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第一話 六華鳳宗


 春陽の候。

 華山かざんの麓では桜が咲き誇り、ちょうど見頃を迎えていた。

 六華鳳宗ろっかほうしゅうの開祖・六華鳳凰ろっかほうおうが植えたとされる桃色の色鮮やかな百本の桜並木は、誰の目にも美しく映り、まるで華麗な舞踊を見ているかのように煌びやかだ。


 「綺麗だなぁ〜」


 蘭瑛ランインも足を止め、桜の木を見上げる。

 何かを思い起こさせるかのように、ひらりと舞い降りてきた二枚の花弁が、蘭瑛の手のひらに乗った。


 「父上、母上。今年も素敵に咲きましたよ」


 春になると、毎年思い出してしまう。

 両親を失くしてしまったあの日のことを…。


 蘭瑛は手のひらに乗った二枚の花弁を、吹かれた風に差し出し、自然に還らせた。風に乗って飛んでいく花弁を見送ったあと、蘭瑛はハッと我に帰る。


 「いっけない!早く行かなきゃ。また、叔父上に怒られる〜」


 六華鳳宗の現宗主・叔父の遠志エンシに頼まれていた約束の問診を思い出し、蘭瑛は急ぎ足でそこへ向かった。


 山を降りた華山かざんの町は、栄えている宋長安そんちょうあんより人口は少ないが、食材が豊富な為、食材を求めて近隣の町から人が流れてくる。町は露店で賑わい、蘭瑛はいつも問診が長引いたと嘘をついて、露店の店先で寄り道をしていた。

 美味しい物に目がない蘭瑛は、もちろんこの後も、こっそり串焼きを食べるつもりだ。


 「こんにちは〜。六華鳳宗の蘭瑛ランインです」


 「あ、蘭瑛先生どうぞ〜。ごめんなさいね、こんな所まで来てもらって」


 もうすぐ臨月だという、腹が大きく膨らんだ亭主の妻に、笑顔で迎え入れられる。


 「いえいえ、とんでもない!私は何処まででも飛んでいきますから〜」


 亭主の妻とたわいもない挨拶を交わし、蘭瑛はいつも通り問診する。

 六華鳳宗は名医の三宗と言われているが、朝廷に所属する御用医家ではなく、市医の医家として生業を立てている。こうして、依頼を受けた場所に出向かい、町の人々の命を守りながら歩き回っているのだ。


 「今日も落ち着いてらっしゃいますね」


 「蘭瑛先生のおかげだよ〜」


 横になっている亭主の腹を触診し、深傷を負った腹部の傷に六華術の一つ、癒合ゆごうの術を施す。


 「蘭瑛先生、知ってる?」


 亭主の妻がお茶を淹れながら少し怪訝そうに尋ねた。

 蘭瑛は首を傾げ、亭主の妻の方を向く。


 「あの物騒な閉山へいざんの麓で、赤潰疫が出たって話」


 蘭瑛の手が止まった…。

 (…赤潰疫?あの玄天遊鬼の?)


 「奥様!その話は本当ですか?!いつ頃聞かれたものですか?!内容を詳しく…っ」


 亭主の妻の方に向かって身を乗り出し、蘭瑛はつい食い気味に聞いてしまった。


 「ご、ごめんなさい…」


 蘭瑛は慌てて謝り、向きを変えて、また亭主に癒合の術を施した。


 「そ、そうなるのも、無理はないわよね…。詳しいことは私もよく分からないわ。ただ赤潰疫が出たってことしか…」


 蘭瑛はいつもの柔らかい表情を作り、亭主たちを安心させた。

 何の心配もいらないと蘭瑛は自分にも言い聞かせる。

 所詮、噂だ。酷い湿疹か何かだろう…、と。


 調合した薬を渡し、無事に出産を迎えられるように亭主の妻に伝え、蘭瑛は急いで六華鳳宗の邸宅である鳳明葯院ほうみんやくいんへ帰った。




 邸宅に戻った蘭瑛は、息を切らしながら遠志の部屋を尋ねる。


 「叔父上!赤潰疫が出たっていうのは本当ですか?!」


 遠志は話の内容よりも、蘭瑛が勢いよくこの部屋に飛び込んできたことに驚いていた。普段は必ず扉の前で一言断りを入れるはずなのだが。


 「まぁまぁ、蘭瑛。落ち着きなさい。お茶でも淹れようか。ちょうど、目を休めたいと思っていたところなんだ」


 (げっ…。何、この量)


