「正直、最初は貴方たちが帝国から来たスパイではないかとも思いました。しかし、スパイだというには目立ちすぎるんですよ、どう考えても。だからその仮説は真っ先に消去しました」

　『スパイ』という言葉にぞっとした私は大きくため息をついた。帝国がどんな国かは知らないが、スパイなどと誤解されたら、かなり困ることになるだろう。

　状況やタイミングによっては命の危険が伴うことになるかもしれない。それに、私たちにはその誤解を覆せる身分証や保証人がいるわけでもない。いざとすると今まで私たちに優しくしてくれたコバフのみんなまで危険にされるかもしれない。

「次の仮説としては、ただの狂人たちがうわごとを言っているんじゃないかと…」

　狂人？私たちのこと？

「ですが、皆さんが発見された経緯や、その後の生活についてのオルソンの陳述、そして特に…」

　ヨナハンは興味深い目で私を見た。 うん？私を？

「特にホウジの勇猛無双な活躍については、村の鍛冶屋からの生々しい証言がありました」

　今、鏡を見れば茹でたタコのように真っ赤に熟した私の顔が見られるだろう。沙也は腹を抱えて笑い、瀬戸先生でさえも顔を反対側に向けたまま笑いを防ぐためぶるぶる震えていた。

「そして何よりも、今の貴方たちには全く狂気など感じられません。 それで…」

　ヨナハンは書類をさっと隣においた。

「とりあえず、皆さんの言葉を信じることにしました。 別の世界から来たということをです。他のもっと可能性の高い仮説や理論が浮かぶまではですね。瀬戸さんは、ホウジとサヤの引率役なんですか？」

「元の世界では私が彼らの先生でしたから、一応は今もそのつもりでいます」

「なるほど、では代表としてお伺いしますが、皆さんの目標は元の世界に戻ることですか？」

「そうなんです。 こちらに来てオルソンさんやコバフ村の皆さんにたくさんお世話になりましたが、やはり私たちは元の世界に戻りたいです。大切な人たちも残してきたままですし」

　ヨナハンはうなずいた。

　私たちの事情は誰に聞かれてもとんでもなく思うはずなのに、意外と彼はあっさりその説明を受け入れてくれた。

「一理あるお言葉です。 私も皆さんのような状況は初めてです。正直なところ聞いたこともないです」

　ヨナハンのめが好奇心で輝いた。

「ですから、一度調べさせてください。 もし他の地方の昔話や文献で似たような事があれば参考になるかもしれません。

　何か皆さんに役立つ情報があれば、ここのオルソンさんを通じてお伝えします」

　よいしょ、と祭壇から腰を上げたヨナハンは、オルソンを見つめた。

「それまでは心配しすぎないで。気楽に…とは言えませんが普通に生活してください。 すべては順理に従って流れるでしょう。」

　ヨナハンの『順理に従って』という言葉を聞いて沙也が目を輝かせた。 まさか？

「あ、そういえば、瀬戸先生がここに来る時…」

　ダメ！

　今、沙也はアヴサラが瀬戸先生に与えた力について話そうとしているに違いない。 しかし、それはダメだ。

　ヨナハンは確かに陽気で優しい人だが、その以前に司祭である。アヴサラのことが彼らの教義に反することだったりすれば、せっかく結んだの良い関係が予測できない方向に流れてしまうかもしれない。

　それに瀬戸先生の力は、下手をすると『魔女の力』などと誤解されやすい素材だ。 私は歴史の時間に学んだ魔女狩りについて思い出した。

　振り向くと、瀬戸先生も慌てて沙也の手を握りしるのが見えた。私は急いで席を立ち、沙也の言葉を横取りした。

「瀬戸先生がここに来る…来る時、ですね。こんな良い町に来られたのが…その、なんつっか神のご加護ではないかと思ってらっしゃったんですが、今日こうしてヨナハンと出会えてみると、まさに神様のご加護を超えて…あの… それこそ神の恵みが私たちを導いているのではないかと…ハハ…ハ…ハ」

　私も自分がこんなに早く喋られるとは思わなかった。

　少し舌は噛んだけど、それでもなんとかうまくごまかしたようだ。ほら、見ろ。沙也と瀬戸先生も目を丸くして感心しながらこっちを見てるじゃない。オルソンさんさえも口を開けたまま私のことをものすごい目で見ていた。

「ホウジ！」

　そしてヨナハンもまた、私の言葉にかなり感動したようだった。彼は私の手をギュッと握りしめ、目を輝かせた。

「そうです！ 神はいつも皆様を見守っていらっしゃいます！

　たとえ皆さんがこの遠い世界に来られたことが今は苦難に思えても、過ぎ去ればこの全てが神の按配であること！

　我々人間の小さい物差しでは到底見通せない、過去から遠い未来まで続く大きくて複雑な作り物の断片であることを！ いつかその断片が揃い合わさった時、その時こそ私たちは神の恵みを再び悟ることができると信じています！

　ああ、神よ！このホウジは、正にあなた様が信仰の極意を伝えるためこの地に送って下さった使徒だというのですか！ 彼を通じて再びこの哀れな牧者に悟りをくださったその深い真義に感謝し……」

　ヨナハンは私の手を握りしめたまま膝をまずいて感謝の祈りを捧げ始めた。とっさに私まで思わず礼拝堂の石床に膝まずくことになってしまった。

　膝痛いって！

「さ、沙也…」

　振り返ると、サヤは両手を顔の前で合わせ、私に口の動きで『ごめんね』と言い続けていた。ところで、どうしてだんだん離れていくんだ？

　沙也？瀬戸先生？ ああ、オルソンまで！ 彼らは私を置いてますます遠ざかっていた。

　おい！行かないで！

　そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ヨナハンの祈りの声だけが、皆がいなくなった礼拝堂の中に響いていた。