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第20話、水車の回る音(2)





 マイヤーさんが私に見せてくれたのは、腕ほどの大きさの木製円筒だった。円筒の中は空っぽで、拳一つが簡単に出入りできるほどの穴があった。


「うーん、これをどこに使えばいいんでしょうか?」


「ホウジ君のそのバットというのを入れておいたらどうかしら?刀には鞘があるように、これはバットのケースになるわね」


「あ!」


 そういえば、昨日の夕食の時に沙也が言ったことを思い出した。


【おばちゃん達と畑で働いていたら、法次がぶらぶらと通り過ぎるのが見えたよ。どころでバットはどこかに入れておけないの?】


【うん?どうして?】


【バットを手にしてそんなにウロウロしてると、まるでヤクザか不良みたいで…だって、剣も鞘に入れて持ち歩けば侍や騎士みたいでかっこいいけど、抜いたまま持ち歩くと、それってただの浪人じゃん】


 そんな風に言っていた。


 あの時は私がヤクザなんて! 不良なんて!と泣き叫んだが、もう一度考えてみると、沙也の言葉も十分もっともだと思う。


 確かにマイヤーさんが持っている円筒は幅も長さもバットを入れて持ち歩くのにぴったりだった。


「どれどれ、ここにひもを結んで、こうやって…」


 いつの間にマイヤーさんは革ひもを持って来て、うまく円筒にしっかりと結びつけた。


「ふむ…これを肩にかけるには長いし、面倒くさいだろうから… あ、こうしよう。

 ホウジ君、ちょっと姿勢を低くしてみて」


「マ、マイヤーさん…ちょっと、近すぎ…」


 マイヤーさんは円筒を持って、私の後ろに立ったまま肩の上から手を伸ばした。革紐の長さを調節して胸辺りで細かく結ぶのはいいんだけど、これじゃまるでバックハグをするような姿勢になってしまうじゃないか。


 採光が足りない製粉所の中では、先ほど修理した水車の歯車がドンドン回る音だけが鳴り響いた。先ほどのマイヤーさんの顔、特に仕事に夢中になって少し顰められた、その美しい眉間だけが私の頭の中に浮かんでいた。


 結び目を結ぶのに集中しているマイヤーさんの口から思わず漏れる、うめき声が私の耳元をくすぐった。


「うぅん…ふむ…」


 あぁ、首筋が!


 マイヤーさんの鼻息なのか息なのかが首筋を霞んで通り過ぎると、首の後ろ側にヒリヒリと電気が走るような気がした。


 これを使えば、この世界でも発電機が作れるのではないだろうか?


 こんなろくでないことまで考えながら、私は何とかして気をそらすために必死だった。その結果、マイヤーさんが結び目を完成させるまで、私は無事になんとか正気を保つことができた。


 いい年ごろの高校生に成熟した未亡人から流れ出るフェロモンは健康に悪い。


 うん、かなり有害だ。


「ほら、できた…あら、顔真っ赤だわ。どうしたの?暑い?」


「あはは、ちょっと息を止めていて… そ、それより見た目はどうですか?」


 クロスバックを背負うように背中を斜めに横切る形で円筒が位置につくと、左肩の後ろにバットの柄がちらっと見える程度になった。


「見栄えはいいけど、こうやって肩の上に手を回して抜いたらどう?」


 子供の頃に見た赤い顎の宇宙ロボットがビームサベルを抜くような姿勢になった。これも悪くないな。


 持ち歩くのに邪魔にもならないし。


「あ、これならいいかも。」


「剣のように腰から抜いたらかっこいいけど、やっぱりこれは剣よりは厚いからね。だから、こうして肩に掛けた方がいいんじゃないかしら」


「本当にありがとうございます。ちょうどこういうのが一つあったらいいなと思っていたんです」


 マイヤーさんはにっこり笑いながら私の胸をポンと軽く叩いた。


「今日のお手伝いのお礼だと思って、ホウジ君。代わりに必要の時また呼ぶから、覚悟しなさいよ?」


「あ、はい。いつでもどうぞ」


「それから、腰を伸ばして歩きなさいよ。最近体も丈夫になって、結構男らしくなったんだから。肩もちゃんと伸ばして」


 製粉所を出て行く私の背中に向けてマイヤーさんは『じゃあね』と挨拶をした。


「ふあぁ、涼しい」


 何かすごく熱々だった製粉所での時間を過ごしてから吸い込んだ外の空気はひときわ涼しく感じられた。それが手が軽くなったおかげだけではない気がしたが、私はこれ以上の詳しい考えはやめることにした。


「まあ、結果さえよければ、万事オーケー、ってことで」


 とにかく悩んでいた『バットをどう持ち歩こうか』の件も解決したし、私は軽い気持ちで村の中を回った。そしてバットを背負って村の入り口付近に差し掛かると、公民館の前に人々が集まっているのが見えた。


 その真ん中には見知らぬ男一人が地面に倒れていて、彼の横にしゃがんでいるオルソンは真剣な表情で男の話を聞いていた。


「どうしたんですか?」


「ああ、ホウジ少年!」


 オルソンの顔が一瞬明るくなった。






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