「ですから、私たちのいる『コバフ村』がここで、ここからこの大きな街道沿いに行くと『バレンブルク市』という所なんですね?」
「そう、ここがこの州では一番大きな都市だよ。ホウジ少年」
ここに来てからいつの間にか一週間が過ぎた。
私はオルソンと頭を寄せ合って地図を広げていた。蓄積も距離もめちゃくちゃな、地図というより略図に近い物だったが、それなりに状況を把握するには役に立った。
初耳の地名がいっぱい出てきた。簡単ではなかったが地理や歴史の授業だと思いながらひとまず頭の中に押し込む必要があった。
まず、この国の名前は『ゼロガム王国』。
その王国の首都である『カハル』から北に遠く離れた『バレンブルク州』は、その距離のために中央の力より地方領主である辺境伯の力がもっと強い地方であった。バレンブルク州の地図を詳しく見ると、ほぼ中央に州知事に当たる辺境伯が留まる州都、『バレンブルク市』がある。
私たちが世話になっているこのコバフ村は、バレンブルク州でもかなり人里離れたところにある小さな村だった。
普通このような世界での地方領主といえば、勝手に越権行為をしたり、重い税金を取り立てたり、酒色に溺れたりする悪徳領主のことを思い浮かぶんだが…
「まあ、そういう所もあると聞いたんだけどさ」
オルソンはお茶をすすりながら人のことのように呟いた。
「でも、バレン辺境伯は別にそんな人じゃない。 税金も重くないし、治安もそれなりによく維持してくれている。噂によれば有能な人材なら年や経歴を問わずいつも歓迎しているらしい。裁判も公正な方だし。 何よりも…」
「何よりも?」
「愛妻家だから妾をかこわないんだって」
ふむ、だったら少なくとも『おい!そこの小娘、なかなか可愛いじゃねぇか。今夜殿様のお部屋に入れ!』という展開になる心配はしなくてもいいかも。沙也にちょっかいなんかだすんじゃねぇよ、こら。
もちろん州都にはもっときれいなお嬢さんたちがいくらでもいるだろうけど、沙也も学校ではそれなりに学年クイーンとか言われるくらいの美少女だったんだぞ。余計な心配をしている訳じゃない。日本の帰るまでは私が大事に守らないとな。
そう考えている私を見てオルソンはへらへらと笑った。
「あの可愛いお嬢ちゃんが辺境伯様の目にでも入るんじゃないかって、まさかそんな心配をしてるかい?」
「そんなんじゃないです」
「んなら、すぐにでも少年が花嫁に迎えればいいじゃんかい」
「私たちはそんな仲じゃないですってば。ただ兄弟のような大事な幼なじみってことです」
「おい、おい、ホウジ少年。皆そうやっていつのまにか『あなた』になるものよ。」
オルソンはため息をついている私を見てくすくす笑った。ここ1週間で気づいたことだが、オルソンは以外と…いや、かなり意地悪いところがある。
このままでいいのかよ、コバフ村?
「そういうオルソンさんこそ、今日はマイヤーさんのところに行かなくていいんですか?」
「えっへん!こほん!」
「いやぁ。製粉所のマ、イ、ヤ、さんは本当に美人なんですよね? オルソンさんよ?」
わざと声を低くして,『マイヤー』さんの名前にアクセントを入れた。オルソンは赤熱した顔を咳払いで隠した。
コバフ村の真ん中を横切る川に小さい水車がついてる製粉所があった。そこの主人であるマイヤーさんは夫を亡くしてから一人で製粉所を経営している芯が強い女性だった。
それに、通りすがりで一度挨拶しただけの私にも忘れられないほど魅惑的な美人でもあった。うん、これは重要だからもう一度言おう。確かに凄い美人だった。
オルソンさんよ、私のことを甘く見すぎたぜ。人の恋心をもってからかうことに、現役の高校生に勝てる者なんてそうそういない。 この世界でも、な。
村の代表を務めている割に、オルソンは女性、とくに憧れている人に弱くて、うぶなところがあった。いつも爽やかでさっぱりしている人が、なんでマイヤーさんの話が出るとああなるんだろう? 食堂のベビンさんを含めてオルソンのことを気にしている人も結構いるみたいだけど。
見事に反撃されたオルソンをしばらくあざ笑ってあげた後、私は適当に彼を手放すことにした。後でまたからかおう。
「そういえば、沙也と瀬戸先生はどこへ行ったんですか?」
「さっきおばちゃんたちと畑の手伝いに行くって言ってたよ」
コバフ村の主な収入源は絵で描いたように広げられている広大な田んぼ、畑、果樹園とそこで行われる農業だった。先日味わった新鮮な果物の味を思い出すと、思わず口元がついほころぶ。
ここに来て、正確には目を覚まして2日目からは私たちも村の仕事を少しずつ手伝い始めた。あてもなくぼっとしているわけにはいかなかったから。
ここの住民たちに比べて私は体も大きく力もそれなり強い方だったが、どうしても器用だとは言えなくて単純なお使いをする程度だった。しかし元から人に気さくで行き届く沙也はすぐ村のおばさんたちに愛される即戦力になっていた。
私が覚めた後も一日ほど落ち込んでいた瀬戸先生も、今はもうすっかりいつもの先生に戻っていた。もともと明るくて人懐っこい人だったから、たった数日で村の中では知らない人がいないほど人気者になっていた。
「ちょうど人の手が足りない時期だったから、おかげで助かったよ」
「申し訳ないです。あの二人に比べて私は不器用で…」
「何言ってるんだ。最近村の子供たちがいいおもちゃ… いい遊び友達ができたって、本当に喜んでいたぞ」
今ちょっと失礼な言葉が聞こえたようだが。まあ、気のせいにしよう。
とにかく最近、町の子供たちとボールを蹴って遊び始めたのは事実だった。皮の切れ端をごじゃごじゃ編んで中に藁や羽毛などを詰めた物もボールと呼べるならな。 まともな球形ではないため、たまには勝手に跳ね返ってたりもする。ちゃんとしたドリブルなどは難しいがお互いパスを交わすだけでも、子どもたちはとても喜んでいた。
何年後にあの子たちの中から香川を超える人材が現れるかは神のみぞ知ることであろう。
今度は野球を教えてみようか? 桑田や松井が現れるかもしれないじゃん。
「オ、オ、オルソンさん!」
私とオルソンがこうしてのんびりと交わしていた会話は突然、外からの悲鳴によって中断された。
とあるおばさんが畑仕事をしていた姿のまま慌てて公民館のドアを叩いて入ってきた。 どれだけ急いで走ってきたのか、手には鋤をそのまま持っていて、頭巾はどこに飛んでいったのか長い髪が乱れ放題だった。
「た、大変です!」
「一体何が…」
「モンスター、モンスターが畑に! コボルドです!」