩やかな坂道を、ゆっくりと進んでいく。

 蘭瑛ランインは、見慣れない景色に目を奪われつつも、複雑な感情が胸を掻きむしっていた。


 父親を打首の刑にした先帝の宋長帝そんちょうていは、もうこの世には存在しない。しかし、旱魃した場所に水を張るのが難しいように、どれだけ月日が経とうと見聞は残り、残された者たちの心は未だ枯れ果てたままだ。過去に起きた『華山の乱』が、どのように宋長安の人々に伝わっているか分からないが、恐らく六華鳳宗に良い印象を持つ者は少ないだろう。


 蘭瑛の目は、段々と虚ろになっていく。

 すると、今まで口を開かなかった後ろの美人が、突然言葉を発した。


 「宋長安は初めてか?」


 「あ、はい…。今まで来る機会がなかったので」


 過去の尾を引いているせいもあるが、宋長安は新安よりも流医が溢れており、当然ながら今まで一度も、宋長安から依頼が来たことはない。六華鳳宗は、色んな意味で管轄外だ。

 ふと、蘭瑛は疑問に思った。

 宋長安には宮廷専属の御用医家はいないのだろうか?と。

 普通、宮廷に一人は御医と呼ばれる医家がいるはずなのだが…。


 蘭瑛は後ろの美人に、恐る恐る尋ねてみる。


 「あ、あの…。宋長安には御用医家はいらっしゃらないのですか?」


 永憐は、少し間を置いて答える。


 「いない訳ではないが、色々と信用できない」


 (信用できない…)


 蘭瑛は心の中で呟いた。

 なるほど。宮廷の中に、毒を盛れと言われたら毒を盛るような、不届き者の流医がいるという訳か。

 あまり余計なことを尋ねない方がいいと思い、蘭瑛は目線を馬の頭に向ける。すると、その斜め後ろで手綱を引く、指先の長い永憐の右手が目に入った。

 新安で手当てしたことを思い出し、蘭瑛は後ろまで聞こえるように首を横にして、ぎこちなく美人の名を呼んだ。


 「あ、あの…。ワ…、ワン国師様…」


 「永憐ヨンリェンでいい」


 蘭瑛は少し戸惑うが、すぐに言い換えて続ける。


 「…永憐様。手は大丈夫でしたか?」


 「……」


 聞こえなかったのだろうか。

 蘭瑛がもう一度首を横に向けると、「大丈夫だ」と少し濁したような、素っ気ない返事が返ってきた。

 蘭瑛はその返事が気になり、もう一度問う。


 「本当に、何もなかったですか?」


 「ない」


 「……」


 またしばらく沈黙が続く。

 やはり、この男の側では生きた心地がしない。

 この淡白な様子といい、何とも言えない威圧感といい、誰も近寄らせまいと言わんばかりに、寒風の結界を張られているみたいだ。恋愛に疎い蘭瑛は、女子たちがこの男と結婚したいと思う理由が、ますます分からなくなった。


 そうこうしているうちに、三人は豪華な殿門の前に辿り着いた。どうやらここからは、馬を降りて歩いていくようだ。

 蘭瑛は、差し出された永憐の手を持って馬から降りる。

 久しぶりに馬に跨ったせいか、臀部が酷く痛んだ。

 蘭瑛は軽く臀部をさすりながら、永憐の後ろに続く。


 宋長安の宮廷の中は、一つ一つ宮殿の敷地が区切られている。気性の激しい妃同士の揉め事が起きないよう、配慮されているらしい。それぞれの門の前には、妃の好む色なのだろうか。それぞれの色がついた魔除けの灯籠が置かれている。

 蘭瑛は永憐に連れていかれるまま、気の遠くなるような石畳の階段を登り始めた。

 木々の隙間から見える景色が、華山の中腹から見える景色に似ていることに気づく。


 (はぁ…叔父上。何で私をこんな所に送ったのよ)


 蘭瑛は落胆しながら慣れない階段を登り切る。

 すると、壮大な景色が広がる高台に、これまた豪勢な宮殿が聳え立っているのが見えた。


 「あそこだ」


 「…は、はい」


 永憐と宇辰ウーチェンは何一つ息を切らすことなく、淡々としている。

 蘭瑛はというと、今にでも倒れ込みそうなほど、息も絶え絶えだ。


 蘭瑛は「ふー」と呼吸を整え、敷地内にいる数名の護衛たちに頭を下げながら、開かれた扉の奥へと進んでいく。

 その途中で、眉間を寄せるほどの強い香油の香りが、部屋中を漂っていることに気づいた。そのまた奥の部屋の扉が開くと、そこには皇太子殿下・賢耀シェンヤオが、寝台の上で横たわっている姿があった。


