瀬戸日奈は恐ろしくてわなわな震えた。
「殺さないでください!」
「…それはどういうこと?」
変な目で自分を見つめるアヴサラに、日奈は怯えた声で問い返した。
「いや、これから殺すから…ごめんという…違いますか?」
アヴサラはため息をついた。
「そんなんじゃないわよ」
「ないん…ですか?」
「今あなたがいるここは、次元と次元の間の深い狭間なんだよ。
次元とは、己のバランスと安定性を維持するために絶えず循環している。しかし、そうするうちに歪みが発生することもたまにはある。そしてあなたみたいに無関係な人が巻き込まれることもなくはない。
本当に、極めて、非常にまれなことなんだけどね」
日奈は、日本でたびたび起きたりする地震を思い出した。マントルと地殻の動きで無作為に起こる最も恐ろしい自然現象。
アブサラは今、日奈と彼女の教え子たちがそれと似たような災難に巻き込まれたと言いたいのだろうか。
「しかし、森羅万象は結局、安定を求めて本来あるべき場所に戻ることになっている。それを我々は道理に従うこと、つまり
「順理…」
「この次元の歪みもまた、本来あるべき姿にいつか戻る。だから瀬戸日奈、あなたもまた、本来いるべき場所に戻ることになるわよ」
日奈には到底理解できないほど大規模の話だったが、最後の一言だけははっきりと理解できた。
「それは本当ですか? あるべき場所へ…ということは、私たちが元の世界に戻れるということですか?」
「うん、でも…」
アヴサラは空中を舞うように近づき、右手で日奈の左肩を撫でた。
「今すぐにあなたを帰らせることができないわ、瀬戸日奈。
あなたが巻き込まれたことは、私たちとしても予想外のこと。対策を立てるには時間がかかりそうよ、ざんねんだけど」
「時間がかかるなら…どれくらい…ですか?」
「それは我々にも分からないわ。だが、最善を尽くすよ。君のようなイレギュラーは、我々にとっても大きな負担になるから。
でも一つだけ言っておくべきことがある。こっちの次元系の時間とあなたが体感する時間帯も同じじゃないから正直なところ、どれだけの誤差が出るかは私にも分からない」
日奈は浦島太郎の話を思い出した。本当に元の世界に戻れば、どんでもないの時間が流れたりするのだろうか?
しかし、今はこのアヴサラの言葉に頼るしかなかった。
「その代わり、お詫びというには物足りないけど…」
アヴサラは今まで両手で握っていた杖を片手に持ち、空中で何度か振った。すると、杖の先から白い光の球体が絡み合った。
その光から伝わる感じがまるで、教室で転移された時に見たその真っ白な光とよく似ていると、日奈は思った。
「これは私の力の…いや、私の一部よ。これを今からあなたの中に入れておくね」
アヴサラが杖の先を日奈に向けると、その光の塊はゆっくり日奈の方へ移ってきた。まるでビー玉のようなあれを日奈は両手で用心深く取り込んで包んだ。光は暖かい熱となって、体中の隅々まで広がっていった。
今まで感じたことのない優しい力が全身に溢れ出した。太陽に温まれた南国の海水に身を任せたような安らかさをしばらく満喫していた日奈は、いつの間にか自分の前からアヴサラの姿が見えなくなったことに後になって気づいた。
「アヴサラ様?」
「これで日奈、あなたは私の力をある程度借りて使えるようになったわ。
私たちがあなたを助ける方法を見つけるまで時間を稼ぐことができるはずよ。きっとあなたなら、賢く私の力を使えるだろう。
そう、『汝』なら。」
アヴサラの声が遥かに、こだまのように響き渡った。今までの少女のような声ではなく、体と心を揺るがすような響きが日奈に伝わった。
……汝は余のアバタラ(Avatara)
……どうか汝は己を信じ、汝の歩みが導くままに進むべし
……すべては