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第10話、癒しの力 (2)




 一か月前のその夜、私と沙也はオルソンさんと一緒にパーティーの後片付けをして公民館に戻ってきた。ロビーでお茶を飲んでいた瀬戸先生はお帰り、と迎えて新しくお茶を淹れてきた。


「足原君も双美さんも疲れているはずなのに、随分と遅くなりましたね」


「先生の帰りが早すぎたんですよ。クレイさんとマーティさんが探してたんですよ」


 瀬戸先生は困った表情で微笑んだ。


「クレイさんがお酒を注ぎてくれすぎて…すぐ酔ってしまいそうで、お先に失礼して休んでましたよ」


「あはは」


 どうやらクレイさんは私たちだけでなく、瀬戸先生にもお酒を勧めていたようだ。結局、オルソンさんの背中に乗せられて家に向かっていた彼の後ろ姿を思い浮かべながら、私と沙也は腹を抱えて笑った。


「痛いっ」


 思いっきり笑ったら、コボルドに噛まれた傷が疼いてきた。私の表情を見た沙也が慌ててシャツを持ち上げて包帯を確認した。


 沙也は顔をしかめた。


「どうやら傷口が開いてしまったようね。血が滲んでいる」


「そう?あ、本当だ。 包帯を新しくしないと」


 予備の包帯はどこにあったっけ。

 こんな遅い時間には、大したことでもないのにオルソンや他の人を呼ぶことも迷惑だろう。 沙也も困った顔をして私を見た。


「法次。公民館だから、どこかに医務室みたいなところがあるんじゃないかな?」


「しょうがない。 適当に探してみるしか」


「足原君、ちょっと待ってください」


 私の傷をじっと見つめていた瀬戸先生は、しばらく考え込んだ。そして、真剣な顔で私の向かいに座った。


「ちょっと私に見せてくれませんか?」


「え? ま、それは構いませんけど、今すぐどうしようもない傷で…せ、瀬戸先生?」


「ちょっと失礼しますよ。 足原君」


 瀬戸先生はゆっくりと手を上げ、血が滲む包帯の上に当てた。


 沙也も慌てて声を上げたが、瀬戸先生は気にせず包帯の上に手のひらを乗せたまま目を閉じた。しっとりとした感触からみれば先生の手のひらにも血がつくはずだったが、彼女は気にしなかった。


「アドメライアサチハンドラニソラウトキアバラミウアラヒムルダ…」


 瀬戸先生が呟く意味の分からない言葉が静かに響かれた。それはまるで、魔法…そうだ。魔法の呪文のように聞こえた。


「せ、先生…え?えー?」


「あら、法次?先生?これは…」


 瀬戸先生の手がほのかな光に包まれた。見続けていると心が安らかに落ち着く薄い緑色の光。私と沙也は驚きながらも、その光の球体から目を離せなかった。


 先生の呪文が切れずに長く続いてる間にその緑色の光は少しずつもっと明るく輝いた。そして、血に濡れた包帯を通り過ぎて、傷口にゆっくりと光が染み込み始めた。


「法次、大丈夫?」


「あ…うん」


 春の日差しの下で目を閉じるとまぶたをあたためてくれる穏やかで優しい温もり。それによく似た暖かさが、負傷した傷口から体中に染み渡った。


 ベッドに入る前に口にする温かいホットミルクが全身に広がるような感覚。その時間があまりに心地よくてだるい気分にまでなっていた。


 緑色の光が完全に染み込んだ。瀬戸先生が手のひらを離す時、少し残念な気までした。


「さあ, 足原君。包帯を解いてみて」


 瀬戸先生は少し疲れたようだったが、それでも微笑んでみせた。沙也は慎重に包帯を一枚一枚剥がした。


「あ、あら!」


「うわっ!」


 驚いた。

 包帯の下には血痕だけが残っているだけで、傷そのものはきれいに治っていた。いや、消えていた。少しの傷跡もなく。


「こ、これはいったい…」


 傷跡だけでなく痛みさえもすっきり消えていた。私は脇腹を上下に、そして左右にもひねってみた。だが、最初からケガなんかなかったように少しの違和感もなく動くことができた。


「瀬戸先生…」


「法次!ちょっと見せて。 そんな!ありえない… 傷が全然ないよ! えっ、大丈夫? 動ける?」


「ほら、沙也。 こんなに、こんなに動いても全然痛くない!」


 魔法? 奇跡?何と言えばいいかわからないが、とにかくこんなすごいことをやり遂げた瀬戸先生はただ黙って微笑んでいるだけだった。 びっくりした私と沙也が騒々しく振る舞って、そして傷口に残った血痕と先生の手についた血を拭き取ってから私たちはやっと話を交わせるほど落ち着くことができた。


 瀬戸先生はどう話しを始めればいいのか、しばらく悩んでいるような顔をした。ぐずぐずしていた先生は、仕方ないって感じでため息をついた。


「足原君と双美さんは、神という存在を信じていますか?」


 どうやら、先のその躊躇いは、どう話を始めればあやしい宗教の伝道のように聞こえないかを悩んでいたみたい。なぜなら、今この状況じゃなければ、きっと私はそう考えただろうからだ。


「そうですね。神様を信じるっと言えるかな。初詣も行くし節分には豆まきをしたりお盆には精霊馬も作るし…」


「うーん、あとクリスマスも過ごしたりね。 でも、まじめに特定の神様を信じたりはしてないようですね」


「そう。日本ではほとんどそんな感じですね。いろんな神様と関わりはあるけど、特に崇拝している神様はめったにいない」


 瀬戸先生はうなずいた。


「でも、どうやら私はこっちの世界に来る途中で、神様に出会ったような気がします」


「神様に会ったんですって?」


 私と沙也には、到底信じられない話だった。

他の人がこんなことを言ってたら、きっと狂ってると思っただろう。瀬戸先生でも他の時だったら『やはり、さっきのお酒がまだ覚めてないんじゃないですか…』とか言っただろうな。


 しかし、瀬戸先生は私たちの目の前ですでに不思議な力を見せてくれた。今の先生がどんなに非現実的な話をしてもそれを聞き捨てるわけにはいかなかった。


「そうですね…それを神様でなければ何と説明できるでしょうか」






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