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第三話 四国会

 開花という一幕を終えた桜は、緑へと色彩を移し、木々の隙間から溢れる木漏れ日が、黄華殿おうかでんの床を照らす。


 新安しんあんで赤潰疫が発生したことを受け、世を統治している四つの国 (宋長安そんちょうあん朱源陽しゅうげんよう橙仙南とうせんなん青鸞州せいらんしゅう) が集まる『四国会よんごくかい』が、この橙仙南の宮廷・黄華殿おうかでんで執り行われようとしていた。


 豪華な黄華殿の中にある小さな人工池の中で、黄色の花々が咲き乱れている。一段と上品な香りが、辺り一面を漂い、来る者の鼻腔をくすぐった。


 「永憐ヨンリェン兄様、いい香りだね」


 口を開いたのは、永憐の横で足を崩して座っている、宋長安の皇太子・賢耀シェンヤオだ。その横には、永憐の側近・宇辰ウーチェンも端座し、宇辰は穏やかな笑みを賢耀に見せていた。永憐はというと「うん」と小さく頷くだけで、相変わらずの仏頂面だ。

 宋長安の皇帝・宋武帝そんぶていは、もう一段上の年長者が並ぶ上座で、橙仙南の皇帝・橙武帝とうぶていと、青鸞州の皇帝・鸞氷帝らんひょうていと和やかに談話している。


 かかった雲が日差しを遮り、黄華殿の中が少し暗くなった。

 そこに、明度を見計らったかのように、この上品な香りを一瞬にして自国の香油の香りに変える強者が、やってきた。

 嗅覚を疑うその如何わしい香りは、妓楼の売女が客寄せに使うような、甘ったるさを秘めており、嗅ぐ者の鼻を麻痺させる。

 先ほどまでの、穏やかな香りは一変し、こっそり鼻を覆う者もいれば、気分を害して外に出る者もいたり、はたまた永憐のように、微動だにしない者もいたりと、周囲は異様な空気に包まれた。


 そんな周りを気にする素振りも見せず、朱源陽の皇帝・朱陽帝しゅうびていは、意気揚々と床を鳴らして、上座に座った。

 その後ろでは、護衛の端栄タンロンがそれぞれの国の年長者たちに拱手をしている。


 「さて、とっとと始めようではないか」


 四国会の中では最年長の為、傲慢な態度はいつものことだが、今日は遊女のような愛人も連れてきたようだ。

 老人が年若い女を見て興奮しているように、朱陽帝は愛人の頭をいやらしく撫でている。


 何を見せつけられているのだろうか。

 下にいる者たちからは、溜息が漏れる。

 朱色の衣を纏った変態な老人を一瞥しながら、賢耀は小さく口を開く。


 「今日も一段と気持ち悪いな。あの狸爺い」


 「賢耀殿下。言葉が過ぎますよ」


 賢耀の一言に、隣にいた宇辰が優しく咎める。

 普段あまり口を効かない青鸞州の皇弟・龍凰ロンファンも「見てられない」と、珍しく便乗する。


 「龍凰兄さんもそう思う?まったく、あの狸爺いは四国会を舐めて…」


 「耀ヤオ。やめなさい」


 低く透き通った声が賢耀の言葉を遮った。

 声の主はというと、仏頂面のまま目を閉じて、邪念を取り払うように、心を鎮めている。

 賢耀は口を一文字に結んで、正しく座り直す。


 すると、ざわついていた場を締めるかのように「ゴホン」と、太々しい咳払いが、上座から聞こえてくる。

 宋武帝は、辺りが静まり返ったのを見て、先日新安で起きた赤潰疫について話し始めた。


 「赤潰疫が出たということは、閉山にある玄天遊鬼ゲンテンユウキの封印が解かれたということ。何かそれに関して知っている者はおらぬか?」


 この質問に関して、答える者はいないようだ。

 宋武帝は辺りをゆっくり見回して、続ける。


 「玄天遊鬼は疫鬼であり、最も恐れた厄鬼だ。今後も各地域で赤潰疫を撒き散らす可能性が高い。それに、ここ数日傀儡の数も異常な勢いで増加している。一刻も早く、この者を見つけ出し、滅殺しなければならない!今までの我々のやり方では、恐らくこの厄鬼を倒すことはできないだろう。今後は、四国が一丸となって、管轄地域の隔たりを無くし、情報の共有や助太刀の協力を得たいと宋長安は考える」


 「私も宋長安に賛同するよ」


 顎髭を撫でながら、橙武帝とうぶていが言う。

 それに続いて鸞氷帝らんひょうていも「私たちも賛同いたします」と話した。


 「いやぁ〜、話は分かるんだがね、役に立たない者の助太刀は要らんのだよ。例えば、そこの青の衣を纏った者たちとかね」


 朱陽帝は、嗅覚だけでなく、人の気持ちを不快にさせるのも得意なようだ。

 賢耀の近くに座っていた龍凰は、眉を引き攣らせ、鼻をフンと鳴らす。

 そんな弟の顔を見ていた鸞氷帝が、微笑みながら口を開いた。


 「朱陽帝のお役に立てていないようで、申し訳ありません。勢力を上げて努力いたしますので、ここは穏便に」


 「勢力ねぇ〜。もう一人、そこにいる剣豪でも居ればいいんだが」


 狸爺いは、凭れる女の髪をくるくると人差し指で絡めながら、永憐を見る。

 朱陽帝にやらしい目を向けられた永憐は、すくっと立ち上がり、年長者が並ぶ上座に向かって、拱手しながら言葉を放った。


 「場所によっては、剣だけでは敵わず、仙術が必要になることもあります。青鸞州の術も大いに役立ち、決して他の国に怠るなどということはありません」


 頬に擦り傷が入るような冷風が、朱陽帝の頬を掠ったのだろう。朱陽帝は苦笑いを浮かべ「はは、それはそれは失敬」と、それ以上青鸞州について話さなくなった。


 それから、話題は玄天遊鬼の話で持ち切りとなり、変幻自在な疫鬼をどう見つけるか、仙術の何が有効なのか、赤潰疫が起きた際、朝廷はどのようにすべきかなど、一炷香ほど議論を交わした。四国は全ての協議に合意し、桃園の義を結んだ。


