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第二話 新安

 朝方に眠ると、蘭瑛ランインはいつも同じ夢を見る。

 この切り取られた夢は、蘭瑛の奥底に眠る悲しみを、容赦なく抉り出す…。


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 「蘭瑛、早く来なさい。その子も連れていくの?」


 「うん。だって友達だもん!どんな時も一緒にいなきゃ」


 蘭瑛の母・瑛珠インジュと、白いウサギを抱えた8歳の蘭瑛は、六華鳳宗ろっかほうしゅうの弟子たちの誘導を受けながら、華山の奥へと逃げる。


 「どうして、こんな事になっているの…」


 「宋長安そんちょうあんの朝廷から宗主を打首にすると…」


 「どうしてよ…。主人が何をしたっていうのよ…」


 弟子の言葉に瑛珠は泣き崩れ、蘭瑛は震えているウサギを抱えながら、母の慟哭な姿を眺めていた。


 「父上はどうなっちゃうの?」


 「大丈夫ですよ。小蘭シャオラン様。何があっても、御父上は必ず私たちを守ってくださいます」


 弟子たちに小蘭と呼ばれていた蘭瑛は、その言葉に、勇気づけられたが、状況は一変する。


 蘭瑛の父・鳳鳴ホウメイ遠志エンシ、双子の弟・法志ホウシが駆けつけたが、宋長安の修仙者たちが、カチャンカチャンと凍てつくような冷たい鍔音を立て、続々と背後から迫ってきているのが分かった。

 蘭瑛は、その物々しい空気に怖気付いてしまい、瑛珠と一緒に大きな岩の後ろに隠れ、うさぎの体に顔を埋めた。


 ついに、追い詰められた六華鳳宗の全員は逃げ場を失い、宋長安の者たちと対峙する。

 もう終わりだと皆が思った刹那、鳳鳴が皆の前に出た。


 「玄天遊鬼の責任は六華鳳凰の末裔として私が担う。しかし、ここにいる者たちの命だけは取らないでいただきたい」


 鳳鳴は跪き、頭を下げた。

 その瞬間、鳳鳴の首を目掛けて一本の剣光が一閃する。


 鳳鳴を庇うかのように、瑛珠は蘭瑛を残して岩から飛び出し、一閃の中に飛び込んだ。


  「父上!母上!」


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 蘭瑛は自分の声でハッと目を覚ました。

 激しい鼓動を抑えるように胸に手を当て、ゆっくりと呼吸を整える。

 しばらく落ち着くまで、蘭瑛は無機質な天井を、ただただぼんやりと眺めた。


 15年前の春。玄天遊鬼ゲンテンユウキは封印されていたものの、その年の冬は玄天遊鬼の傀儡かいらいが多く出没し、多くの命が犠牲となった。

 その為、当時 宋長安そんちょうあんの皇帝だった宋長帝そんちょうていが、玄天遊鬼が元六華鳳凰の弟子だったことを理由に、玄天遊鬼にまつわる所業の責任を六華鳳宗の宗主だった蘭瑛の父・鳳鳴に、全て擦りつけたのだ。


 「不当な誅殺だ…」


 蘭瑛はむくっと起き上がり、涙の玉を潰すかのように目尻を押さえた。


 思い出すだけでも、胸が苦しくなり、それと同時に憎しみや殺意も芽生えてくる。いつか必ず、この手で両親の仇をうってやろうと心に決めているが、誰があの一閃を打ち出したのかは未だに分からない。ただあの時、血まみれになった両親を、雪片のような冷たい視線で見つめていた者が居たことだけは、今も忘れられないでいる。