 蘭瑛は恐る恐る近づき、賢耀の前で拱手をする。


 「永憐様と一緒に参りました、六華鳳宗の市医・蘭瑛と申します」


 虚ろな目した少年は小さく頷いた。

 意識はちゃんとあるようだ。蘭瑛は続ける。


 「少し、空気を入れ替えたいと思います。窓を開けてもよろしいですか?あと、その枕元にあるお香も、今は消しましょう」


 「そ、それは…」


 何か意図でもあるかのように、後ろから蘭瑛の言葉に答える者がいた。宋長安の医局で働いているという、中年の晩栄ワンロンという男だ。

 何かを隠しているかのように、目を泳がせている。


 「何か問題でもあるのですか?」


 蘭瑛は疑いを胸の中に隠し、笑顔で尋ねた。

 すると「あまり勝手なことをされない方が…」と言って、晩栄は俯く。永憐は、晩栄を凍てつくような目で一瞥しながら「構わん」と言った。


 蘭瑛は窓を開け、今にでも気を失いそうな賢耀に近づく。

 詳しい経緯を宇辰から聞きながら、蘭瑛は賢耀の経脈を測ったり、手足の動きなどを診た。

 蘭瑛は、賢耀の額に二本の指を当て、寛解の術を施す。

 すると、賢耀の虚ろだった目がしっかり開くようになった。


 (これは…)


 蘭瑛は晩栄に尋ねる。


 「皇太子殿下が服用している薬を渡していただけませんか?」


 「えっ…。あ、いや…その、はい…」


 晩栄は手を震わせながら、恐る恐る白い薄紙に折り畳まれた粉薬を蘭瑛に渡した。それを受け取った蘭瑛は、持ってきた六華葯箱から液体の入った透明な瓶を取り出し、瓶の中にその粉薬を混ぜ入れた。


 「これは何だ?」


 永憐が蘭瑛に近づき、尋ねた。

 蘭瑛は永憐の前にサッと、瓶を差し出す。


 「毒か確認してます。鮮やかな青色に変色すれば毒薬。色が変わらなければ良薬です。流医の中には毒を売る不届き者もいるので、六華鳳宗では必ず確認しています」


 説明をしているうちに、瓶の液体は鮮やかな青色に変色した。


 (やっぱりなぁ。この虚ろな目と神経系麻痺は、毒薬によるもので間違いない…。だいぶ前から継続的に飲まされていたんだろうな)


 蘭瑛は永憐に、今回の賢耀の病は毒薬による中毒症であることを詳しく話す。新しく薬を調薬し、薬膳料理の指導もして良いか尋ねた。


 賢耀は落ち着いたように眠っている。

 永憐はその横で、賢耀の寝顔を見ながら「全て任せる」と言った。

 すると、晩栄が慌てた様子で声を荒げる。


 「わ、私は何もしていませんよ…。ただ渡された薬を、ここに運んだだけで…」


 「毒だと分かっていて、ここに運んでいたのでは?」


 蘭瑛は、片方の眉を跳ね上げて尋ねる。

 晩栄の額からは冷や汗が溢れていた。

 しかし、部外者はこれ以上口出しはできない。市医として、できることはここまでだ。


 (あとは、このお偉いさんがどうにかするだろう…)


 蘭瑛は永憐の顔を見た後、毒薬と判断した瓶を葯箱に仕舞い、利尿作用の強い解毒剤を取り出した。


 「皇太子殿下が起きられたら、こちらの解毒剤を飲んでいただきたいのですが、どうすればよろしいですか?」


 蘭瑛はそう言いながら、粉薬をちらつかせる。

 永憐は、胸元から紐を取り出しながら答えた。


 「梅林メイリンに渡してくれ」


 「メイリン…?」


 「宇辰。後は頼んだ」


 「はい、永憐様。それでは蘭瑛様、私たちも参りましょう」


 手首を縛った晩栄を連れて、永憐は先に部屋を出ていく。窓枠から二人の姿を見届けた後、蘭瑛たちも賢耀を護衛たちに任せ、賢耀の部屋を後にした。

 来た道を戻るかのように階段を降りていると、恐怖心が急に襲い、蘭瑛はふと立ち止まった。


 「あ、あの…宇辰様。あの医局の方はどうなるのですか?」


 振り向いた宇辰は、安心させるかのように、物腰の柔らかい笑みを見せて微笑んだ。


 「蘭瑛様が、ご心配なさることは一つもございません。あなた様が咎められることなど、天地がひっくり返ってもあり得ませんから、ご安心を。永憐様も直に戻られると思いますので、急ぎましょう」


 蘭瑛は頷きながら、宇辰の柔らかい笑みと言葉に胸を撫で下ろした。

 それから二人は二言三言話した後、梅林がいるという藍殿らんでんへ歩みを進めた。


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