 遠志の机に目を遣ると、どのように読み進めていけばいいのか分からないほどの、膨大な書物が積み上げられていた。


 「驚いただろう。これは全部、過去に起きた赤潰疫の資料だよ」


 「えっ?!こんなに?!…やっぱり、赤潰疫が出たのですか?」


 「そうみたいだね」と言って、遠志は取り乱すことなく、湯呑みに白茶を注いだ。蘭瑛はその積み上げられていた書物を一冊手に取り、頁をめくる。するとそこには、六華鳳宗の先代の流医たちが綴ったであろう、赤潰疫の治療記録が書かれていた。


 遠志は湯呑みが乗ったお盆を持って、元いた椅子に座り直す。蘭瑛も近くにあった椅子を持って、遠志の斜め向かいに座った。


 「念の為、蘭瑛にも伝えておこう。赤潰疫は、疫病であるが一種の妖術のようなものだ。だから、そこらで出回る薬では根絶できない。それぞれ、三宗の作る法薬でしか効果は見込めないだろう」


 「では、うちの法薬はどうやって作るのですか?」


 「ここに書いてあるよ」


 古書の独特な香りを漂わせた『鳳秘典ほうひてん』という書物を差し出された。

 六華鳳凰が書き記したとされる、代々受け継がれてきた家宝の書物だ。

 蘭瑛はその書物を受け取り、薄紙が挟んである頁を開く。そこには『赤沈薬せきちんやく』という、赤潰疫の症状緩和に効く法薬の作り方が、事細かに記載されていた。


 「蘭瑛もこれを見て、法薬を試してみなさい。いつ、この近辺に現れるか分からないからね」


 蘭瑛は「分かりました」と言って、白茶を啜った。


 「今日の問診は大丈夫だったかい?」

 遠志は書物に目を向けたまま蘭瑛に尋ねた。


 「あ、はい。とても落ち着いていらっしゃいました。奥様もそろそろ臨月に入られますね」


 「そうかい。無事に産まれるといいね。今日は、露店の串焼きは食べれたのかい?」


 なぜ、それを知っているのか?!と驚き、蘭瑛は思わず白茶を吹き出しそうになった。

 遠志は目を三日月のようにして「私が何も知らないとでも?」と言わんばかりに笑みを見せる。

 蘭瑛もそれに合わせて「んふふ」と笑みを向ける。


 「寄り道は程々にしなさい」


 「…ふぁい(はい)」


 (くぅ〜!バレていたとは…)


 宗主との笑みの睨めっこは、この笑みの圧力によって敗者に終わった。

 そこに、双子の弟子・鈴麗リンリー鈴玉リンユーがやってくる。


 「蘭瑛姉さま〜、こちらにいらっしゃったのですね。夕餉の準備ができましたよ」


 「本当っ?!」


 「遠志宗主は、こちらにご準備を始めても?」


 「お願いできるかな」


 もうそんな時間なのかと、蘭瑛は遠志の夕餉が運ばれるのを見届け、鳳秘典を持って鈴麗と鈴玉と一緒に、遠志の部屋を後にした。


 夕餉を終えた蘭瑛は自室に戻り、さっそく鳳秘典を開いて調薬を試みる。六華術の特殊な術の『法薬ほうやくの術』は蘭瑛も得意だ。蘭瑛は調薬のコツを掴み、夜な夜な時間を忘れて赤沈薬を作り続けた。


 気づけば朝日が昇り始め、外が明るくなっていた。

 チュン、チュン、と雀のさえずりが聞こえてくる。

 蘭瑛は流石に睡魔を感じ、寝台に横になった。


 (玄天遊鬼に赤潰疫…。十五年前のようなことが、また起きなきゃいいけど…)


 疲れた目が、段々と虚ろになっていく。

 蘭瑛は大きく溜め息を吐いて、縮こまるように布団に潜り、眠りについた。


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