 すると、現実に引き戻すかのように、双子の弟子・鈴麗リンリー鈴玉リンユーが声を掛けてきた。


 「蘭瑛姉様、起きていらっしゃいますか?遠志宗主がお呼びです。至急、客室に来るようにと」


 「うん。分かった。着替えたらすぐに行く」


 蘭瑛は新しい衣に着替え、髪を一つに結いながら、客室へ向かった。

 扉を開け、そっと中に入ると馴染みの声が聞こえてくる。

 薬の行商人・暁明シャオミンだ。

 しかし、普段とは違う重苦しい雰囲気を肌で感じ、蘭瑛は何事かと尋ねた。


 「すみません、お待たせしました。何かあったのですか?」


 「あぁ〜、蘭瑛先生!こんにちは。先程も、宗主にお伝えしたのですが…。隣の新安しんあんで、赤潰疫が出たと報告を受けまして、こちらに」


 蘭瑛は驚愕した。

 噂程度だと思っていた赤潰疫が、まさか隣町の新安にまで来ているとは、露ほども思っていなかったからだ。

 遠志が立ち上がり、口を開く。


 「蘭瑛。私たちもすぐに新安へ向かおう」


 「分かりました。すぐに準備してきます」


 蘭瑛は自室に戻り、六角形の結晶が刺繍された六華鳳宗の衣を羽織る。

 そして、昨日作った赤沈薬せきちんやくを胸元に忍ばせ、遠志たちと新安へ向かった。





 華山と宋長安との間にあるこの新安は、行商人が多く行き交い、宿屋などが多い。江湖郎中こうころうちゅうと呼ばれる『安くて早くて便利』が売りの流医が多いことでも知られている。しかし、今回の赤潰疫は、三大名家の法術の薬でしか効果がない為、暁明シャオミン曰く、江湖郎中たちはなす術がなく、困っているんだとか。


 暁明は、とある寺院に蘭瑛たちを案内した。

 話を聞いていると、どうやら遠志と馴染みがある寺らしい。

 何歩か進むと、手入れの行き届いた大きな寺院に到着する。

 蘭瑛は、直感的に嫌な予感がした…。

 恐る恐る本堂に入ると、やはり、見るに耐えない惨状が目に飛び込んできた。


 顔や手足の皮膚が赤くただれ、熱を浴びるような痛みで、泣き叫ぶ子供たち。中には、意識がなく瀕死状態な子どもが何人も横たわっていたり、顔に布を被せられている子どもが隅の方に置かれていたりした。子どもを抱える母親の腕にも赤潰疫が表出し、苦痛の表情を訴えている。

 蘭瑛は赤潰疫のあまりの恐ろしさに、眼球が揺れるほど絶句してしまった。


 だが、遠志はどんな時も泰然自若たいぜんじしゃくだ。

 言葉が出ないほど呆然としていた蘭瑛の肩を軽く叩き、これから何をするか指示を出した。


 「蘭瑛。落ち着きなさい。まずは赤沈薬を塗って、その後に寛解かんかいの術を。私はその後ろから、癒合ゆごうの術を施していこう。布を被っている子には、黄泉の国へ行けるよう、六華導ろっかどうを施してあげよう。暁明と尊師殿も手伝いを頼めるかい?」


 「もちろんです」

 「はい宗主。私もお手伝いいたしましょう」


 暁明は赤沈薬が入った大きな瓶を持ち、蘭瑛と遠志は塗擦と法術を、寺院の住職は布を巻くという作業を始める。触れてしまうと感染してしまう為、直接触れないように一人ずつ丁寧に手当をしていく。特殊な赤沈薬の効果はすぐに発揮し、子供たちの泣き声が少しずつ止んでいった。


 人数があと少しとなった頃、宋長安の朝廷に支えているという、目鼻立ちの整った二人の男が寺院を訪ねてきた。


 住職と遠志は手を止め、その者たちの元へ向かう。


 「宋長安の永憐ヨンリェンと申します。こちらは、私の遣いである宇辰ウーチェン。お忙しい中恐れ入りますが、どのような状況かお聞かせ願いたい」


 二人は両手を前に出し、丁寧に拱手した。


 どうやら、宋長安の朝廷から赤潰疫の報告を受け、薬師の住職がいる寺院があると聞き、ここを訪ねたいう。

 目立たない衣といえども、庶民とは違う身分であることは明白だ。


 面長で、切れ長な目に、澄んだ瞳。

 低く、安心感のある声音。

 背丈も八尺ぐらいあるだろうか。

 まさに、容貌矜厳ようぼうきんげんと言われる修仙者だ。


 住職と遠志が、その二人と赤潰疫の経緯などを話している奥で、蘭瑛はその間も塗擦を続けた。

 すると、隣にいた暁明がコソコソ話すように、小さく口を開く。


 「蘭瑛先生、あの方をご存知ですか?」


 蘭瑛は首を振り、赤沈薬を塗り続ける。


 「知らないんですか。めちゃくちゃ有名な、宋長安の国師、永豪君よんごうくんですよ。とても偉い方なので、なかなかお目にかかれないんですけど、いやぁ〜、お噂通りの秀麗さですね。でも、冷酷無情でも知られていて、とても怖い方なんだとか。全く笑わないって噂ですよ」