 議論を終えた後は、さも当然ように狸爺いは下品な遊女を連れて、各国の年長者とは会話を交わすことなく、一目散に帰っていった。護衛の端栄は、尻拭いをするかのように各国の年長者たちに頭を下げ回っている。


 「あの男は可哀想な奴ね。あんな皇帝の尻拭いなんて。ねぇ、元気にしてた?王国師ワンこくし


 煌びやかな袍を靡かせた橙仙南の美しい美女が、手を振りながら、永憐の元に歩いてきた。

 誰が見ても目を奪われてしまう程の美人で、近くにいた者たちの視線を釘付けにする。少年の賢耀はあまりの美しい容貌に、目だけじゃなく心まで奪われてしまったようだ。宇辰は相手が誰か分かっているようで、柔らかい笑みを浮かべて拱手をしている。


 「何だ。新手の変化ヘンゲ術か?」


 永憐はその者を冷たくあしらった。

 近くにいた者たちの目線は、一気に冷静沈着な永憐に向く。


 「天藍テンラン、あんたって奴は。もうちょっと、何か言うことないの?美しいとか、可愛いとか。美人ちゃんとか。ったく。そんなんだから、いつまでたっても冷酷無情だって言われんのよ〜。ねぇ。今回はどう?いい感じじゃない?ねぇ。ちょっと見てる?」


 「うん」と素っ気なく返す永憐の代わりに、宇辰が言葉を繋いだ。


 「深豊シェンフォン将軍。此度の変化術、大変感服いたしました。素晴らしいです。以前よりも増して、美しくなっていらっしゃいますよ」


 ひらひらと袍を揺らしていた深豊は、ピタッと止まり、宇辰の肩に手を回す。


 「んっもぉ〜、アンタ!よく分かってる!さすがの宇辰。もう、あんな男根も死にかけてるような男の側近なんか辞めて、私の側近にならない?」


 永憐の目尻がピクッと動く。

 宇辰の優しい笑みも若干引き攣る。


 「あら?もしかして…。やだ、もう死んでる?」


 誰もが気まずそうに口を噤んでいるが、永憐の男根については、誰もが気になるようだ。それもそうだ。こんな、美しい男が種無しだなんて誰が疑うだろうか。しばらく沈黙が流れ、永憐は氷を割るように、冷たく言い放った。


 「死んではいない」


 誰もが安堵した表情になった。


 「あははははっ!そりゃ良かった!宋長安はまだ滅びることはなさそうだな!おいおい、ちょっと待てよ〜」


 深豊は、女から元の深豊将軍に戻り、歩き出した永憐の肩に腕を回した。若干、不届き者な一面のある深豊だが、氷瀑のような永憐が、また昔みたいに塞ぎ込んでしまうのではないかと、これでも友人ながらに気にかけているのだ。


 「送るよ、外門まで」


 「うん」


 二人が並んで歩く姿は、なかなかの見ものである。

 過去には、剣門山けんもんざんの美男子『青藍チンラン』と呼ばれ、人気を博していた。

 深豊は、壁越しにこちらを覗いている女子たちに気付き、「やぁ」と言って手を振る。

 すると『キャー!』と黄色い声援が、門の境内に響き渡った。


 「相変わらずだな」


 「お前がいるからだよ」


 深豊は永憐の胸元を軽く叩く。

 永憐は黄色い声援には答えず、一行はそのまま門を潜った。


 「んじゃ、またな。天藍」


 「うん、また」


 深豊に見送られた永憐たちは、縮地印しゅくちいんを結び、宋武帝とは別でそれぞれの馬に乗って、橙仙南を後にした。


 無事、一行は宋長安に辿り着き、それぞれが持ち場に帰っていく。永憐と宇辰は賢耀を宮殿まで送るため、解放された大きな通りを三人で歩いた。

 しばらくすると賢耀が、深豊について永憐に尋ねる。


 「永憐兄様、深豊将軍とはどんな関係なの?」


 「青狐チンフーとは、剣門山からの竹馬ちくばの友だ」


 「ってことは、深豊将軍の剣術も凄いの?」


 「まぁ。なかなかの腕前だ」


 深豊の剣術は、永憐も認めるほど才を成している。

 永憐は昔のことを思い出したかのように、天を仰いだ。


 「いいなぁ〜。僕もそういう友がいたらいいのに」


 賢耀の、寂しさを滲ませた黒い瞳が揺れている。

 永憐は察したように、言葉を発した。


 「耀には私たちがいる」


 「……」


 「そうですよ。私たちがちゃんといますよ」


 「……」


 賢耀からの返事がない。

 何か考え込んでいるのだろうか。

 永憐が、尋ねるように賢耀の名を呼ぶ。


 「…耀?」


 「……」


 すると、今の今まで元気だった賢耀が突然、勢いよく口から泡を吹き出し、自分たちの目の前で倒れ込んだ!

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