 (さすが、流医一の情報屋だ)


 蘭瑛は適当に相槌をうち、永憐の姿をチラリと見た。

 確かに愛想は皆無に等しく、玉のような肌をしただけの人形のようだ。

 暁明はまだ続ける。


 「それでも、あの方の妻になりたいと願う女子おなごが後を絶たず、毎日縁談の木簡や書簡が届くんだとか」


 蘭瑛は思わず小さく鼻で笑ってしまう。


 (毎日って?そんな男のどこがいいんだか。いくら顔が良くても、笑わない男と結婚したってつまんないじゃん。まぁ、宋長安の男と結婚なんて、私は御免だけど…)


 蘭瑛はそんな事を思いながら、淡々と赤沈薬を塗り続けた。


 そうしていると、突然、床を蹴る音が聞こえてくる。

 音の鳴る方に目をやると、永憐たちの側にいた童子が、余りの痛さに暴れ回り、気を取り乱しながら永憐の足元に飛びかかったのだ!

 永憐は避けることができず、飛び出してきた童子を抑えるように、童子の手に触れてしまった。

 それを見ていた蘭瑛は、咄嗟に「離れて!」と叫ぶ。

 目の前いた遠志が、慌てて童子を引き寄せ、こちらに赤沈薬を持って来るよう、蘭瑛を呼び寄せた。


 蘭瑛は、鳥のような速さで永憐の元へ走っていき、永憐の手を瞬時に掴んで、自作の赤沈薬を塗る。


 「あなた様も赤潰疫になってしまいますから、念の為、塗っておきます」


 永憐はあまりの突然のことに動揺していたが、手を引っ込めようにも引っ込められず、蘭瑛にされるがまま手を預けるしかなかった。


 「しばらく濡らさず、そのままにしておいてください。もし、感染しても直ぐに治りますから」


 蘭瑛は素っ気なく伝え、永憐の硬った手を離す。

 永憐は腕を戻し、小さく「すまない」と伝えた。


 何事もなかったかのように、蘭瑛は最後の患者の元へ行き、また赤沈薬を塗り始める。永憐たちは、遠志と住職と二言三言話したあと、風が抜けるように去っていった。


 しばらくして、一通り手当を終えた蘭瑛たちも、寺院を後にする。暁明とも別れ、蘭瑛と遠志は六華鳳宗がある華山の方向に向かって歩き始めた。

 すると、遠志が突然立ち止まり、蘭瑛の名を呼んだ。


 「ん?叔父上、どうしました?」


 蘭瑛は顔を前に出し、尋ねるような眼差しを向ける。

 遠志は顔を穏やかにして蘭瑛に微笑みかけた。


 「今日は露店の串焼きでも食べようか?」


 「ふぇ?どうしたのですか?急に」


 蘭瑛は目を丸くして驚く。遠志は更に微笑む。


 「今日は疲れただろう。好きな物を食べたらいい」


 遠志は、今日の惨事を見て、心を痛めてしまった蘭瑛を、少しばかり気遣っているのだろう。

 しかし、目の前にいる蘭瑛はというと、そんな感情は微塵も感じていないように、目を輝かせてはしゃいでいる。


 「え〜叔父上〜、何食べます?私は、串焼きに、抄手チャオショウ、餡入りの包子パオズに、羊肉串ヤンロウチュアン。あ、餡餅シャーピンも食べないと!」


 「そ、そんなに食べるのかい?」


 遠志の顔が、段々と引き攣っていくが、蘭瑛はまだ食べ物の名前を続けようとする。

 遠志は「うんうん」と蘭瑛の話に耳を傾けながら、二人は実の親子のように仲睦まじく、賑わっている宿屋の方面へと向かっていった。



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